6-リストカット
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いつも通りに桜花達との楽しいゲームプレイの後お風呂に入ろうとしてると、いつもより早いこの時間に音声チャットで涼音(桜花)にコールされた。
「涼音、今夜は早いねどうかした?」
「ごめんね、今日は話していたくてさ、大丈夫?」
いつものサバサバした涼音ではなかった。
「……うん、また、嫌ことあってさ。」
実は昨日もちょっとネガティブな話を聞いていて心配してたけど、少し前まで一緒にプレイしてたゲームでは普通だと感じられて安心してたんだけど。何があったのだろう?。
「昨日の件で何か変化あったの?」
「あ、あの件は何も変わってないよ。」
「実はさ、今日、彼から連絡があってさ。」
「5月から一緒に住もうって言うの。」
「うん、そうなんだ。」
ここ数日の夜の会話で、彼氏とうまく言ってない事は感じていたけど、これって嬉しい報告じゃないのかな。
「ずっと準備をしていたって言うんだ、酷いでしょう。」
「うん?」
「普通さ、事前に当事者である私に聞いたり、言ったりするでしょ?。」
「私の考えを何も聞かないで勝手に準備はじめていて、5月から一緒に住もうって言うの。」
「そうだね、普通は都合もあるし、事前に聞いてお互いに相談して決める事だよね。」
彼女の訴えに対して、差しさわりのない返答をしてみた。
「ずっとほっといたクセにさ、こういう事だけ勝手に決めてさ、酷いよね。」
「うん。」
彼と彼女の関係には下手に関われない。ここは生返事を返す。
「だいたい、私はね他の人との同居なんて無理なんだよ。」
「え?」
その後、彼女は彼と同居したくないという理由を僕に必死に説明してきた。
彼とは以前にやってたゲームで知り合って、付き合って約半年くらいだという事。
最近仕事が忙しいとかで、呼んでも滅多に来てくれず、放置されれた事。
そして、彼女は昔から他人と同じ空間で過ごす事が苦手で、短時間なら良いけれど、ずっと一緒に暮らすとか考えると我慢できないとの事。
イラストの作成とかしてる時に他人がいると気が散って全く書けなくなるという事。
ついでに、僕との音声通話は不思議と全く邪魔にならないという事。
「……もう死にたい。」
「死のうかな。」
最後には物騒な事まで言い出す。こんな事言ってる人って死なないんだけどね。
好き合ってる彼との同居にここまで拒否感を持つって、普通なら違和感を持つのだろうが、好きあっていた元妻との生活で息苦しさを感じていた僕には理解できる感覚であった。
僕、そして涼音もだろうけど、どんなに好きな人でも、いつも深く関わっていられると息苦しくなる。二人の時間も欲しいけど、一人だけの時間、一人だけの世界を犯されたくない。必要以上に自分の世界に干渉して欲しくないのだ。
そして、彼女には絶対知られたくない多重人格の問題もあった。
「勝手に準備してて5月から一緒に住もうって酷い!」
「一緒に暮らすなんて絶対耐えられない!」
「もう死にたい、死んでやる!」
そんな内容の話を彼女は何度も繰り返していた。
「彼と話し合って、将来的には一緒になるにしても、もう少し待ってもらえばいいのに。」
教科書的にアドバイスするけど、どうも話し合える状況ではないのかもしれない。
そして、だんだん「死にたい、死ぬしかないかな。」という言葉が増えてくる。
彼女の同居できない理由も理解できるけど、あくまでも彼と彼女の問題であり、僕がアドバイス出来る事は限られている。
1時間も同じような会話を繰り返して、やがて彼女は唐突に静かになった。
寝落ちかな?
