19-お父さんと娘

 赤い電車に乗って品川駅に到着していた。


 品川で乗り換えると涼音の住む街(生活圏)から離れてしまうんだな。

 それは、涼音のところから帰る度に感じていたこと。

 ターミナル駅がもたらす不思議なボーダーラインをこの駅に感じていた。


「がんばれ! 夜には報告待っているから。」

「涼音さんが、涼音さんのままで僕に報告してくれるのを待っているから。」

 僕は彼女のそう告げてマンションを後にしていた。



 詳しい時間までは聞いていないけど、今日彼女の部屋に雪村(彼もどき)がやってきて、それで彼女は雪村との関係を終わりにするという。

 そして、彼女が自覚してるかどうかわからないけど、彼女の中で鏡(裏人格)との戦いがある。

 それらの報告を、僕はただ待つだけ立場。


 もしかすると、次に逢う涼音は今までの涼音とは違うのかもしれない。

 目の前の電車に乗り込めば栃木県の都宮まで僕の身体は運ばれていく。

 ……それでいいのか?。




 僕の脳裏に、今朝玄関で見せた彼女の表情が思い起こされた。

 不安を隠して、無理に笑顔を作りましたって顔。

 ……バレバレである、彼女が不安でいっぱいなのは一目でわかっていた。


 長い電車が目の前を走り去っていく。

 ……僕は電車に乗り込む事ができなかった。


 心細く一人で戦おうとしてる涼音。

 今傍にいてやれなくて、何がお父さんなものか!。

 今傍にいてやれなくて、どうして守れるものか!。


 僕は自分の親バカ理論に苦笑しながら再び赤い電車に乗り込んだ。

 そしてメッセージを送る。

 

――――――――――

父さん心配性だから、もう1日こちらに居る事にする

一度そこへ戻るよ

別れ話の時は近くのカフェにでも行くさ

―――――――――






 私はお父さんを見送り、フラフラとリビングに戻ると、床のクッションにペタっと座り込んだ。

 椅子を見上げる。

 でも、そこにさっきまで居たお父さんはいない。

 ゆっくり部屋の中を見回してみる。

 何処にもお父さんはいない。


 見送ったばかりなのだから、それは当たり前なのだけど…。

 私は、何処かにお父さんを探していないと不安に押しつぶされそうだった。



 お父さんの言うように、彼(雪村)との関係は私が決着をつけるべき。


 私は彼のことを嫌いではない。

 好きかと問われれば、今はわからない。

 彼への気持ちがわからない、すごくモヤモヤする。

 それは、私がそれを知る事を、何かが故意に妨害してるような…。

 私の気持ちなのに……見えない。

 見てはいけないもの?


 でも、私の心は明確に彼を拒絶している。

 彼が間もなくここに来るというだけで、私の震えが止まらない。

 彼と付き合い続けたら私は壊れてしまうだろう。




 本当は……、私は壊れても良いと思っていたんだ、最近までは…。

 ううん、私はずっと自分が壊れる事を心のどこかで望んでいた。


 そんな時に私はお父さんと仲良くなった。

 お父さんは「涼音さんが壊れないように僕が守るよ」と言う。

 ゲームでのお父さんは皆の盾だった、いつでもカッコよく、時に驚くような策を巡らて私達を守ってくれていた。

 まさか、そのお父さんが本当に私の盾になるなんて……。



 少し前までは絶対秘密だった私の多重人格。

 多重人格なんて知ったら、気味悪がって誰もが逃げていくと思っていた。

 だって、私自身が怖いんだから……。

 他の人にとっては、もっと怖く気味が悪いものに違いないと考えていた。

 だから誰にも知られないように今日まで生きてきたのに。


 今にして思えば、私は油断していたのだろう。

 お父さんに多重人格だというこがバレてしまった。


 お父さんに知られたことで、自暴自棄で全てバラしてしまったけど。

 そんな私を「多重人格の私のままでいいよ」と受け入れてくれた。

 そして、本当に壊れそうな私を守ってくれている。


 それでも、はじめは少しだけ頼って離れるつもりだったのに…。

 お礼に一発やらせればいいよね、なんて考えていた。

 私に近づいてくる男なんて、所詮そんな奴ばかりだったから。


 ……なのにお父さんは、私と同じベットで過ごしても身体を求めてくることはなかった。キスして抱きしめてはくれるのだけれど…。

 もしかしてED?そんな考えも頭をよぎった。


 でも、気付いたんだよね、お父さんの身体はちゃんと反応してるってこと。

 いつもかどうかはわからないけど、抱きしめられてる時に気付いた事があった。

 女としてのプライドと私の男性観が肯定された喜びを感じたけど、同時にお父さんへの疑問が深まった。

 どうして抱いてくれないの?



 私を本当の娘のように思っている?

 奥さんがいるから我慢してる?


