其の十七 三色乙女――、「今でしょっ!?」……、今、らしい


「――かくして、レイラは見事に『ウッキーナ・三世』を打倒し、バナーナ王国の平和を取り戻すことができたの。恋人のアルクとも再会して、彼女は彼の愛をめいっぱいに浴びながら、心の底からの笑顔を見せたわ。まっ黄色の果汁が、世界を優しく包み込んで……、ってモモカ、聞いてる?」

「…………ぇ」


 陽明学園、二年一組、とある昼下がりのワンシーン。


 机に突っ伏し、頬をべたーっと押し当てている私が、眼球だけをキョロリと動かし双葉の姿を確認する。彼女は片手に箸を持ったまま、一時停止したビデオ映像みたいに固まっていた。

 ――かと思うと箸を置き、私の腕をむんずと掴んで、おもむろに私のシャツの袖をめくり始める。


「……な、何?」

「……いえ、あなたがあまりにも生気がないものだから、もしかしたら生霊なんじゃないかって――」


 双葉が私の脈を確認しているのだとようやく気付いた私は、「失礼ね、ちゃんと生きているわよ」とゾンビのような声を返した。


「――時にモモカ、まだお弁当箱を広げていないようだけど、もしかして今日は忘れてしまったのかしら?」

「……いや、なんか食欲なくて……」

「……槍でも降ってきそうな発言ね」


 信じられないといった目つきの双葉が、能面の様な無表情のままふぅっと短く息を吐く。私は相変わらず全身を机の上に預けており、身体が重く持ち上がる気がしない。


「――モモカ」


 ひじきをゴクンと呑み込んだ双葉がスッと箸を置き、両手を膝の上に乗せながら、改まったように背筋を伸ばす。


「アナタはまだ若いのだから……、失恋の一つや二つ、青春の甘酸っぱい一ページだと思えばいいじゃない……、あなたさえ本気を出せば、巨乳好きなムキムキマッチョの有象無象、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ――」

「――ちょ、ちょっとフタバ…、私、別にまだフラれたわけじゃないんだけど……」


 重い体にムチを打ち、ムクリと起き上がった私はひきつった顔でそう言って――、改まるように背筋を伸ばしていた双葉は、ポカンと口を開け放ったまま再びフリーズする。


「えっ、そうなの?」

「……そうだよ、そんなこと一言も言ってないじゃない……」


 ふにゃりと、クラゲのように身体をたゆませた双葉が、椅子の背もたれにドカッと身体を預けた。能面のような無表情のまま、ジトっとした目つきで私のことを細く睨む。


「――なんだ……、あなた、朝からゾンビみたいな顔で、ゾンビみたいな足取りで、ゾンビみたいな声しか出さないものだから……、てっきり百人に一人の恋が、やはり九十九人の方に該当してしまったのかと――」


 台詞を途中に――、何かに気づいたのかハッとした表情を見せた双葉が、前のめりになってズズイと私の顔を覗き込む。


「――えっ、じゃあ何があったの? ……あなた、確か昨日は愛しの王子様と夜の舞踏会に出かけたのよね?」

「……『クロユリ』のライブね、今日はあんまりツッコませないで……」

「……初デートがうまくいかなくて、落ち込んでいるのかしら?」

「いや、デートは――、まぁ色々失敗はしたんだけど、それはよくて、それよりも――」


 そこまで言った私は二酸化炭素で胸がいっぱいになり、一度はぁ~っと大仰なタメ息を吐いた。陰鬱の塊のような私の態度に双葉は若干イライラし始めたのか、箸の持ち手側で私のおでこをツンツンとつつきはじめる。


「……い、イタイ、イタイって……」

「――言いなさい、何があったのか、早く言いなさい。言うまでやめないわよ」

「……い、言うって……、ってかソレやられてるから、言えないんですけど――」


 ――かくして、私は昨日の出来事を双葉に説明した。クロユリのライブの後、落ち込んでいる先輩に向かって怒鳴ってしまったこと、でもそのことについて先輩が「ありがとう」と言ってくれたこと。