数分後に歩きまわるような足音が聞こえてくる。
「涼音さん。」呼んでみるけど返事はない。
「みんな嫌い。」
「死にたい。」
りさとは少し違う幼く、そして寂しそうな声が聞こえてくる。直感的に人格が変わったなと感じる。
「君は誰?」
返事はなく、歩きまわり続け、そして品物を物色するような音が聞こえてくる。
「みんな嫌い、大嫌い!」
「死にたい。」
そんな言葉を涙声で呟きならが歩きまわり、周囲を物色する物音が聞こえてくる。
やがて、静かになる。歩き回るのを止めたようだ。
カチカチ…… カチカチ……
聞き覚えのある音が聞こえてくる。
これはカッターの音だ。刃を出し入れしてるのか、何度も音が聞こえてくる。
やがて、幼い寂しそうな声が聞こえてくる。
「……切りたい。」
「ダメ!」
反射的に言葉が出るけど、その言葉は抑止にはならなかった。
「いたっ!」
聞き覚えのある声で悲鳴が聞こえた。
「いたた、やっちゃった。」
「涼音?」
聞き覚えのある声に名前を確認する。
「うんそうだよ。」
涼音に戻っていた。
「リストカット? 切ったの?」
「うん、切れてる、止血するからちょっと待ってて。」
「うん」
再び動きまわる足音と何か物音がする、止血してるのだろう。
「おまたせ。」
涼音が普通に声をかけてきた。
「大丈夫?」
「うん、時々あるから慣れちゃってるよ。」
その後で、僕は数分前の出来事を説明した。
説明を聞き終えると涼音は口を開いた。
「まおって子なんだ、私が苦しんでると出てきて切るの。」
「うん、幼いけど声だけど、りさちゃんと違って寂しそうだった。」
「まおはね、切るだけ切ってすぐに引っ込む、やっかいな子なの。」
「切って引っ込むだけ?」
「うん、切って引っ込むだけ、痛いのは私。」
「そりゃ、やっかいな子だ。」
「でしょう。」
「『まおのやつ、やりやがったな!』って感じだね。」
「そう、『やりたがった!』って感じよ。」
リストカット後なのに、二人の会話は今日一番楽しそうに声が弾んでいた。そして僕の中では、彼女はリストカットするほど追い詰められていたのかと、認識を改めずにはいられなかった。
突然声色が変った。
「いつきさんでしょ?」
聞こえてきたのは、少しだけ幼さが残るやわらかい声、子供の女の子のような感じ。
「うん、そうだよ。君の名前は何?」
「由比だよー。」
「由比はね、痛い時にでてくるの、痛みを引き受けるのが私なんだ。」
「そうなんだ、リスカしたばかりだけど痛くないの?」
「由比、慣れてるから全然痛くないよ。」
「そうなんだ。」
「いつきさん、月乃おねーちゃんと話してたでしょ。」
「うん、怖かったよ。」
「あはっ、あれでも月乃おねーちゃんは感謝してるんだよ。」
「え?」
絶対に嫌われてると思っていたから、意外すぎる言葉だった。
「あるじ(主人格)が最近安定してるのは、いつきさんのおかげって思ってるよ。」
よく判ってないけど、そうなんだと最近の事を思い返していた。
確かに秘密がバレて何でも話してしまえる僕の存在は、涼音のストレスを吐き出すのに少しは役立ってるのかもしれない。
先程までの事があったので、由比に質問してみることにした。
「由比はあるじが付き合ってる彼氏の事をどう思う。」
「嫌い」
即答で返事がきた。
「あの人が来ると由比の出番が増えるから嫌い。」
痛みを引き受ける由比の出番が増えるということは、たぶん彼が来るとリストカットなどが増えるという事なのだろう。物理的な事だけじゃなくて心の痛みも由比が受け止める役割あるのかもだ。
涼音が「大好きな彼」と言ってる男との関係性にいろいろ疑問を持たずにはいられなかった。
「あ、いつきさん。」
由比が話しかけてくる。
「うん?」
「あるじね、このままじゃ、もう少しで死んじゃうよ。」
突然の内容に驚いた。
死ぬとかは別としても、今の涼音は精神的にボロボロであることは間違いなかった。そして由比は、ほっといたら自殺とかしちゃうかもしれないと告げていた。変な話だけどれど、こういうのは本人が言うより身近な存在が言う方が説得力がある。
由比は、涼音の別人格……、これ以上ないというくらい身近な人。
「……僕にできる事は限られてるけど、少しでも助けになるように、出来る事はしていくつもりだよ。」
この言葉は本心だった。
「うん、いつきさん、あるじをよろしくね。」
リストカットするだけの まおと、痛みを引き受ける役割の由比の存在。
多重人格は「主人格(あるじ)の受け止めきれないモノを受け止める為に生まれる」という何かで見た知識を思い出して、二人の存在理由を納得していた。
この会話をしていて、僕にはある行動をしたいという気持ちが生まれつつあった。
「あ!やばっ!」
由比が突然叫ぶ。
そして数秒後に沈黙の後。
「……こんばんわ。」
感情を排したような冷たい声が聞こえてきた。
たぶんあの人で間違いはないと思うのだけど、慎重に会話をすすめる。
「こんばんは、あなたは誰ですか?」
「もうお忘れですか?」
