2-22

「…………」


 ドオォン、と鈍く重い音が遠くで鳴ったかと思えば、空気の振動までもが伝わってくる。


 突然の出来事に周りの道行く人々が騒ぎ始める中、黒色零子は、冷静にその発生源らしき方向を見やる。しかしビルの陰に隠れて、何が起こっているのか目では確認できなかった。


「まあいい」


 何がいいのか、その言葉の意味は彼女にしかわからない。大して気にも留めていないよう。

 これから野次馬になろうとする者達の喧騒の中、黒色零子は、一人だけ皆とは逆方向に歩を進める。不可解な出来事ではあるが、おおよその見当は付く。だからそんなものはどうでもいい、興味も無い。
















       
















 ――二時間前。


「あー。……外って落ち着く。あの陰気な部屋とは大違いだよねぇ、やっぱ」


 霊ヶ哉甲煉東駅。その駅前ロータリーの近くで営業している、カフェ“ベルフェゴール”。客の出入りが多いような有名店ではないが、近くに競争相手がいない為か、生計が悪い訳でもない。近くを通りがかったから寄る、そんな塩梅の喫茶店。


 モダンな店内は雑貨もなく落ち着いており、どこか隠れ家を思わせる静かな雰囲気。本場ブラジルで修業したマスターのコーヒーは香りもよく味もよし。

 ケーキなどの甘い食べ物もあり、客の九割が頼むショートケーキが人気。マスターが月に一度のペースで考案するメニューも、違う意味で人気だったりする。今月は鯖のトンコツ煮。


「てか、このけったいなマスターのイチオシってなんじゃこりゃ。意味わかんないんですけど」


「話を逸らすな。そんな頭の悪い物はどうでもいい」


 真心と出来心と遊び心による奇抜なその一品は、マスターなりに客を楽しませる為のものである。けれど残念ながら、または当然ながら、頼む者は少ない。あくまでいないのではなく、少ない。遊び半分で頼むのが大多数ではあるが。

 しかし、マスターのイチオシを食欲に従い目当てにしている客が一人だけいる。でもそれは、二人からしたらどうでもいい話。


「兎に角。今日から三日間、貴様にはとある情報を探ってもらう。それが今回、外に出してやった理由だ」


「ふぅん。ただ探せばそれでいいの?」


「そうだ。何も得られなかったとしても、それでも構わん。しかし場合によっては、その情報の元凶を始末してもらう」


 黒色零子はコーヒーを飲む。ブラック。


「意味わかんなぁい。おばさん、何がしたい訳?」


「貴様のいま現在の、探索能力が知りたい」


「探索……ああ。なるへそ」


 詩雄もコーヒーを飲む。ミルク有り、角砂糖四つ。


「ひーん、まだ苦いよぅぅ。…………おばさんって、何でそんなに吸血鬼に拘るのかな。あれって最初の事件から十年も経つのに、新しい死体が偶然みつかるだけで手掛かりとか未だに何もないじゃん。そんなの追っかけたって時間の浪費っつーかなんつーか」


「それは他人が決める事ではない。私の時間は私だけのものだ。それと、手掛かりが無いからこそだろう、探すというのは」


「まっ、それはそうだけどさ。てか、探せば何か出てくるレベルじゃないでしょ、吸血鬼事件って。だから十年も野晒しなんだし。流石のおばさんもヤケを起こしてるとか?」


 にやり、と心底あざけた微笑み。


「それはわかってる。これは謂わば訓練みたいなものだ。それ自体に効果があるのかはわからんが、やらないよりはいい。何より貴様には、希望がある」


「うほっ。あたしってばチョー可愛いがられてるね」


「当然だ。家畜の躾の基本だからな」


「……それって口に出す事ないんですけど。てかあたし人なんですけど」


「馬鹿いえ。殺人鬼と称された者なら獣も同然だろう」


 む、と詩雄は反論しようとしたが、少々考えてから諦めた。存外、的外れではなかったから。

 数多の同族をなぶり殺すなんて所業、もはや社会性や人間性など感じない。ならばそれは人外も同義。ただ人の形をしているだけの、獣。


「はいはい、あたしは凶暴な犬っころですよー。わんわん、くぅんくぅん」


「茶化すな。あとわかってるだろうが、外では派手に動くんじゃないぞ。旧友と顔を合わすのも駄目だ」


「言われなくてもわかってますぅー。探し方は別にどんなのでもいんでしょ?」


「怪しまれない程度なら、何をしてもいい」


「ほいほい。んじゃあ、話も終わった事だし」


 概要を聞き終えた詩雄には、もうここに用は無い。終わりを迎えたのだから、頭の中は早々に立ち去る気で一杯だ。けれど、一つだけ訊ねたい事


――いや、


「おばさん、説明ご苦労様。最後に一言だけど……今更あたしがさ、そんな事に素直に従うとでも思ってんの?」


 宣言をしたかった。彼女の表情に闇が降りる。


「おばさんならわかるよね、あたしの力。あの部屋で漫画みてるのは楽しかったけど、でもやっぱり外の世界の方が魅力的なの。吸血鬼探しはお遊びでやってあげるわ。でも、研究所には戻ってあげない」


 にこり、と悪戯に、魔的な微笑み。

 親しみなど感じず、あるのは禍々しさだけ。

 可憐な花には毒がある。なれど、


「そんな事は予想済みだ」


 その程度の毒、彼女にとっては何て事はない。わかっているのだから、対策が無い筈がない。黒色零子はそうやって、数々のシンカを屠ってきたのだから。


「素直に研究所に戻るなら報酬をやる。吸血鬼の情報も持ってきたのなら更に追加をくれてやる」


「――あはは。なにそれ。ちっちゃい子供じゃあるまいし、あたしがそんな事で従うと思ってるの? おばさん、事務作業ばっかりで丸くなっちゃったんじゃない?」


「いいのか? 貴様の好みに合わせたのだが」


 黒色零子は至って毅然としていた。詩雄の反逆になんの怖れも抱いていない。それどころか悠長にコーヒーを飲んでいる。


 詩雄はその態度が気に入らなかった。驚く顔を見たかった訳ではないが、全く崩さないその余裕に釈然としない。

 そこまで自信があるならと、報酬はなんだと問う。みくびった代物なら、店ごと粉微塵にしてやろうと五体に殺気を満たし。


「――――――――――」


「――――マジで!?」


 やったー、と殺意すべてを歓喜に変換して元気よく万歳をした。

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