第6話 妖獣の靴職人の子ダビ 6

 ダビは、シム先生の部屋の前で思わず足を止めていた。部屋の扉は開いていた。そして部屋の中には誰かもう一人、シム先生の向かい合わせに座っていた。ダビはその姿を見た瞬間、驚きの余り目を見張った。

(……あの人だ……!)

 それは、紛れもなく、昨日馬上からダビに道を尋ねたあの人だった。向き合っているシム先生も、いつもの怖い先生の表情ではなく、いくらかくつろいだ様子を見せていた。

「川のあっち側でしょ。あんな汚くて貧しくて治安の悪い所に行かされるなんて、あなた一体何をやらかしたのよ! まあ、私も生意気な人間だから、こんな僻地で土人を教えるはめになったけど」

「私はね、自分で望んであそこに行くことにしたの」

「ええ! 何ですって!? よくもまあ! あなたって人は本当に物好きね! まあ、あなたが昔から変わってたことは知ってるけど」

「カサン語教育をこの国の隅々にまでいきわたらせる事は政府の方針よ。なのに総督府は妖人達を教育の対象から外してる。おかしいと思わない? だから私、テセ学務部長に手紙を書いて、妖人地区に行かせて欲しいとお願いしたの。校舎になる建物も見つけてもらった。こことは大違いで壁も無いようなボロ小屋だけどね」

「あなたって本当に真面目なので。さすが偉大なるカサン帝国教師の鑑だわ! でもね、私に言わせればレベルの低い子供達に予算やエネルギーを注ぐのは無駄の極みよ」

「レベルの低い子供達なんかじゃないわ! 妖怪を手なずけたり、妖獣を捕まえてその皮をなめして靴を作ったり、そういう事には高い技術が必要よ」

 ダビは息を殺しながらその場に立ち尽くしていた。二人の話すカサン語は早くて難しく、ダビにはほとんど聞き取れなかった。しかしシム先生が時々発する「汚い」「貧しい」といった言葉が泥のようにダビの心に染みを作った。その言葉が自分達の住む場所と人々を表していることはなんとなく分った。一方、もう一人の女性はどうもシム先生の言葉に反対しているようである。ダビの視線は、自然にもう一人の女性に吸い寄せられていた

「それからね、私、数日前に、妖怪の言葉を操ると言われる物乞いの子が市場で歌っているのを聞いたの」

「物乞いですって!」

「まあそんな顔しないで聞いてよ。その子は英雄や妖怪の出て来る歌物語をたくさん歌っていたわ。あんな長いお話を覚えられるなんて、馬鹿には出来ないことよ」

 その女性はシム先生のように顔におしろいや紅を塗ってはいなかった。髪は頭の後で固くまとめられている。貧しい妖人の女ですら、この人位の年頃だと髪に花を飾るなどささやかなおしゃれをしているものだが、カサン兵士と同じ淡い土色の服を着たこの人は、そういった装飾品は一切身に着けていなかった。自然な黄土色の肌に乗ったキラキラと宝石のように輝く目だけが、唯一の装飾と言えた。ダビの視線は、まるで磁石に引かれるようにこの人から離すことが出来なくなった。その人は、部屋の入口から自分に注がれる視線に気づいたのか、ひょいとダビの方を見て

「あら」

と言った。同時にシム先生も首をねじりダビの方を見た。シム先生の顔はたちまちいつもの厳しい先生の表情に戻った。

「ダビッドサム、入りなさい! 黙って人の話を立ち聞きするのは失礼ですよ!」

「はい」

 ダビは部屋の中に入り、シム先生の前に立った。

「あなたは今日、教科書を落して汚したと言いましたね。教科書はカサン皇帝が私達に下さった貴重なものです! 雑な扱いは許されません!」

「はい」

 ダビはうな垂れたままシム先生のムチを待った。しかし、次にダビが聞いたのはムチのうなりではなく、もう一人の女の人の声だった。

「シム先生、お言葉ですが、彼が教科書を落したからといって叱るのは間違っています。この子は『森の際』地区から通ってる子でしょう。昨日川向うに行ってみたんですが、道路は舗装されてないし、ぬかるみだらけで足場が悪いのよ。いくら注意してもちょっとしたことで転んでしまうわ」

「そんな事を言って何もかも許して甘い顔をしていたらきりがない」

「教科書を汚したのはこの子の責任じゃないわよ。カサン帝国の恩恵をこの国の最も貧しい地区にまで行き渡らせていない我々の責任よ。むやみに叱るだけではなく必要に応じて褒めるべきだわ。だってこの子は川向うからわざわざ通って来てるんでしょう。意欲のある子だと思うわ」

 この女性は非常に弁が立った。シム先生は「でも……そう言っても……」

 というばかりでとても反論しきれない様子だった。しかしダビの心はショックで打ちのめされていた。自分はカサン語の成績も良く、シム先生は他の生徒より自分を信頼してくれていると信じていた。それなのに、シム先生がダビに対し他の子供達にするのと同じように侮蔑的な表情を見せたことがただただショックだった。シム先生はもう一人の女性に言い込められ、次第にイライラした表情を見せ始め、とうとうしまいにはダビに向かって「そんな所に立っていないで早く行きなさい!」と指示した

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