第19話 靴箱に手紙が入っていた

 朝がこんなにも気まずかったことはかつてない。


「あ、オトくん……お、おはよう……」


 台所で朝食の準備をしていると、部屋から降りてきた桜花姉ちゃんが声をかけてくる。合わせる顔がなくて、背を向けたまま返した。


「……おはよ」


「あ……」


 消え入るようだが、まだ何か言いたげな姉ちゃんの声。それでも顔を逸らし続けると、やがて諦めたのかテーブルへ向かっていった。


 ……このままでいいはずがないのは当たり前なのに。

 けど、どうすればいいかだなんて。


 それから姫夏と雪音姉貴も起きてきて四人で朝食。さらに空気が重苦しい。

 二人もまた俺と桜花姉ちゃんの間に漂うぎこちなさを察したようで、特に姫夏があれこれ聞いてきたが、互いにはぐらかすしかなかった。


 それでも昨夜のことに比べたら、姫夏との間にあったことなんて些細なことにすら思えてくる。


「なあ乙秋」


 家を出る直前、玄関で雪音姉貴に声をかけられた。


「何?」


「昨日だけど……あれから姉さまと何かあったろ」


「べ、別に……」


「いやあんなことしといてなんだけどな、それも含めて相談乗るぞ? 今度はおふざけなしだ。なにちゃんとお前の言い分を信じてやるよ」


「……姉貴があんなことしなけりゃ、こうはならなかったかもなのによ」


 そのいつも通りのあっけからんとした感じがあまりにも無神経に見えて、つい悪態をついてしまった。


 こう聞いてきたからには、昨夜俺が廊下で桜花姉ちゃんを突き飛ばした時の声が聞こえたはずなのだ。

 それくらい深刻だと窺えるなら、せめてしおらしくしてくれればまだよかったのに。


「あ、えっと……なんか、ごめん……」


 食ってかかられるかと思ったが、それに雪音姉貴は目を丸くしてぎこちなく返してきただけだった。彼女のこんな反応を見るのも珍しいが、今はそんなことを気にする余裕はなかった。


「……いってきます」


 少なくともこれから夕方まではこの気まずさから逃れられると思うと軽くなる足取り。とどのつまり自分が現実逃避していることを自覚して、もう何度目かの自己嫌悪に陥った。



   *



 俺の心中もよそに、学校はいつも通りの朝を迎えている。


 校庭では部活の朝練に励む生徒たち。それから昇降口にぽつぽつやってくる帰宅部はじめほかの生徒たち。


 後者の側な俺は、そこで上履きに履き替えようと自分の靴箱を開ける。これとてささやかな日常の象徴。


 だと思っていたのに。


「……ん? 何だこれ」


 上履きの上に小さな封筒が置かれていた。


 最初はゴミかと思ったが、丁寧に封がしてあるのでれっきとした手紙であるらしい。なら入れる場所を間違えたのだろうと考えた。なぜなら俺がこんなものをもらうだなんてあまりに脈絡がなさすぎるから。

 けど封筒には宛名が書いてなかったので、そもそも誰と間違えたのかもわからない。とりあえず開けてみることにした。


 中には便せんが一枚。ボールペンでこう書かれている。


『今日の放課後、体育館裏で待ってます。一目見た時から好きでした』


 それから悪戯だと思った。そりゃそうだろう脈絡がないんだから。どうして俺が、なんだって俺が。


「笑わせるぜ靴箱にラブレターなんてェェェーッ! 乙女チックなマンガでもまず見当たらないねェェェーッ!」


 授業中に手を挙げて俺を好きだってもし言えたら抱いてやるかもけど!


 おちけつ……おちけつ……もちついて状況を整理しよう。


 悪戯じゃないとすれば、自意識過剰でないとしたら。

 つまりこれはほかでもなく俺に、豊四季乙秋に宛てた誰かからのラブレターということになる。


 けど問題は誰からということ。当然のように差出人の名前は書かれていない。


 「一目見た時から」なんて書かれているけど、そもそも俺と面識がある人物なのか。

 学校で俺が話す機会のある女子など天城くらいだし、山守にしたってこの数日で初めて関わりができたようなもの。

 なんなら入学してまだ一ヶ月と少ししか経っていないので、そもそも俺の顔を覚えている奴がどれだけいるかも定かでない。


 だとしても、何であれ。


 「彼女」は俺を好きだと言ってくれている。


「マジかよ……こんな嘘だろマジかよほんとマジかよ……」


 そうしてしばらく靴箱の前で頭を抱えてしまうくらいには動揺した。昨夜のことが夢幻の彼方へすっ飛んでいったのは幸か不幸か。


 ああそうだとも! コクられたことなんて今まで一度もないんだもん! 悪いか⁉ いや羨ましいだろう! こんなナリでもちゃんと男として見てくれる人がいたということだ!


 しかし、何だって今日? いや特に意味はなくてたまたまだと思うんだけど、ひとしきりパニクったら少し頭が冷えてきて、今の俺はそれどころでないのではという後ろめたさに似た思いが首をもたげるようになった。


「おはよ。また何かあったような顔してる」


 と、後ろからつんと澄んだ天城の声。昇降口で会うのは初めてかもしれない。


「おはよう……俺ってそんな顔に出る?」


「スケベなこと考えてるなって時のは一発でわかる」


「そんなはずはない!」


「ある」


 ぴしゃりと切り捨てるように言われる。それ以上の反論を許さないかのようですらある。なんかもうどうでもよくなったので諦めた。


「で、今度は何があったの? またお姉さんたち絡み?」


「いやそれもあるけど、色々と……」


「色々?」


「ハチャメチャが押し寄せてきたから泣いてる場合じゃないというか……」


「わけわかんないんだけど……」


「いいさわかんなくて。俺個人の問題なわけだし」


 でも、ラブレターの件は正直言ってめちゃくちゃ誰かに話したい。いや気恥ずかしさもあるんだけど自慢するとかうんぬんじゃなくミーハーなところから誰かとこの話題を共有したい。ついでに意見も聞いてみたい。


