24 なじりあい宇宙(そら)

 ☆

 

 雑魚寝状態の船内客室で目を覚ました俺が、真っ先に見たものはおっぱいだった。

 柔らかそうで、はち切れそうで、健康的で、美味しそうで、この世の夢と希望をみっちり詰め込んでいる二つの丘が目の前にあった。

 残念ながら布一枚に覆われているが、曲線も谷間も頂点も非常によくわかるラインを描いているので、これはこれでよし。


 もちろん、山脈の地盤は黒いエルフの女である。

「うにぃ~……もっと、お酒~……」

 横向きの姿勢で寝ぼけている黒エルフ娘が、俺の頭をその胸元に引き寄せる。

 窒息する。マジ窒息する。

 しかし、男子たるもの死にざまはこのようにあるべきではないかとも思った。

「げっぷ」

 酒臭い寝息を浴びせられるのでなければな。


「起きろ、俺が動けん」

 俺は拘束から逃れるために黒エルフ娘の体を押しのけ、ついでにうっかり、計算通りに手元が狂ったので軽く揉んでおいた。

「ひゃぁんっ」

 いい反応だなあおい。若いって素晴らしい。

 なにより深く指が沈み込む柔らかさと、それを押し戻す弾力。

 そのふたつのふくらみの間に生じる真空状態の深淵的谷間空間は まさに肉欲的官能の小宇宙!!

 と、あまりの異世界感触に少し脳が混乱するほどだった。

 なにを言っているかわからねーだろうが、自分でもわからん。

 前もこんなこと言った気がするデジャヴ。


 そんな、けだるくも楽しい目覚めのさなか。

 ごりっ!

 と言う鈍い音とともに、俺の足がスゲー固いものに踏まれて超痛い。

「なんだ、まだ寝ていたのか。床に置きっぱなしのゴミかと思って踏んでしまった」

「どんな言い訳だ! そんなに暗くもないし普通にわかるだろうが!」

 踏んだのは白い方のエルフ娘で、もちろん金属鎧の靴の部分だから涙が出るほど痛い。

「ゴミと言ったのは取り消そう。ゴミは文句を言い返してこない分、お前より静かで害がないからな」

 あくまでも謝るつもりはないらしい。

 まあ、わざと踏んだんだろうから、謝ってくれることを俺も期待しちゃいないが……。


 ☆


 甲板に上がると、大きな海にぽつぽつと小さな島が浮くように点在している、そんないい景色が目の前に広がっていた。

 若いころ、十八切符を使ってラーメン行脚をしたときに見た瀬戸内や長崎の海沿いに似た感じの風景だな。

 時刻は昼前。結構長く寝てしまったらしい。

 酒のせいもあるが、旅路に次ぐ旅路で無意識のうちに疲れが溜まっていたのだろう。


「ウサギどもの島はまだ遠いのか」

 航海図を広げながら船員たちとなにやら仕事の話をしているトカゲ船長に聞いてみる。

「夜までには着くぞ。この辺は岩礁が多いからそれを避けて航行するんで、少し揺れが激しくなるかもしれん。気を付けてくれよ」

 時間があるなら釣りでもしたかったが、船の状況が落ち着かないならやめといたほうがいいな。


 と、俺が珍しく自重している反面、白エルフ娘がデッキの上でなにやらふらふらしている。

 昨日怒られたので刃物は抜いていないが、右へ左へ細かく揺れる船上である。

 いつ体が投げ出されるか分かったものではなく、危険だ。

「まさか揺れる船の上で立ってたら足腰の安定感を鍛えられそうだ、とか思ってるんじゃなかろうな」

「な、なぜわかった」

 忘れてた。こいつの脳内は変なものこじらせた中学二年生レベルだった。

「足の位置が悪い足の位置が。ほら、俺のやるように真似してみろ。足を少し開いて、つま先を内側に向けて膝を絞る。これが三戦(さんちん)、足腰の筋肉を引き締める鍛錬にもなるし、安定感も増す構えだ」