 たぶん、どちらも正解のような気がする。


 そう、お父さんには奥さんがいるから、きっと私がどんなに欲しがっても受け入れてくれない。お父さんはそういう男なのだろう。


 そう考えると胸が苦しくなる、自分の中に何か汚い感情も浮かび上がってくる。。

 このまま一緒にいると、きっと私はお父さんによって壊される。

 だから私は彼との別れを決意した。


 頼り続けると、お父さん無しじゃいられなくなるから。

 その結果、私はたぶんお父さんへの叶わぬ願いで壊れてしまうから。

 お父さんが今心配してくれている事……。

 私が彼との事に決着をつけたら、たぶん、お父さんに頼らなくても大丈夫じゃないかなと考えた。


 今までは、お父さんという存在が無くても生きてこれたのだから…。

 彼との対話の時もはっきり言っていた「元々手を引くつもり」と。


 自分が壊れる事を望んではいるけど、お父さんによって壊されるは嫌なの。

 すごく悔しいの。

 

 だから、お父さんに頼るのをやめる為に、私は彼と別れる事を決意した。


 結局私は、自分が大切。


 ……なのに怖い。


 よく見えない彼への気持ち。

 私はどうして彼と付き合っていたんだっけ?

 私は彼の前で冷静でいられる?、私は彼の前で私のままでいられる?

 彼と別れ話をすることで、私が私では無くなってしまうような不安がどうしても消えない。


 彼と別れた後で、私はお父さんの手を離せるの?

 その時も私は私のままでいられるの?


 ……怖い、……怖い、……怖い。


 震えが止まらない。


 私はどうなってしまうのだろう?



 携帯端末のメッセージ着信音が鳴った。彼から?

 勇気を出して開いてみると、それはお父さんからの「戻る」メッセージだった。

 それを見た瞬間、私の身体から力が抜けて床に倒れ込んだ。






 11:10


 まだ雪村が到着してないのを確認して、僕は涼音の部屋に入っていった。


「おかえりー!ほんと親バカなんだから。」


 思ってたよりも明るい声に出向えられて入室すると、僕は彼女を抱きしめた。

「うん、親バカだから、近くで見守る事にしたよ。」


 しばらく抱きしめていたいけど、いつ雪村が来るかわからないので時間がない。


「マンションの鍵を僕に貸して。」

「え?どうして。」


 僕は、別れ話はやはり二人っきりですべきだという事を告げた。

 そして、僕はその間は外で時間潰ししてるけど、何かあったら踏み込めるように僕に部屋の鍵を預けて欲しいと説明した。


 こうしてる間にも雪村が到着して、僕と鉢合わせしたら超面倒な事になるのは予想できるから、僕は焦っていた。

 僕は彼女から鍵を受け取り、「何かあったら連絡ちょうだい!がんばれよ」と彼女の頭を二度ポンポンして部屋を飛び出していた。




 近くの公園に足を運ぶ。

 陽春、満開の桜、お散歩する人々、犬も散歩してる…、なんて平和なんだろう。

 今日がこんな日じゃなかったら、涼音と一緒にお散歩したいなって思えた。

 日陰のベンチに腰をおろしてタブレット端末を取り出し、ニュースチェックをする。


 うーん、やっぱり日本の株価も下がってきてるな、景気悪くなりそう。

 来年の仕事に復帰する頃には回復してるといいのだけどね。

 僕の所属してる広告業界なんて、景気悪くなると真っ先にコストカット…値下げ要請が来るところだからね。



 僕は意識して嫌なニュースから目を背けて、再び桜満開の陽春の公園に目を向けた。今まで何千回、何万回やったかわからないこと、視界でシャッターを切るという撮影シュミレーションもどきをやっている。僕はプライベートでは重いカメラなんか持ち歩かない、カメラを持つと仕事してる気分になってしまうから。

