第36話 行商の旅 5

 ドルゴ村の宿で、久しぶりの風呂とベッドを堪能した翌朝。朝食を終えたアリアと稜真は、宿の裏でいつもの鍛練をしていた。

 カルロスが注文を受けていた村人が隣村へ行っており、帰りが明日になるのだそうだ。村人が戻って来るまで、自由にして良いと言われている。


 カン! カ、カン!


 息つく暇もなく、木剣を打ち合わせる。

「うん。もうこのスピードには、慣れたみたいだし、もう少しペース上げてみようか~」

「ちょっと! それは! 勘弁して欲しいなぁ、──っと!?」

 稜真の抗議は聞いて貰えず、ペースを上げられる。


 カ、カ、カンッ! カ、カンッ!


 ぎりぎり受けていた稜真だが、やはり10分と持たずに足を取られて尻もちをついた。


「はぁはぁ…、はぁ。ペース早すぎじゃないかなぁ。きついって…」


 アリアの速さと剣の重さはスタンリー以上なのだ。まだ素人の域を出ていないと思っている稜真は、自分はまだまだだと身にしみた。

「でも、ついて来れたじゃない。腕が上がって来た証拠だよ~」

「ついて行けたのは少しだけなんだけど…ね…」

 それでも多少は上達したと感じる。もう少し頑張るか、そう思って立ち上がった所に声がかかった。



「なんだぁお前? そんな小さなガキの、しかも女にやられるなんざ、それでも男かよ」

 呆れたような口調で声をかけてきたのは、20歳前後くらいの赤い髪の男だ。


「どちら様?」

 稜真が問い返すと、男は胸を張って自慢気に答えた。

「この近くの魔物退治を受けてやって来た、Dランクの冒険者マドック様ってんだよ」

 自分に様を付けるとは、この男は余程自信家らしい。


「そのガキに剣を教わってんのか? そんなんだから弱いじゃねえの? ま、お前もガキだから、ちょうどいいのかもしれねぇな。なぁ、俺が鍛えてやってもいいぜ」


「間に合ってます」

 ガキガキと連呼されてムカついた稜真は、きっぱりと答えた。

「ん~? 稜真、せっかくだし鍛えて貰ったら? 色んな人と手合わせするのも、勉強にはなるよ。もっとも、この人相手じゃ勉強になるかどうかは微妙だけどね~」

 アリアはガキ扱いを気にした様子もなく、くすくすと笑っている。


「アリアがそう言うなら、やってもいいけどさ」

 気は進まない稜真は肩をすくめた。

「ガキの尻に敷かれてんのか、お前。か~っ、情けねぇ! 男ならもっと気合入れろよ!!」


 自信家の上、思いこみの激しい男のようだ。

 稜真は少し離れた所から、面白そうにこちらを見ているノーマンに気づいた。知り合いらしい女性の冒険者が隣におり、その女性がこちらに来ようとしているのを、悪い笑みを浮かべながら止めている。


