メビウス・エンターテイメント・有頂天外
屋上から見える空は雲一つないのにどこかどんよりとして見えるのは自分の心がよどんでいるからなのか。
デパートの屋上がフットサルのコートになったはいつからだろう。昔は屋上と言えば遊園地みたいな、まがい物ではあるけれど忠実に再現しようとしている不思議な空間が広がっていて、そこでは毎週末の様にヒーローショーが行われていた気がする。
エンターテイメントとしてはそれは最高に面白かったような気がするのだけれど、ネット配信で本物のヒーローがいつでも観られるようになった今。やっぱりどうしてもどことなく本物と違う部分を見つけられてしまう、ヒーローショーだと前者を選択してしまう人が多かった結果なのかもしれない。実際に握手できるとか抱っこしてもらえるとか、それこそ特別な体験だったような気がするのだが、その特別さより手軽さを選んでしまうのもまた人なのだろう。
そして、滅多に来なくなった屋上に足を踏み入れた今、そのことが思い出されてしまったのだ。感傷に浸っている場合ではないはずなのにだ。
そして現実逃避するように昔の事ばかり思い出してしまう。
メビウスと言うヒーローがいた。なにマンとは言わない。わかる人にわかればそれでいい。とにかくいたのだ。そしてそれに憧れた少年時代でもあった。だから屋上に連れて行ってほしいと何度か泣き叫んだ記憶もかすかにだが残っている。もう昔の話だ。思い出すことも滅多になくなった。その時のメビウスの手の感触や、空に飛び去ってくれないことのがっかり、敵が爆散しないことへの不満。そういうのも全部忘れた。いや、忘れていた。
「なあ。そんなところにいないでこっちに来てくれないか」
必死になっても、相手はこちらを見ようともせず空に顔を向けたままだ。
「ねえ。先生はなんで先生になったの?」
決して大きな声ではない。それに空に向かって言っているはずなので、こちらには聞こえずらいはずなのに、それは胸に刺さったみたいにチクリと痛んだ。
「なんでって、今そんなことは関係ないだろう」
なんとなくだと言いたくなくて、ごまかす。敷かれたレールの上を進んでいただけかもしれない。コネであることは間違いない。
「そっか。じゃ、ほっといてよ。さよならのタイミングは自分で決めるから」
さよならさせないためにここにいると言うのになぜそんなことばかり言うのか。高いフェンスの向こう側で彼は何を思っているのか。それが分からないから彼はあそこにいるのだと、そう思う。
「ほっとけないだろ」
「なんで?」
かぶせ気味に返ってきた言葉に反応できない。なんでなのか。仕事だから?人が飛び降りるのを見たくないから?自分が非難されるのが怖いから?
「きょ、教師だからだ」
答えないと飛び降りてしまいそうで言葉にしたそれはあまりに中身がすかすかで、彼に届く前に地面に落ちていった気がした。だからなのだろう。彼は無言になってしまった。彼の重心が前に移動したのがわかった。フェンスを駆け上る。それに気づいた彼は少しだけ重心移動の速度を上げた。身体の半分以上が空へ飛び出す。必死に伸ばした手は彼の制服をつかむことが出来ない。
『最後まであきらめず、不可能を可能にする』メビウスの声だ。ヒーローは決して諦めたりはしない。そうだ。いつだってヒーローは……。
落下し始めた彼を追って屋上の端を蹴った。助かる方法なんて思いつかない。あの屋上のヒーローの様に空も飛べやしない。それでも、諦めるなてできなかった。
彼の制服を今度こそ掴めた。無理やり引っ張ると自分の身体を下にして少しでもクッションになろうとする。
こんなにも空中での時間が長いとは思わなかった。もしかして、死ぬ前のスローモーションの感覚なのか。死を意識した脳が最大限に動いているのかもしれない。
そう教師になったのは自分がヒーローになりたかったからなのだ。ヒーローになれたのかもしれないな。そう思う時間すらある。そんなことを思いながら死ねるなんて有頂天外だと思わないでもない。
そう思いながら見えた空はすがすがしいほどに晴れやかだった。
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