Wi-Fi・曇り空・ゴルフ場

 その日は生憎の天気だった。正直乗り気ではない。返ってくる喜ばしい結果より、今のこの消費している時間が苦痛だ。しかし、だからと言ってこれがなくなるわけではないし、この場からいなくなれるわけない。考えるだけ無駄なのだから、割り切ってしまえれば楽なのに。そう思わないでもない。

 見上げた曇り空はまるで今の気分を表してるかの様に暗く、今すぐにでも雨が降ってもおかしくはない。

「おっ。さっきのはいいショットだったな。調子いいみたいじゃないか」

 先輩の声も素直には喜べない。上手く打ちすぎだ、それじゃあ接待にならないじゃなか。そう聞こえる。まあ、その解釈で間違いないのだろう。取引先とのゴルフなんて、相手の気分を持ち上げてなんぼの部分しかない。普段通りの、ゴルフをしていたら怒られてしまうわけだ。

 ゴルフが得意なんですよ。そんなことを言わなければ良かったと今は後悔している。話が盛り上がればいいなと思った結果だ。話自体は盛り上がったし、その考え間違っていなかったわけだが、それにしても休みの日にわざわざ富士の麓まで遠出して、ゴルフをしているなんて誰が想像できただろう。

 学生時代。プロのゴルファーを目指していたし、プロテストもいくどか受験した。それでも、その緊張感に耐え切れず、スコアが伸びない結果に終わるのを数回繰り返した後、向いていないんだなとその道を諦めた。後悔はしていない。あのまま頑張り続けたとしてもつらい毎日だっただろう。こうして、就職して、それなりに給与をもらって、休みの日にゴルフで接待するくらい。たぶんどうってことない。

「ナイッショ!」

 先輩が上機嫌で取引先の部長のショットに声を上げる。ほら、お前も声出せよ。と肘でこちらを小突いてくる。

「ナイッショ!です!」

 仕方なしに声を出す。取引先の部長はこちらをじろりと見る。

「さっきの君の方が、ナイスショットだったよ。本当に得意のようだね」

 わかっているな。そう言っている視線が、さらにこの場から消えてしまいたち気持ちを大きくさせる。

「ええ。ありがとうございます。でも、たまたまです。あんなショットもう打てませんよ」

 すらすらとこんな言葉が出る様になったのはいつからなのか。思い出せもしない。昔からそうだったのか。仕事をしているうちに身に付いてしまったのか。

「おい。次のショットの距離調べてくれよ」

 そう先輩に言われてスマホを取り出してアプリを起動する。Wi-Fiも届かないこんな山の麓で起動なんてしたくないのだが、これも仕方のないことなのか。

 位置情報システムと、コースの情報からここから何ヤードなのか、傾斜はどうなっているのか、風向きは。それが一望できるアプリだ。

「139ヤードです。グリーンは下っているので手前に落として転がす感じですかね」

 そう伝えると取引先の部長は気合を入れて7番アイアンを手に取ると、静かに構えた。

 それは素人のそれなのだが、別に矯正する必要もなく好きに打てばいいと思う。スタンスからすでに右側に飛んで行ってしまうと知っていてもだ。

「よしっ!」

 気合を入れて飛んで行ったボールは案の定、グリーンの右側にそれていった。しかも届いていない。手前に落としてなんて言ったから手加減しすぎたのかもしれない。それでも取引先の部長は満足そうに見えた。

「いいところに落ちましたね。次はカップイン狙えるんじゃないでしょうか」

 都合のいいことばかりを言う先輩に感心すら抱き始める。いや、常に見ている姿だ。自分にも身に付いてしっている部分でもある。

「さあ、次は君の番だよ」

 そう言って取引先の部長はにやりとこちらを見て笑ってくる。

 うまく失敗しろよと言いたいらしい。癪に障るがこれも仕事だ。そう思ってアプローチに入る。

 いいのかそれで。こんなので満足なのか。そう自問自答するが答えなんて出るはずもない。出てしまったら、どんなに楽なのか。それとも……。

 あっ。つい力を抜いて体が思うがままにスイングしてしまった。身体に染みついた動きは正確にボールをとらえ、カップへと一直線に飛んでいく。先輩を横目で見ると慌てていた。どうフォローするか必死に考えているのかもしれない。

 カラン。

 遠くで入ったボールはそんな音を鳴らしたのか。ここまでは聞こえて来やしない。まぐれにしたって出来すぎだ。思わず空を見上げる。暗い雲は隙間すらなく太陽を遮ってしまっている。

 まるで、自分の心のようだなと。少しもすっきりしない心をギュッと掴まれた気がして、これから起こるすぐそこの未来を想像して、この場から消えてしまいたい。本当にそう思ったんだ。

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