其の十二 解呪師募集――、恋の病にかかったとしても、薬局でロキソニンは処方されないらしい
立ち上がる、腰を降ろす。
髪を触る、寝間着のすそを掴む。
パチパチパチと短く三回瞬きをする、そしてまた立ち上がる――
――どうしよう……。
「どうしよう……」
心の中の声が勝手に喉から漏れて、白い蛍光灯の光が私の部屋を照らす。操り人形の糸がプツッと切れたみたいに、ベッドにぼふんと倒れ込んだ私の口から、また声が漏れ出る。
「どうしよう――」
目を瞑ると、真っ暗な視界の中にイメージが浮かびあがってくる。一心にサックスを吹く先輩と、驚いた表情でこっちを見る先輩と、困ったように笑う先輩と――
体温が一気に上昇するのを感じた私は、パチッと目を開けガバッとその身を起こす。はぁっと短い息を吐き出したあとに、思わず両手で顔を覆い隠した。
「何やってんだろ、私……」
自嘲気味に声を漏らした私の耳に、滑稽なメロディが飛び込んだ。
――ピロパリパポンっ、 ピロパリパポンっ――
ギョッと少しだけ身をのけぞらせた後、恐る恐る音の発信源――、スマホに手を伸ばした私は、画面上に表示された『如月双葉』という無機質なテキストを確認する。
「――もしもし」
スマホを耳にあてがい、窺うような声をあげた私の耳に流れるは、等間隔なトーンで淡々と紡がれる友人の声。
『――あなた、さっきから独り言を言いすぎじゃないかしら?』
――目を丸くした私が条件反射で立ち上がり、部屋の窓をガラガラと乱暴に開け放つ。キョロキョロと周囲に目をやるも、夜中の住宅街は静寂がひたすら広がっているだけだった。
「……双葉、アンタ私の部屋に監視カメラでも仕掛けているの?」
『あら、面白いコトを言うのね。……そんなことをしなくても、私は心の目を使っていつでもあなたのことを見守っているわ』
「――そっちの方が怖いわ!」
キーキーと甲高い声でまくし立てる私の耳に、電子信号に変換された双葉の乾いた笑いが囁かれた。
『……さっきから、メッセージを何件も送っているのだけど、あなたから一向に反応がないものだから、何かあったのかと思って――』
「えっ」と短く声を漏らした私は、一度スマホを耳元から離してデジタル画面に目を落とす。チャットアプリには赤丸の通知が二十件ほど、立ち上げて中を覗くと差出人は全て『如月双葉』だった。
「……縦読みで一文字ずつ送るのやめてほしいんだけど……」
『あらごめんなさい、こっくりさんのお告げに従って文字を選んだものだから』
「――だから怖いっつーの!」
何が楽しいのか、電話越しの双葉がカラカラと一人で乾いた笑い声をあげ――、而して私はちっとも面白くない。ぷーっと一人頬を膨らませながらドカッとベッドに腰を降ろし、そのままバタバタと幼子のように足を動かす。
『――それよりあなた、今日も彼に会いに行ったのでしょう。王子様との婚礼準備は順調かしら?』
「――話ぶっとびすぎだっつーの……、い、いやぁ、ソレナンダケド……」
本日屋上で起こった一大事変について、カタコトとロボット音声のような声で私は双葉に話した。日曜日、『クロユリ』のライブに一緒に行かないかと思わず先輩を誘ってしまい、ともあれオーケーをもらったこと――。
『――やるじゃない、コレは……、ますます面白くなってきたわね……』
「他人事だと思って……、もう、ホントどうしていいかわかんないよ……」
しばらく黙って話を聞いていた双葉が、含み笑いを浮かべながら声を漏らした。愉し気な様子の彼女とは対照的、私の口からは沈鬱な吐息が溢れる。
『あなた、そればっかりね……、順調そのものに聞こえるのだけれど……、一体何をそんなに悩んでいるのかしら?』
「いや……、私、男の人と二人でどこか行ったことなんてないし……、何を着ていけばいいかもわかんないし、何を喋ればいいのかも、ライブが終わったあとどうすればいいのかも――」
『――フフッ……』
「――なっ、何で笑うのよ?」
『……いえ――、あなたは本当に、あのハルカゼモモカなのかしら?』
「…………はぁ?」
マヌケな声と共に、私の目が丸々と大きく見開かれる。双葉の質問の意味がシンプルにわからなった私は、「どういう意味だ」と追撃を試みるべく口を開いたその刹那――
『――大きな大きな水のハコ……、淡いブルーの水面の上を、鬼神の如く、水竜の如く、ただ一直線に泳ぐあなたは、敵陣に一人切り込む聖騎士レイラのソレと違わぬほどの気迫を感じさせるわ……、それに反して、今のあなたは、例えるなら小さな川に溺れる一匹の子犬のよう……、同一人物とは到底思えないわね――』
まるで一編の抒情詩を朗読するかのように、電子音声に変換された双葉の声が私の耳に響く。周りくどい言い方をしているが、要約すると「情けないわね」の一言に集約されるだけの台詞だ。思わず口をつぐんだのは『私』で、つらつらと言葉が止まらないのは『双葉』で――