「大体よぉ、木剣で練習なんてのが、ガキの証拠なんだよ。その腰の剣で相手してやるぞ、かかって来い」

「怪我しませんか? ──あなたが」

「俺が!? ははっ! お前みたいに小さいの相手に、怪我する訳がないだろうが」

 ガキだの小さいだのと言われた稜真は、次第に声のトーンが下がり、言葉遣いが丁寧になっている。

「…そちらがそう言うのなら、俺は構いません。後で文句を言わないで下さいね」


 稜真は木剣をアリアに渡して剣を抜いた。向かい合うと、頭1つ以上高いマドックから見下ろされた。

「好きにかかって来いや」

 マドックは剣を構えようともせず、よく言えば自然体で立っている。これがスタンリーやアリアならば、構えなくとも隙が無く、稜真は攻めあぐねるのだが、この男は──。


「かかって来いと言われても…」

 見るからに隙だらけなのである。

 さすがにこれに打ち込むのは気の毒だ。どうしたものかとアリアを見るが、やっちゃえ!とばかりに親指を下に向けている。なんとも無責任なお嬢様である。


「はぁ…。せめて剣を構えてくれませんか?」

「お前程度なら、構えなくても受けられるんだがな。まぁ、見本になる為だ。ほらよ」

 そう言うとマドックは剣を構えた。稜真をどこまで舐めているのか、気のない構えである。


「──では行きます」

 タンッ、と地面を蹴ると瞬時にマドックに迫り、ガキンッ!と構えられている剣を薙ぎ払った。

「な!?」

 マドックは、稜真のスピードについて行けず、そのまま剣を弾き飛ばされてよろめき倒れる。稜真は尻餅をついたマドックに剣を突きつけた。

「鍛えてくれるのではなかったのですか?」

「ちっ、お前の力を試したんだよ! 今度はこっちから行くぞ!」


 そう言って打ち込まれる剣が、余りに遅すぎて呆れかえる。

 稜真はアリアの剣を見慣れている。他に相手をして貰っていたのが、スタンリーとノーマン、そしてユーリアンだ。基準になっている者の実力が高すぎる事に気づいていない。


「……遅っ」

 キンッ、ガキンッ!

 稜真はマドックの剣を、すべて余裕で受け、払い、打ち込む。

 この程度の実力で、よくもまああれだけ人を小馬鹿にしてくれたものだ。マドックの剣を受けながら、稜真は舌打ちした。


 マドックはようやく、自分が対している少年の実力に気づいた。




「あらら? 稜真が怒ってる。珍しいね~」

 のんびりと見物していたアリアに、近づいて来たノーマンが声をかける。

「あいつ、怒ってるのか?」

「うん、容赦してないもの。あんな遅い剣、受けなくても全部避けれるでしょ? わざわざ打ち合ってる所がね~。ま、怪我しても自業自得だし」

「全部避けるって…お前なぁ」


「ええ!? これから依頼があるのに、怪我されると困る!」

 ノーマンの隣にいた女性が声を上げた。茶色の髪をショートカットにし、軽鎧を身に着けている。すらっとした背の高い女性だ。

「どちら様?」

「恥ずかしながら、あそこの馬鹿の相棒。本当に恥ずかしいわ…。お願い! 止めて貰っていい?」


 女性はアリアに対して拝む姿勢を見せる。ノーマンにアリアの話を聞いたのだろう。年下だからと馬鹿にする様子もない。

「アリア悪いな。こいつら俺の知り合いなんだ。頼む」

「う~ん。もう少し稜真の活躍を見たかったのに、仕方ないなぁ」




 マドックが息を切らしてよろけた所へ、稜真は剣を振り下ろす。──と、割って入ったアリアが木剣で受け止めた。

 キンッ!と硬質な音が鳴る。

「……木剣…だよね」

 稜真は自分の目を疑った。明らかに木の剣なのに、稜真の剣を受け止め、傷ひとつない。


「そこまでにしてやって。ノーマンさんに頼まれたのよ」

「いいよ」

 稜真としても怪我をさせるつもりはなかった。

「少しはすっきりしたからね。それよりもさ、どうして鉄の剣を木剣で受け止められるのかな? 傷も付かないなんて…」

「こんなの、剣に気を籠めれば簡単に出来るよ~」

「簡単に出来るのは、アリアくらいだよ…」

「全くだ」

 ノーマンも呆れていた。

「木剣でリョウマを止めるもんだと思ってたぜ」

「やだ~。稜真に打ち込むなんて出来ないわ~」

「……さっきまで散々打ち込んでくれてた癖に、どの口が言うのやら」


 マドックは腰を抜かしてへたり込んでいた。つかつかと先程の女性がマドックに近づくと、襟首を掴んで引き起こした。


「そこの馬鹿、何やってるのさ! この2人が打ち合っている所を、しっかり見てた!? あのスピードについて行けているその子が、弱い訳ないでしょうが! かなうかどうか、自分の実力も測れない冒険者は長生き出来ないよ!」