 好きな事を仕事にしちゃイケないって言葉が浮かぶけど、贅沢なのかな?。でも視界の中で構図を考えてシャッターを切るというクセはいつでも健在だった。

 実のところ、涼音を視界に納めて何度シャッターを切ったかわからない。きっと数百回ってレベル。


 そんな事を思い出したり考えたりしてるとメッセージが着信した。


――――――――――

彼もどきから連絡あった

14:45生米駅着の電車だって

――――――――――


 時計を見るとまだ12:28。

 うん、思ったより余裕あるね。


―――――――――――

思ってたよりゆっくりだね

一度戻るよ

―――――――――――


 僕は返信して再び涼音のマンションへ向かった。



 預かっている鍵を使って部屋に入る。

「ただいま」


 ……返事はない。



 リビングへ行ってみると、涼音はインターホンの下でうずくまり、虚ろな目で震えていた。

 こんなに怖かったんだ、こんなに心細かったんだ…。

 これはショックとかパニックの状態だよね…。


 僕は腰を降ろし、その場で彼女を抱きしめた。


「大丈夫だよ。おちついて。」

「……うん。」

 小さく震える声で返事が帰って来た。


「ほんと、ポンコツ娘!しっかりしなさい!」

 僕はさらにぎゅっと彼女を抱きしめた。


「もう少しこうしているから、充電しなさい。」



 窓から光が差し込んで明るい筈なのに、部屋の中が暗く寒く感じた。

 外が明るくて暖かいから、そう感じるのだろう環境のコントラスト。

 彼女の心のように……。


 ……こんな中で彼女は一人でがんばっていたんだね。

 防音の効いた部屋の中には、時々近くを走る電車の音がかすかに聞こえるだけだった。


 15分くらい僕は彼女を抱きしめていた。


「お父さん、もう大丈夫だよ。」

 彼女は僕から離れると、いつものクッションのところへ移動した。


「これ、僕の時計、いつも肌身離さず5年以上愛用してる時計。」

「この時計をポケットの中に入れておいて、辛くなったらポケットの中で握るといいよ。」

「気休めだけど、お守りみたいなものね。」

 僕はそう言って腕時計を外して彼女に渡した。


「ありがとう。預かっておくね。」

 彼女はすぐに僕の時計を言われた通りポケットにしまった。


「思ったより時間が遅くて拍子抜けしちゃったよ。」

「お茶でもしようか?」


 僕は熱いお湯を沸かして、ティーカップにダージリンのティーバックを落とした。


「少しだけお砂糖入れるといいよ、こういう時は頭に栄養が必要でしょう。」

 彼女は、お砂糖を入れてティースプーンで紅茶をかき混ぜる。


「お父さんって、ほんと親バカだよね。」

 彼女に少し笑顔が戻っていた。


「娘がポンコツだからだよ。」




 14:00

 僕は少し早めに部屋を出る事にした。


 僕は部屋を出る前にリビングのカーテンを三分の一だけ閉めた。

 もしカーテンの状況が外から見て変わってたら、僕が踏み込むからね。

 だから何かあったら、カーテンを動かすか電話するようにと伝えて部屋を出る。


 僕はマンションを出ると、8階の彼女の部屋のカーテンの見え方を確認してからカフェへ向かった。


 何事もなくスムーズに別れ話が済むと良いのだけど。

 そして気がかりなのは、それと同時進行する気がする鏡(裏人格)と涼音達(表人格)の戦いだった。

 今になっても、それがどういうものなのか僕には全く想像できない。


 もう一度心の中で応援した。

 が ん ば れ 涼 音 !





 16:30

 カフェでお茶してたけど、すでに3度追加注文している。

 思い起こしてみれば、カフェで追加注文してまで粘るなんてしたことなかったかな。

 雪村(彼もどき)は午後3時くらいには到着して話を始めてる筈だろうから、そろそろ終わるだろうか。


 僕は一度カフェの外に出てマンションの近くまで歩き、マンションの窓を確認した。

 カーテンに変化はない。

 電話の着信もない。

 まだ続いているのか……。

 思ったよりも長いな。

 どんなに見つめても、8階の部屋の中の様子を感じる事さえできない。


 そのまま夕方の公園に足を運んだ。

 お昼に来た時と違い、公園の空気は少し肌寒い。

 お昼には、青い空とのコントラストがはっきりしていた桜の花も、この時間になると淡くなってきている。



 予定を変更して帰宅せずに生米(涼音の近く)に留まったわけだけど、こうして外にいると涼音と雪村がどんな話をしているのか想像もできない。

 僕やっぱり親バカ過ぎたかな、帰宅して報告を待っていても同じだったのではと思えてきた。




 17:00

 たぶん話が始まって2時間、さすがに心配になってメッセージを入れてみる。


――――――――――

疲れた

――――――――――


 もし雪村に見られても問題ないようにメッセージを送ってみた。

 返事は数分後にきた。


――――――――――

大丈夫、もう少し

――――――――――


 返事を見て安心した。

 僕はその短いメッセージから、送信したのは僕の知ってる涼音に違いない、別れ話も順調なんだと思えていた。




 18:30

 まだ終了の連絡はない。

 途中でマンションの窓を確認したけどカーテンに変化はなかった。

 部屋に灯りが灯っていたけどね。

 17時過ぎの「もう少し」というメッセーじから1時間半くらいになる。

 さすがに19時になっても連絡がなかったら涼音の部屋に行ってみようと思ってメッセージを送る。


――――――――――

19時になったら戻るよ

――――――――――


 返事はなかった。



 18:45

 そろそろ公園からマンションに向かって移動を始めようとしたら、電話の呼び出し音がなった。

 涼音からの着信だ。

 安堵した。やれやれ、やっと終わったのかなとため息。

 一呼吸おいて電話を接続する。


「みー! みー! みー!」


 みーちゃんの強い声が聞こえてきた。

 言葉を話せないみーちゃんが、電話をかけてくるなんて緊急事態以外はありえない。


「みーちゃんだね、どうしたの?」

「みー! みー!」

 必死に叫んでるように聞こえる。

 みーちゃんが何を伝えたいかはわからないけど、一つだけわかる。僕を呼んでいる!


「みーちゃん、すぐに戻るから待ってて!」


 僕はそう言って電話を切ると、暗くなってきた街へ全力で駆け出していた。

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