第82話 祈祷師の子カッシ 6

 マルは、ヒサリ先生のために書いた作文を返された時、ショックの余り涙をこぼしそうになった。

(ヒサリ先生は気に入らなかったんだ! 川の龍蛇がお話してくれた時、あんまりにも素敵だからヒサリ先生にも聞かせてあげたいと思った。けれどもヒサリ先生には全然面白くないんだ! カサンの精神とかカサンがどうやって強く立派な国になったかとかカサンにはどうやって鉄道が通り道が舗装され飛行機が飛ぶようになったかという話の方がいいんだ……。)

だけどヒサリ先生は最後にこう言ってくれた。内容はよく書けている、好きなだけ書いてきなさい、と。この時、マルが見上げたヒサリ先生の口元にほんの少し笑っているみたいに見えた。

(ヒサリ先生はおらのおみやげを喜んでくれている! たくさん書いて持って行ってもいいって言ってる! それならおらにはたくさん、たくさん、たくさん先生にあげるものがある!)

 マルはそう思うと、一目散に川べりに駆けて行きたくなった。しかし、足の動きは心の動きについて行けない。イボだらけの足は何度も躓き、その度にマルはひっくり返りそうになった。

 おじいさんは北の方からやってきた物乞いだった。マルは毎日、午前中のカサン語の時間を使っておじいさんに会いに行った。

おじいさんはマルの大好きなトゥラの話をしまいまで教えてくれただけではなく、北の町の事をいろいろと教えてくれた。北には、マル達の使うアマン語とは違う言葉、アジュ語を話す人達がいる。そして昔から北と南の国は仲が悪くてけんかばかりしていたけれども、ある時北と南の大きな戦争があって、北が戦争に勝って南を征服して「アジェンナ」という一つの国になったということも。このことはオモ先生も話していたので知っていた。けれども、このおじいさんがオモ先生も教えてくれない北の町の様子をいろいろ話してくれるのが面白くて、マルはいくら聞いても飽きなかった。北の大きな町にはレンガといって、自分達の肌に似た色の四角い石を積み重ねた大きな家が並んでいること、道の幅は広く、石で覆われていて、そこにはひっきりなしに人や馬や、自動車なんていう、人が作った乗り物が走っていること……。

マルはうっとりしながら話を聞きいた。いつかオモ先生と一緒に馬に揺られながら北の町を旅する事に思いを巡らせた。それから北の美しい都、タガタイに住むヤーシーン王子の話も聞いた。ヤーシーン王子の住んでいるのは目もくらむ程美しい王宮だ。床にはどこもかしこもきらきらした石が敷き詰められていて、噴水もあり、一年中涼しい。けれども王子様はとても孤独で不幸だ。周りの人達は彼の父親である王様にヤーシーン王子の悪口を吹き込んだり、中には殺そうとする者もいる。なぜならヤーシーンは王様の最初の子どもで、王位継承権を持っているからだ。邪悪な人達はそれを奪おうと狙っているのだ。マルはヤーシーン王子の話を聞きながら思わず口にした。

「可哀想な王子様。王位継承権なんて誰かにあげてこの村に来たらいいのに。イボだらけのおらの事は嫌かもしれないけど、他のみんな優しいから、きっと友達になれるよ!」

 するとおじいさんはフォッフォッフォッと笑い出した。

「なんのなんの、貧しい農民すら我々妖人を汚らわしいと言って避けるというのに。王子様とは、言ってみれば一番高貴で神聖なお方じゃ。そんな方が我々にお近づきになるはずがない」

「でも、穢れてたってみんな優しいよ。独りぼっちよりは友達がいる方がずっといいよ!」

「無邪気な子よ。そのような事は決して考えてはならぬ。王族と我々とは決して交わらぬもの。それこそ天と地のようにな」

(でも……)

 マルは心の中で思った。

(地面は天にいる太陽の熱を感じて植物を芽吹かせるよね! 夜になれば地はそのお返しに、太陽の寝床になってあげるんだ。そして太陽が寝た後は天も地もまるで友達同士のように同じ闇の色になるじゃないか!)

 マルはいつも、おじいさんが話し疲れて

「小さい子、少し休ませておくれ」

 と言って横になるまで話を聞いた。そしておじいさんがいびきをかき出すと、マルは立ち上がり、時間がある時は川の方に向かってゆっくりと歩き出す。少し歩くと、川の上にせり出すように建っている家がぽつりぽつりと見えてくる。この辺りにはかつて、もっとたくさんの家が立ち並んでいたけれど、洪水ですっかり流されてしまった。そして最近、また少しずつ家が立ち始めていた。

 ある日マルは、一軒の家の中から長い銀髪を垂らしたおばあさんがたらいを抱えて出て来るのを見た。そしてまるで龍蛇の背中のような巨木の根っこに乗ると、しゃがみ込んで洗濯物をじゃぶじゃぶと洗い始めた。少しして小さな裸の男の子が家の中から飛び出して、おばあさんの背中にしがみついた。おばあさんが「邪魔だよ」という風に体を揺すると、子どもはいったん家の中に引っ込んだ。かと思うと再び飛び出してきて、おばあさんが洗濯をしているすぐそばに向けて見事なおしっこのアーチを描いた。

「まあ、悪い子だねえ!」

 おばあさんは子どもの脚をパチンと叩いた。マルは思わず声を立てて笑った。その時だった。マルの耳に、川の中の龍蛇の声がはっきりと聞こえてきた。

「なあ、マル、あの二人の事、もっと知りたいと思わないかい?」

「思うよ」

「それならこれから話してあげよう」

「ああ、でも待って! 影がこんなに短くなってる! お日様が一番高い所まで来たんだ。もう学校に戻らなきゃ。午後の授業に間に合わなくなる。ヒサリ先生、時間を守る事は大切だって、いつも言ってるから」

「でもそんな事をしてどうなる? ヒサリ先生はしかめ面をしてるだけだろう? それより面白い話をおみやげに持って帰った方がヒサリ先生は喜ぶぞ」

「うーん」

「とっておきの話だよ。ヒサリ先生が笑ってしまうような話さ。お前はヒサリ先生の笑ってる所を見たいだろう?」

「そうだね。それじゃあちょっとだけ」

「それがいいさ。だってあの二人は実は血のつながりは無いんだ。あの子もおばあさんも洪水で本当の家族を失くしたのさ。お前のように」

「ええ、本当!?」

「よくごらん。あの二人はちっとも似てないし肌の色が違うよ」

 そう言って龍蛇は二人の出会いについて語り始めた。

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