「そんな事言ったって、体が軽いから早く見えただけだと思ったんだよ。あんな小さい女の子に教えて貰ってるんだぜ? 強いなんて、分からなくて当然だろ…」


「……もう1度やるか?」

 稜真はマドックに冷たい視線を向ける。


「稜真、今日は怒りっぽいよ?」

「俺が弱いと思われるのは構わない。童顔だから、小さいとか、ガキとか言われるのも仕方ないと思う。でもさ。俺が女に教わっているから弱いと言われるのは、アリアが馬鹿にされてるみたいで腹が立つ」


「えへへ~、私の為なのかぁ。ねぇねぇ、そこのお馬鹿さん。今度は、女で子供の私が相手になってあげようか? ふふっ、私も鍛えてくれる?」

「楽しそうに言いやがって…。おい馬鹿! アリアは俺を瞬殺するんだぞ? お前が敵う訳がない。早く謝っとけ」


「なんで皆して馬鹿馬鹿言うんだよ…。って、え? ノーマンさんが瞬殺って、まさか」

「本当だ。同じランクだが、まるで敵わない」

「ノーマンさんと同じランク? 赤い髪の少女でノーマンさんより強くて、名前がアリア? はっ、ア、アリア様!? な、な、生意気言って申し訳ございませんでした!!」

 マドックは大慌てで土下座した。どうやらアリアの噂を知っているらしい。


「私に謝られてもね~。稜真、どうする?」

「ん? 俺はアリアに謝って貰えたなら、それでいいけど?」

 すでに怒りは治まり、稜真はけろっとしている。

「自分の事は気にしないんだな、お前」

「俺が弱いのは、事実ですから」


「もう少し自覚持てって、お前はよぉ。そんでそこの馬鹿。お前は俺に勝った事がないだろう? リョウマは俺から、8本に1本取るんだぞ。こいつにも謝っとけって」

「お坊ちゃまも失礼致しました!!」

「やめて下さい。気持ち悪い。もういいですよ」

 稜真は鳥肌をさすった。


「悪かったわ。本当にこいつは見る目がなくてさ。あたしはニッキー。腐れ縁で、この馬鹿の相棒やってるの。馬鹿だけど悪い奴じゃないからさ。勘弁してやって」


「ニッキーさんは、止めてくれようとしていたでしょ? 俺、ノーマンさんが面白がっていたの、見ていましたからね」

「はっはー、バレてたか。リョウマは、いろんな奴と手合わせした方がいいかと思ってな。自分の実力が分かるだろ? ま、そっちの効果はイマイチだったみたいだが…。この2人とは一緒に依頼を受けた事があってな。この馬鹿は、これでも使える奴なんだぜ」


 ノーマンがメルヴィル領に来てから、カルロスが町に逗留する事が何度かあった。町中では護衛せずに自由にしていて良いとの契約だ。手持ち無沙汰になると相棒と2人、ギルドで依頼を受けていたのだそうだ。

 その時に一緒に依頼を受けたらしい。


 ノーマンにそう言われても、とても使える人物には見えない。

「ほんっとに、ごめんなさいね! それじゃ、馬鹿連れて魔物退治に行って来るわ!」

「おう! 気を付けて行って来いや」

 マドックは、ニッキーに頭を叩かれながら村を出て行った。



「ニッキーさんと……、誰でしたっけ?」

 皆があまりにも『馬鹿』としか呼ばないから、稜真は名前が記憶に残っていなかった。

「えっ? 馬鹿でいいんじゃない?」

「馬鹿でいいぞ。使えるが馬鹿だからな」


(ちょっと可哀そうになって来た…。俺の事、尻に敷かれているとか、男がどうとか言っていたけど、あいつの方が尻に敷かれているだろうに)



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