 とはいえ純夫に知れると十中八九面倒なことにしかならなさそうだし……。


「……ねえ、その手紙みたいの何?」


「えっ」


 なぜ俺はこのラブレターをいかにも後生大事という風に抱えたままでいたのだろう。


「遠目からでも靴箱の前で変な動きしてるなって思ったけど、それが入ってたの?」


「あ、いやその……」


「下駄箱に手紙って……え? いやそんなまさか」


 勝手にどんどん思い込みを進めていく天城。まあこのシチュエーションだったらそういう発想に至るのがベタだけど自然ではあるよね。


 けれどそんな彼女の顔は愕然としているように見える。


「あんたにラブレター送る女の子がいるわけない」


 かと思ったら「信じられなくて笑うしかない」といった風に声を震わせてそんなことを言われる。


 こいつに言おうというつもりは想定していなかったのだが、こうまで煽られると俺とて男だという証明を突き付けてやりたくなる。つまりこいつは俺を男扱いしなくとも、この手紙を送ってくれた「彼女」はそうでないと。


「俺だって信じられねえけどさ……読んでみろよ、ほら」


 手紙を差し出すと乱暴な手つきでひったくられる。そんなに顔に近づけなくても、というくらい鼻の先でそれを凝視する天城。やがてその肩がわなわなと震え出す。


 え、震えてる? なんで?


「い……悪戯に決まってるじゃんこんなの! 要するにこれあんたに一目惚れしたってことでしょ!? あり得ると思う!?」


「あり得たんじゃねえか実際」


「あるわけない! ていうかあんたどうする気なの!?」


「どうするって」


「馬鹿正直に待ち合わせ場所に行くわけ!? なんの備えも下調べもなく!?」


「書いた人の名前もないのにどう調べろってんだよ」


 なぜか天城は焦りまくっていた。まさか俺がモテるはずないと確信してやがったらしい。全く不愉快極まりないが、こうしてこれだけ慌ててくれると胸のすく思いがそれを上回ったのでよしとする。


「ねえ絶対行かない方がいいわよ! ちょっと聞いてるの!?」


 教室に来て席に着いてなお天城はしつこく食い下がってきた。何がこいつをここまで駆り立てるのか。


「何だよ何そんな必死になってんだよ」


「ひ、必死じゃないし! 見えてる地雷を踏もうとしてるのに気づいてないバカがいるから止めようとしてあげてるだけだし!」


「バカとはなんだ。でもまあ今は気分がいいから許してやるよ」


「こ、こいつ……このチビっ!」


「んだぁぁテメ今なんつったァァァ!?」


 人が気にしてることをよくも!


「昨日に続いて今日も朝から賑やかだねぇ」


 危うく取っ組み合いを始めそうになったところで山守がやってきた。彼女が文字通り間に入る形となったのでさすがの天城も振り上げた拳を下ろして席に座る。


「おはよう詩子。賑やかも何もこいつが救いようのないバカだから手を焼いてるだけ」


「何があったの? 喧嘩するにしては豊四季くんなんだか嬉しそうだけど」


「あーそれは……ちょっと詳細は伏せさせてもらおうかな」


「えー何それ玲愛ちゃんと二人だけの秘密!? すごく知りたい!」


「詩子にも後で教えたげるわよ」


「テメェ勝手に教えんじゃねえよ! だいたいお前にだってしゃべる気なかったのに無理やり聞き出しといてそりゃねーだろ!」


「と、とにかく! 真面目な話、全く面識ない子が相手だったりしたらあんたどうすんの?」


 その質問にはここまでの勢いで答えかねた。

 確かに相手がとびきり可愛い子だったとしても、今まで一度も話したことのない、顔も名前も知らない人だったとしたら。さすがにその場で二つ返事というわけにもいくまい。


「それは……その時になんないとわからないけど」


「何それ、ほんとにそういうことになったら返事出すまで待ってとか言うつもり? 最低……」


「な、何なんだよお前はさっきから! いつもみたいに首突っ込んでくるけど今回ばかりはほんとに関係ないだろ天城は」


「なっ……」


 あまりにしつこいのでつい突き放すようなことを言ってしまった。それに天城は一瞬だけ激昂する表情を作ったが、すぐに俺から目を逸らして押し黙る。


 なおも何か言いたげなのは明らかだったが、深入りしすぎだと自覚したからか? だが横顔から窺える険しい表情は、何かを逡巡している色のようにも見えた。


「玲愛ちゃん大丈夫? なんかいつになくそわそわしてるけど……」


「何でもないから。悪いけど一人にしてくれる?」


「え、あ、うん」


 ずいぶんぞんざいな扱いのようだが、山守は軽く戸惑いつつも素直に頷き、俺にひらひらと手を振ってから自分の席へ戻っていった。

 あんないい子を素っ気なく追い返すだなんて、という思いで天城の横顔を見つめると、俺の視線に気づいてかぎろりと睨まれる。


「何見てんの? 誰が見ていいって言った?」


「ほんとお前、大丈夫か? 俺にそういう話があったからって調子狂いすぎだろ」


「それ以上余計なこと言うとこの話言いふらすよ」


「すいませんもう視界に入れたりしないから許してください」


「ふん」


 結局、天城は一日中不機嫌そうで、かつ焦っているような素振りを絶やさないでいた。

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