9-賭けは不成立

 拘束を緩めた途端、彼女は四つん這いで獣…猫のように駆け出す。

 僕はそれを慌てて追いかける。


 彼女はベットに乗ると、ぬいぐるみを物色する。

 その間も彼女は「みーみー」と猫の鳴きまねのような声を上げ続けている。

 コレって猫の人格?もう理解の許容オーバーよくわからない。


 彼女は鳴きながら猫のぬいぐるみを見つけると、それを優しく大切そうにベットの真ん中まで抱きかかえて移動して、嬉しそうな声で鳴きながら横になった。

 そして鳴き声が止まると、猫のぬいぐるみを抱いて眠る彼女の姿があった。


 まいったな……。

 これも涼音の中の人格なのだろう。

 僕もいろいろありすぎて、ちょっと疲れた。

 僕はベットで眠る彼女に寄り添うように横になった。


「いつきさんて……。いつきさん……。」

 意識の外から呼ぶ声が聞こえる。

 眠っていたらしい。


「うん……、なぁに?えっと涼……違う由比ちゃん?」

「あたりー!」


 目を開くと、目の前に彼女の顔がイタズラっぽい顔で覗きこんでいた。

 近い!正直ドキッっとした。


「由比ね、いつきさん来てくれて、とっても嬉しいんだ。」

「あはは、そりゃ あ り が と。」


 ベットの上でこれだけ顔が近いとドキドキ収まれってのがマジに無理ゲー。

 なんとか冷静なフリをして返事していた。

 二人は横になっているんだけど、僕の胸のあたりから見上げるようにイタズラっぽい視線を向けてくる。


 コレ、絶対に確信犯だよね。

 角度まで計算に入れて僕を誘惑……いや、イタズラしてるようにしか思えない。


「さっき、猫みたいに『みーみー』鳴きながら四つん這いでここ(ベット)に駆け込んでたんだけど、あれは何?。」

平静を装って質問する。


「あ、それはね みーちゃん。」

「みー みー ってしか言わないから みーちゃん」

「あは、わかりやすい名前だね、やっぱりアレも人格だったのね。」

 彼女はイタズラっぽい視線を全く外さない。


「お願いだから、その目で見つめるのやめて!」

 たまらずお願いした。


「どうして?」

 彼女は目線を外さずに聞き返してくる。

 それどころか、少し離れてた身体を僕にすり寄せて来る。


「いや、そのかわいい目で見つめられたら、僕おかしくなっちゃうから。」

 内心は理性のタガが外れる直前。


「どうなっちゃうの?」

 彼女は相変わらずイタズラっぽく見つめている。


 ヤバイ。

 でも、確か由比の人格年齢設定って小学生か中学生くらいじゃなかったか?

 実際に目の前にいるのは23歳の身体なんだけど…。


 ……どうしてこうなった。



 たぶん10分以上そんなやりとりが続いていた。

 そして僕の中の何かが切れた。


「もう、由比ちゃんのせいだからね!」


 そう言って僕は彼女の頭を手の平で挟んで引き寄せた。

 そして、唇が触れる。……抵抗はなく、彼女はそれを受け入れる。

 二人は抱き合って唇を何度も何度も重ねていた。



 僕はやってしまった事は絶対後悔しない、そんな暇あるなら次の策を考えて行動すべきだと思うから。それでも、由比という本人とは違う人格とキスした事への罪悪感が残った。キスで止まったのは、その罪悪感のせいかもしれない。

 

僕達はそのまま抱き合って、ただベットの上で横になっていた。



「お父さん?」

 しばらくして呼ばれた。


「あ、涼音さんか?」

「うん。」


 僕はベットの上で寄り添って横になったまま、これまでの出来事を話した。

 由比に誘惑されてキスした事も正直に話した。

 何を言われるかと少し怖かったけど、彼女は何も言わなかった。

 実際、服は着たままだけど、二人でベットで抱き合って眠っていたのだから、目が覚めた時点で察していたのかもしれない。


 でも、不思議とその後の涼音との会話はギクシャクした感じがなくスムーズだった。男女ってやはり、こういうものなのかな、キスした事で二人の間の壁がなくなったような不思議な感覚があった。



 寝物語のように聞いた彼氏の話をまとめると、やはり彼氏との同居は絶対いや、というより話を聞く限り同居すれば彼女が壊れると思われた。


 今の彼女は彼氏以前に、誰かと同居生活に向いてないのだ。

 自分の行動、生活に他の人が深く関わって侵入すること彼女は嫌う。

 短い期間なら我慢もできるけど、それがずっと続く同棲は耐えがたい事。

 そのかわり、自分も他人のする事に干渉することいは極力避けるという生き方らしい。


 これは我がまますぎる事なのかもだけど、僕自身が似たような理由で離婚してるので、その感覚は理解できる。

 それに加えて、彼女は多重人格であるという事は絶対に知られたくないというのがある。同居すればバレる可能性はすごく高い。僕でさえ偶然に知ってしまったのだから。


 じゃ、彼女にとって彼氏とは?。


 彼女はその可愛い外見もあってか、今まで自分から男性にアタックした事はないという。いつも男性から申し込まれ、そして付き合ってきたらしい。

 残念ながら、ここは僕とは真逆で、僕は自分が好きな女性にアタックして付き合ってきた。

 恋してたり、好きあっていれば自分への侵入や干渉も許すし、相手にも干渉するものだと思う。それは、僕自身がそうだったから……、結果窒息した僕だけどね。それでも、ここまで明確な拒否反応はなかった。