 ――そして、先輩がネットの書き込みで、「自分は恋愛しないと決めている」と、宣言していたこと――



「――気になるわね」

 一通り話を聞き終え、幾ばくかの静寂の後に双葉がポンっと放ったのはそんな台詞だった。


「えっ?」

「……いえ、人は普通、過去になにか『トラウマになるような出来事』に遭っていなければ、『恋愛しない』なんて大袈裟な決意、しないと思うの」


 探偵のように口元に手を当て、ベテラン刑事のように目を細め――

「――あなたの愛しの王子様には、過去に何か、恋愛における『苦い思い出』があるのかもしれないわね、そして――」

 女神のような微笑を浮かべ、小悪魔のようにイタズラに笑って――

「――その『トラウマ』を探ることが、王子様の、閉ざされた心の扉を開けるカギになるかもしれないわ」


 眼前の双葉が、突き出した人差し指を私の胸元にあてがい、ぐりっと一回転させた。



「……どうでもいいけど、白昼堂々、人の胸を勝手に触らないで」

「――あら、先に言ってもどうせ許可してくれないでしょう? ――それにしても凄いわね、私の指が丸々と埋まってしまったわ」

「はっ、早く離せっつの――」


 クスッと双葉が笑って、フッと、何百年振りかに私の口元も綻んで――


「……それって、もしかして私にもまだチャンスがあるってこと……?」


 おずおずと、お菓子をねだる幼子のような声を出した私が、上目遣いで双葉を窺い見た。


「当たり前じゃない。なんだ、心配して本当に損したわ……、恋に障害はつきものよ。その壁が高ければ高いほど、乗り越えたあとの二人は固い絆で結ばれるの」

「……いやだから、アンタも恋愛経験ゼロでしょーに……」


 私の口から呆れたようなタメ息が漏れ出て――、

 でも、ちょっとだけ元気が出たのも事実だった。




「――ババ~ンッ! 話は聞かせてもらったわっ!」


 登場時の効果音を『自分の口で言う』という荒業を披露したのは――、

 二回目の登場、小柄で華奢な小動物系女子、吹奏楽部の河合さんであった。


 一瞬何が起こったのか理解できなかった私は口をポカンと開けたまま呆けており――、さすがの双葉も無表情ながら頭の上にビックリマークを浮かべている。


「……いつから、話を?」

「――最初からだよっ! こんなこともあろうに、この前相談された時から、二人の会話はいつも盗み聞きしてたんだ!」


 ――果たして、『こんなキャラだっけ?』

 小柄な体で両手をいっぱいに広げている河合さんはなんだか小学生みたいで、彼女はあどけない表情を浮かべながら屈託なく笑った。


「――ところでモモカちゃん、今度、一度でいいから私にもそのおっぱい触らせてくれない?」

「ええ、もちろんいいわ」

「――双葉! アンタが勝手に返事するなっ!」


 三色の乙女の言葉が、喧騒渦巻く教室内を錯綜する――



「――時に、河合調査員は何か有益な情報を掴んだのかしら?」


 状況に脳が追い付いた双葉がそんな台詞を宣い、河合さんがフフンと得意げに鼻を鳴らす。――なんでこの人たち、他人の恋愛にこんな前のめりなんだろう。


「――実はね、冬麻先輩の『過去』を……、『知ってそうな人』に、心当たりがあるんだ」


 ――先輩の、過去……。

 当たり前だが、先輩にも昔という時代が存在している。小学校時代だってあるし、中学生時代もある。『あの先輩』がいかなる子供時代を過ごしていたのかは……、想像するのがちょっと怖い。


「冬麻先輩、友達が全然いなくていつも一人でいるんだけど……、唯一、先輩とたまに喋っている『幼馴染』がうちの学校にいるの。吹奏楽部の部室にも、何度か来たことがあるんだ」


 河合さんはなぜか神妙な顔つきでヒソヒソと声を潜めており、聞いている双葉も「ふむふむ」とか言いながら掌の上でメモを取るジェスチャーを取っている。――コイツら、絶対今楽しんでるな。


「――果たして、その人物の名前は、なんて言うのかしら?」

「――『御子柴あや芽』って言うらしいよ……、なんか問題児で、学校ではちょっとした有名人みたい……、たしか冬麻先輩と同じクラスだから、三年二組の教室に行けば会えると思う」

「――なるほど、いえ貴重な情報だったわ河合調査員、ご苦労様」

「イエッサー!」

「……さっきから、そのコントはどういう設定なの……?」


 ――当の本人であるはずの私が、なんだか一番聞き耳半分で…――

 おもむろに立ち上がった双葉が、出し抜けにスタスタと教室の入り口へと歩き始めた。


 ポカンとした顔でその様子を眺めているのは『私と河合さん』で……、遠くに行ってしまった友人がくるっと振り向き、首を斜め四十五度に傾けながら訝し気な目つきを向ける。


「――モモカ、何をしているのかしら? 早く行くわよ?」

「……えっ? 行くってどこに?」

「決まっているじゃない、御子柴先輩に会いに行くのよ」


 ――果たして、『急展開』。

 ガバッと立ち上がった私は眼を丸くしており、甲高い声が喧騒渦巻く教室内へと響く。


「……い、今から!?」

「――『善は急げ』、『思い立ったが吉日』、『今でしょっ!?』……、格言を残した先人やらカリスマ塾講師に言わせれば、百人に一人の恋に躊躇は禁物よ」


 言いながら、再びくるっと前を向いた双葉の長髪がフワッとなびいて――


「――ちょっ、待ってよ!」


 慌てて双葉の後を追った私の背中に向かって、

 河合さんが一人「ファイトっ」と呟いていたらしい。

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