「ぬ。確かに安定するな……」

 小学中学と、地元の空手道場に通っていた(親の言いつけで半ば強制的に通わされていた、と表現するのが正しい)経験を生かし、俺がアドバイスを続ける。

「これは猫足立ち。前後左右とっさのことに対して素早く反射するための構えだ。ほら、前になってる足のかかとを上げろ。接地点が少ない方が、とっさの動きが出やすいんだよ。あとこれは前屈な。腰の回転が安定するし、上体にも力を込めやすい。剣を抜くときとか、左右を敵に囲まれた時にいいんじゃないか」

 することがないのでなぜかエルフ娘に対して空手講座(初心者向け)を開いている俺であった。

「別に教えてほしいとは言ってないぞ……」

「まあそう言うな、暇なんだよ。ほれ、右に手を回して相手の攻撃を受ける。左も同様に内側から外側へ回して受ける。ワックスかける、ワックス取る。はいアップ、ダウンねダニエルさん」

「誰がダニエルだ」

「この技もすごいぞ。文字通り相手の出足を挫くように、踏みつけもしくは膝への蹴りを起点として相手の全身に打撃とブーメランによる攻撃を何発も叩き込む、その名も奥義、無そ……」

「飽きた。もういい」

 下段攻撃から始まる全く新しい超必殺技の名前を最後まで言わせてくれよちくしょう。

 

 ☆


 俺の考えた超スゴい格闘技の魅力を誰も理解してくれないので、やはり俺はラーメンを作るべきなのだという決意のもと、昼食を作った。

 このほど、実にめでたいことに以前作りかけていたメンマの発酵がいい感じに進んだ。

 そのため、メンマ見ぃつけた、もとい完成した記念の、涙なしには食べられないラーメンを作りたいと思う。

 今回のラーメンには仰々しく名前を付けないことにする。

 あの日食べたラーメンの名前を僕たちはまだ知らない、と、食べたみんなが淡い思い出とともに謎めいた記憶を呼び覚ましてくれるような、そんなラーメンにしたいものだ。


「……なんだかこの竹、老人の指のようだな」

 器に乗せられたメンマに対し、白い方のエルフ娘が実も蓋もない第一印象を述べた。

 確かにしわしわになったメンマは年寄りの肌みたいな風情があるからな。

「つーかなんでそんなこと言うのぉ? せっかくの食事がマズくなるんだけどぉ。イヤなら食べなきゃいいじゃん! 誰も無理して食べてくれなんて頼んでないしぃ」

 なぜか黒い方のエルフ娘がその言葉に対して怒っている。

「まあまあお二方とも落ち着いて。しかしこれは、透き通った赤茶色のスープが実に美しいですね。以前の焦げ茶色に濁ったスープと同じ材料でこんな色が出るというのは驚くほかありません」

 ついでだからウサギ委員長にも食べてもらっている。


 今回は鶏ガラと魚介出汁をメインに、豚骨はあくまで補助的に使った昔ながらの中華そばをイメージして作った。

 透明感のある赤茶色のスープ、メンマと焼き豚、茹で野菜とネギ、そして魚の練り物。

 それを細く打った麺とともに食べる、一昔前の屋台でよくあったようなスタイルのラーメンだ。


 さすがにナルト巻は手に入らないし、すだれ巻を持っていないので作るのも難しかったから(ナルトは寿司の海苔巻のように、かまぼこをすだれで巻いて成形して作る料理だ)、今回は白身魚の板かまぼこを作って使うことにした。