 結局、彼女は相手から告られて付き合ってはいるけど、実は恋なんかしてないし、それほど好きじゃないんだろうかと思えてきた。それが、彼女の年齢にしては多い付き合った男性の数につながるのだろうと思える。

 数ヶ月程度で別れを繰り返すのは、実は恋なんかしてないから、試しに付き合みたと考えれば理解できる。


 今の彼は、彼女としては長く付き合ってる方だと言う。

 でも、その彼に対して「嫌いじゃない」とは言ってるけど、彼女の心は明らかに彼氏から離れていた。心が離れるどころか、同居するくらいなら自死すら選択肢に入れるという。

 涼音の心だけじゃなくて、中の人格も彼の事を好いてないことを僕は知っている。少なくとも、由比や月乃は嫌っている。


 たぶん、彼女は付き合ってる男性と別れるのは苦手ではない。

 褒める事ではないが、彼女の付き合った男性の数は、別れてきた数なのだから。

 それなのに……。

 どうして彼女は今の彼とは別れないのだろう、と思えるほどに彼女の心は彼から解離していた。


 実は、僕には理由に心当たりはあるのだけれど、時間が遅いので今夜はそのまま眠る事にした。



 眠りの入口で僕は呟いた。

「涼音さん、はじめてのキスは由比ちゃんの人格の時じゃなくて、涼音さんの時にしたかったな。」


「キスしたの私、涼音だよ。」

「え!!」


「キスする直前まで由比だったけど、キスしたのは私だよ。」

「どういうこと?」


 話を聞くと、僕を誘惑してたのは由比で、キスする寸前に由比が強引に涼音に代わったらしい。

 さらに……、僕が手を出すかどうか、中の人(人格)達で賭けが行われていたらしい。僕が手を出さないに賭ける人がいなくて、賭けが成立しなかったとか。

 僕って信用がなかったのねと少し悲しくなった。いや、たぶん僕は彼らには勝った、キス以上はしなかったのだからギリギリ勝ったと思う。


 それにしても……。やられた感満載。……でも怒りの感情は出なかった。

 だってキスしたのは涼音本人の時であり、由比の人格の時にキスをしたという変な罪悪感から解放されたのと、キスした後で僕は涼音との間の壁みたいなものが消えて、スムーズに話す事ができたので、感謝すら感じていた。


 こうして、涼音との最初の1日は波乱万丈であったけど心地よく幕を閉じた。





 翌日は遅い目覚めとなった。


 実は僕も涼音も小食で、1日1食だけで良いというのは以前の会話で知っていた。

 身体が持つのかと言われれば、昼間は少し甘い飲み物を取るようにしてる。

 ミルクティとかね。僕はそうしたドリンクを点滴と呼んでいた。身体の為に必要な栄養やたんぱく質は夜にしっかり食べて摂取、日中の行動に必要なカロリーと水分はドリンクで摂取するって考えだった。たぶん、栄養学的には勧められるモノではないだろうけど、僕はこの食生活を続けても健康診断は近眼の目を除けばオールA。


 涼音がどういう理由かは知らないけど、僕のそんな話を聞いて一言呟いた。

「やっぱり変な人。」


 そんな二人なので、ドリンクと少しのお菓子を口にしながら話していた。



 僕は昨夜考えた事をぶつけてみた。

「いろいろ理由つけてるけど、彼氏と別れられないのは、今の彼氏に限らないんだけど、彼氏という存在がないと寂しいからでは?」


「……バレバレね。」

 彼女は肯定した。


 恋に恋するというのも不幸な結果になることが多いけど、コレもあまり良いものではない事を僕は知っていた。それを僕は口には出さなかったけど、ちょっと嫌な依存の一つだと考えた。

 口に出しても指摘しても、多分無駄になる。だって、彼女自身判ってる事なんだから。


 これはちょっと様子みるしかないかな。

 でも今は3月中旬、彼氏が同居を計画してる5月なんてあっという間に来る。

 そうは考えつつも打つ手がないので、保留することにした。


 僕はそうした事を頭の片隅に留めつつ、涼音といろいろ会話をしていた。

 多重人格以外にアダルトチルドレンというのを念頭においてた僕にとって彼女の語る家族の話はとっても重要なものだった。


 父母と妹がいるらしい。

 母とは仲が良く、今でも頻繁にメッセージアプリで上でまるでお友達のような会話をしているらしく、またその中身を嬉しそうに僕に見せてくれた。妹とも仲良く、そして父の事を尊敬している。


 僕の考え(アダルトチルドレン)が見当違いだったかな?