『恋の病とはよく言うけれど、あなたのソレはもはや「呪い」ね。恋の呪いにかけられた女騎士が、剣の使い方を忘れてしまったのかしら?』
「……そ、そんなこと言われたって、恋なんて本当に初めてで、わかんないものはわかんないんだもん……」
叱られた子供のように声を萎ませる私を、女神のような声でたしなめる双葉が――
『――着る服については、簡単よ。……一回り小さいサイズのノースリーブシャツに、下はブルマーでも履いて行けばいいわ』
――もとい、電話越しの友人は、女神ではなく呑み屋のオッサンであった。
「――歩く変態じゃない!」
『……冗談よ、……三割くらいは』
「真面目の方が七割かよ!」
――果たして、『なにこのやり取り』。
「相談する相手を間違えている」という事実にようやく気づいた私の口から、沈鬱なタメ息が再び溢れて――、相変わらず愉しそうな双葉は一人でカラカラと笑っている。
『……良かった、いつもの調子に戻ってきたみたいね――』
「……いやだから、『あなたのためにわざと言ったのよ』みたいな言い方――』
――而して、どこか気持ちがさっぱりしていたのも事実だったので、私は台詞の途中で思わず口をつぐんで――
『――あなた、水泳している時はどうなの?』
唐突に彼女が、そんなことを問う。
「……えっ?」
『……勇猛果敢な聖騎士レイラの如く……、水の中を猪突猛進している時のあなたは、一体何を考えているの?』
予想外の質問に、私は思わず声の出し方を忘れる。また何かの冗談かなと邪推を働かせてみるが、でも彼女の声はどこか真剣味を帯びていた。
「……そんなの、何も考えてないよ。ただ必死に、夢中で身体を動かしているだけ……」
頭をグルグルとろくろのように回して、泳いでいる時の自分を想像する。水の中に飛び込むと、ひんやりと身にまとうような冷たさが全身を巡り、私は身体をうねらせながらスクリューのように水の中を切り込む。グッと力を込め、押し上げるように水面に浮上したあとは、必死で腕を掻いて、足を動かして――
「――それで、いいんじゃないかしら?」
「……へっ?」
――果たして、『なにが?』
彼女が放ったボールは、いつだって私のナナメ上空で孤を描き、でも気づいたらコロコロと足元を転がっていたりする。意図がわからない双葉の質問に、私の口からマヌケな声が漏れ出て――
「……何も考えずに、自然体のあなたでいればいいわ。無理にとりつくろったり、余計なことを考える必要なんてないの。……何故なら、自然体のあなたを受け入れるかどうか判断するのは、彼の仕事だからよ。あなたは、人生初のデートをめいっぱい楽しむことだけを考えなさい」
しっとりと、淡々と――、紡がれた双葉の声が私の耳に響いて、電波の向こうの友人の顔を、私は真っすぐな視線で見つめた。
「……なによ、急に真面目になって……」
『あら、失礼ね。私はいつだって真面目よ?』
「……どの口が言うか……」
――でも……。
クスッと双葉が笑って、釣られるように私も笑って。
「――ありがと」
四文字のテキストが、電子信号に変換されて遠くの友人へと飛んでいく。数秒間の静寂が流れて、「どういたしまして」と返した双葉の声はなんだか嬉しそうだった。
『百人に一人の恋……、ぜひ成功するのを祈っているわ。物語の恋が成就するのは当たり前……、私は、私が生きるこのリアルな世界で、親友が全力で恋をしている姿を最後まで見守っていたいの』
「……アンタ、ホントに如月双葉?」
『……どうかしら、あなたの呪いが伝染したのかもしれないわ。今年の呪いは一度かかると中々治らないって言うじゃない?』
「……流行風邪かっつーの!」
クスッと双葉が笑って、釣られるように私も笑って。
気づいたら、さっきまでの不安な気持ちは、電波に乗って遠い夜空に消えてしまったみたいだ。
『――ところで、間に合うかしら?』
パチパチパチと短く三回瞬きをしている私は、今度こそ彼女の発言の意味がわからない。杓子定規に「何が?」と返した私の耳に、双葉の神妙な声が届く。
『……いえ、深夜までやっている総合ディスカウントストアがあるじゃない……、確かあそこ、コスプレ衣装の類も売っていたはずよ……、ブルマーを買いに行くなら、今の内――』
スッと耳元からスマホを離し、『通話終了』のボタンをタンッとタップする。
――翌日、目が覚めた私はチャットアプリに届いている一件の通知を確認し――、『スクール水着なら、わざわざ買わなくても学校指定のものを着ていけばいいわね』と、双葉からのメッセージを既読スルーした後日談は――
綴るだけ時間の無駄だったと反省しているので、ご了承いただきたい。
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