いちいち言い方が怖いんだけど、間違いなく月乃だよね。
「月乃さんですね、わかるけど念の為ですよ。」
「今日は涼音さん……、あるじに大変な事があったんだよ。」
「だいたいのことは知っています。困った事になりました。」
相変わらず怖いけど、僕の経験と直感は、こういう怖い人ほど味方につけなきゃだめだと教えてくれている。
「今日は まおちゃと由比ちゃんとも話したよ。」
月乃さんは怖いけど、がんばって話を続けてみる。
「はい、知っています。由比との会話を後ろで見ていて出てきました。」
「……私はね、今あるじの中に残ってる人格の中で一番古いんですよ。」
「もしかして、リーダーとかまとめ役みたいなもの?」
素直に感じた事を問いかけてみた。
「そうね、そんな立場かもしれません。」
当たりだ、月乃さんは怖いけど仲良くしなきゃならない人格の筆頭だと確信した。
そして、先程僕の頭に浮かんだ行動を実行する前に、僕は月乃に念押しする必要があった。
「僕は恋愛とは違う形で涼音さんの事を好きだし、大切な仲間だと思ってる、だから出来る事はして支えてあげたいんです。」
この言葉は昨夜月乃さんに伝えた事の念押し。
「そうですか、感謝すべきなのでしょうね。」
「いや、感謝なんていらないよ。」
僕は先程頭に浮かんだ行動計画を言葉にした。
「今の涼音さんは酷い状況だ。」
「もし涼音さんが望むなら、僕は涼音さんの所に行って近くで支えてあげようと思ってる。」
「そうですか。」
月乃の返事からは、あいかわらず無機質さを感じる。
爆弾発言したつもりだったのに、この反応は少し悲しいかな。
「だから誤解しないで欲しい、僕は家庭を壊す気なんてないし、恋愛の気持ちも持っていない。」
「はい、わかりました。」
ふっと思いたって、由比にしたのと同じ質問をしてみる。
「月乃さんは彼の事をどう思ってるの?」
「私も大嫌いです。あるじは、どうしてあんな人と付き合っているのでしょう。」
初めて月乃の言葉に感情が揺らぐのを感じた気がした。
「そうか、でも涼音さんの人生だから、仕方ないよね。」
「でも、このままじゃ、あるじは死んでしまいます。」
由比と同じく、あるじが死んでしまうと言う。
身近な存在が二人とも言うのだから、本当に危険なのだろうと思える。これ以上近いってのはないくらい身近な存在の二人が言う事なのだから。
「もっとも、私はあるじを殺してしまう存在なのかもですが……。」
意味はわからないけど、この言葉も強く印象に残った。
それにしても、人格は性格や好みが異なるという予備知識は持っていたけど、ここまで嫌われる彼って。多重人格と上手に付き合っているブログなどを見ると、主人格のパートナーは他の人格にも好かれているというものばかりだったから、改めて涼音の状況の困難さを感じてしまう。
「ねぇ月乃さん、お願いがあるのだけど」
「なんでしょうか?」
「涼音さん……、君たちのあるじは今日の出来事で精神的に疲れてるみたいだからさ、今日はこのまま邪魔せず朝までゆっくり眠らせてあげようと思うんだ。」
「だから、まとめ役である月乃さんにお願いなんだけど、今夜はあるじを邪魔しないで休ませてあげるように他の人格にも伝えて欲しいんだ。」
「……そうですね。今夜はそうするように皆に伝えます。」
「うん あがとう、そしてお願いするよ月乃さん。」
「月乃さん、いろいろ話してくれてありがとう、おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」
最後にはまた感情を排した冷たい声に戻っていた。
そして静寂が訪れる。
さて、月乃には涼音の元の行くと伝えてみたものの、まだ葛藤はある。
本当にそれは必要な事なのか?
僕がすべきことなのか?
彼女はそれを望むだろうか?
実際のところ、僕は涼音が神奈川県の何処かに住んでる程度にしか知らない。この点からも、望まなれない限り僕が彼女に逢うのは不可能だった。
僕は決断するまで動きが鈍いけど、一度決断すると実際にすぐに行動する人間だ。
そして月乃にはすでに言葉で伝えてしまったのだから、行動すべきだと自分を追い込む。もっとも、彼女から望まれないかぎり実行不可能な行動ではあるのだけど。
僕の涼音に対する行動原理が、ゲーム仲間から多重人格への興味へと移り、そして今日、別の感情に変化した事への自覚はこの時はまだなかった。
そして僕は寝る前に涼音にメッセージを送った。
―――――――――
涼音さんは今ボロボロだと思う。
強がりで、甘え下手で、がんばり過ぎちゃうのも知っている。
でも、今だけは強がりや甘え下手を捨てて素直になって。
「助けて」と言って甘えてくれるのなら、僕は君の所へ行って、直接いろいろ話をしてみたいと思う。
もし、それを望むのなら住所を書いてくれれば行きますよ。
お父さん
―――――――――
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