 かまぼこの原料は基本的に魚と塩。

 道具もこちらの世界にあるもので十分に代用できる。

 そのため、港にいる間に豊富な種類の魚を使っていろいろ試しておいたのだ。

 俺が作る以外にも、魚の練り物はこっちの世界でもポピュラーな料理のようで、そこかしこに売っていた。

 特に骨や皮ごと魚をすり身にして油で揚げる、いわゆるじゃこ天スタイルの練り物は人気のようで、港を行きかう人たちも気軽に買ったり食べ歩きしていた。

 俺も食べたが、実に野趣あふれる味わいでいいものだった。

 その分、俺が今回作ったような白身オンリーの淡白な練り物は多少珍しいようだ。

 鮮やかに白い食材と言うのは器の中で栄えるので、これからも積極的に使っていきたいな。


 日本人の大多数、特に年配の人が持つ「ラーメン」という料理のイメージ。

 それの最大公約数に近い一杯ができたと思う。

「不思議ですね。初めて食べる料理なのに、どことなく懐かしい味わいです」

 ウサギ委員長がスープまで飲み干し、しみじみと呟いた。

 料理法自体は俺らの世界に由来しているが、素材はこっちの世界、この海域で獲れるものが主体だ。

 味を組み立てている素材が親しみのあるものなら、料理法が違っても受け入れてもらえることが嬉しい。

「食うの速いな」

 そう言えばウサギって結構貪欲な生き物だった。

 小学校のとき、学校で買ってたウサギがみんなから餌をもらいすぎてもひたすら食べてたな。

 しまいには足の関節が体重の負荷に耐えられなくなって、動物病院送りになったことがあった。

 子供心に、ウサギも成人病になるんだあ、と複雑な気分になったものだ。


「お酒飲んだ後とかにいいね~これ。あっさりしててスルッと食べられちゃう」

 黒い方も満足げな息を吐きながらそう言ってくれる。

「ふん。なにも考えずに飲んで食って寝ているからそのように無駄にぶくぶくといろいろ膨らんでいるのか」

「あっれ~、まな板が言葉をしゃべってる~。かなり受けるんだけど~」

 隙あらば口喧嘩してるなこいつら。

「そもそも、貴様はなにを食べていても、食べていない時でも酔っぱらったような同じような反応しかしないからな。味がわかっているのかどうかも怪しいものだ」

「そっちこそ実はなんにも考えてないのに考えてるふりして辛気臭い顔してるんじゃないのぉ!?」

 こいつらの言い合いはなんだかんだコミュニケーションの一貫だと思うことにした俺は、いちいち余計な突込みを入れることを放棄している。

 間違いが起こらないよう、エルフ娘の刀剣は船員に預かってもらっているので、そうそう深刻な喧嘩になりはしないだろう。


 ☆


 食事が終わり、船の炊事場で片づけをしていると、船長が少し興奮気味に現れた。

「おおい、みんないいものが見れるぞ! すぐに甲板に上がって空を見てくれ!」

 言われて俺を含め船室にいた客たちも、ぞろぞろと甲板に上がって行く。


 上空には、大きな大きな影が浮かんでいる。

 太陽の逆光を受け、大きな空飛ぶ物体が海原と船体にその影を落としていた。

「あれはなんだ。鳥か!? 飛行機か!?」

 思わず口にしたが、鳥であるような大きさではない。

 もちろん、飛行機がこの世界にあるとも思えない。

「お、おおお……」

 同じように甲板に上ってきた白エルフ娘が、感動とも高揚ともとれる、今までに見せたことのない、実にいい顔をして感嘆し、呟いた。

「あれが、あれがドラゴン……!」


 大きな翼と、鉤爪を持ったたくましい脚、長い尻尾。

 下からのシルエットではそれくらいしかわからないが、とにかくでかい。

 大きさのせいで距離感がわからないから、ざっと何メートルくらいだ、と言う目測がつきにくい。

 それでも幅2~30メートル級の小型旅客機と同等かそれ以上あるんじゃなかろうか。

 全くでたらめな大きさで、内燃機関も推進力もなさそうなのに、あの大きさであの翼で飛ぶことが物理的にあり得るのか、と余計な疑問を持ってしまったほどだ。


「黒龍さまのお姿が見られるとは、これは瑞兆ですねえ。会議も上手く行くことでしょう。私の出世もついでにお祈りしておきましょう」

 ウサギ委員長も、表情はよくわからないがどこか嬉しそうに言っていた。

 流れ星を見たくらいの気安さと俗っぽさがあったが、ここの世界の連中にとってドラゴンってのはいったいどういうもんなんだろうな。


 なにはともあれ、甲板にいる連中はドラゴンの飛ぶ姿を、遠く小さくなってもいつまでも眺めていた。

 ありがたいものなんだろうと思ったので、俺は俺なりに二礼二拍手一礼しておいた。

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