 でも、父がやたら厳しく、ほとんど遊んでもらった記憶はないけど、叱られた記憶は強烈に持ってるらしいこと。そして仲が良いと言ってる妹の話題が極端に少ない事って事は気付いた。さらに、彼女の実家は電車で1時間半くらいの距離なんだけど、もう5年以上実家には戻ってないという。


 まだまだ情報が少なくて断定はできないけど、情報として覚えておくことにする。



 また、僕が知らなかった問題として、最近、職場での人間関係が上手くいってなく辛く、また疲れが倍増してるらしかった。これも彼女に言わせると「相当キツイ」とのこと。確かに音声チャットしていて、仕事の愚痴を聞く事は少なくなかった。


 彼女の周囲にはいろいろな問題要素が重なっていると改めて感じた。

 考慮すべき要素が多いほどやる気が出るのは分析攻略屋の性だろうか。ゲームじゃないんだから、こんな考え方失礼なんだけどね。




 お昼過ぎた頃だった、まさかの急展開が発生する。


 彼氏から連絡がきたのだ。

 日曜日の午後に彼から連絡が来るのは珍しい事ではないというかアタリマエのこと。

 でもその通話を切った後の彼女の様子が一変した。

 魂が抜けたように虚ろに固まった。

 声をかけても、反応してくれない。


 数分後にやっと言葉を発した。

「…別れるかも。」


 あんなに昨夜、別れに対して抵抗してた彼女の口から驚きの言葉が漏れた。

 話を聞いてみると、彼が彼女の生き方を踏みにじるような地雷に触れたらしい。

 でもこれはチャンスかもしれない。


「そうだね、そう思えたのなら、別れた方がいいと思うよ。」

「昨日から言ってるように、僕は別れる事に賛成するしね。」

 何度か暗示をかけるかのように言葉をかけた。


 彼氏の件は、僕が直接絡むと面倒な事になる未来しか見えないので、アドバイスに徹して彼女自身に動いてもらうしかない。



 夕食を外で食べて、コンビニでお菓子とドリンクを仕入れて部屋に戻った。

「ねぇ、涼音さん。」

「りさちゃんを呼び出せる。」

「うん、できるよ。」


 二つ返事で引き受けると彼女は数秒魂が抜けたようになった。

 カクっと下を向いた頭が、ピョコンと元に戻る。


「お兄ちゃん?」


 聞き覚えのある懐かしい声。

「りさちゃん、お久しぶり、覚えてるよ。」

「僕ね、いつきって名前だよ。」


「うん、昨日からみんな大騒ぎしてるから知ってるよ。」

 ……僕のことで大騒ぎですが、賭けが行われていたのも知ってるけど。

 というか、りさも僕が手を出すほうに賭けてたってこと?不参加でありますように。


「りさちゃんと約束してたでしょ、お菓子買って来たよ。」

「わぁ!、ありがとう。」


「どれでも好きなの選んで食べて。」

「うん。」

 りさは嬉しそうな笑顔でコンビニの袋からお菓子を取り出して食べ始めた。

 僕が涼音さんのが多重人格を知るきっかけになった別人格が りさちゃん。声の印象の通り、中の彼女は幼女であるという。あの後、気にかけていたけど逢えてなかったら、今こうして目の前でお菓子食べて貰えて良かった。


 うん、やっぱり可愛い。

 冷静に考えると、中身幼女、外見23歳状態なんだけどね。

 僕は……、たぶんそういう趣味ない……と自分では思ってる。


「また今度お菓子買ってくるね、機会があったらお外にお散歩にも行こうね。」

「お外も連れてってくれるの?」

「うん、今じゃないけどね、約束するよ。」


「それじゃ涼音さんと交代できるかな」

「うん、待ってて」


 また数秒、魂が抜けたようになり、そして涼音が戻ってきた。

 最初に逢えた りさちゃん、約束果たせて良かった。

 また新しい約束しっちゃったけどね。




 その日の夜。


 土日なんてあっという間、明日には帰るので時間はない。

 日課のゲーム終了から約1時間の放心状態の後に、もう一つの問題に触れる。

 SNSの友人 のかちゃんの突然アカウント消し失踪問題。


 SNSあるある話しなので、普通なら過剰反応という線で終わってしまうのだけど。問題は、のかちゃんが彼女が原因で自殺した友人にそっくりだったということ。

涼音は のかちゃんの中にその友人を見ていたのだろう。

 正直なところ、明らかに彼女のトラウマに触れる話題なので、今まで保留してしまっていた。

 それに、たぶん…、いや確信してるのだけど、この問題には解決方法がない。

 消えた のかちゃんもはもちろん、自殺した友人なんて絶対戻らないのだから。

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