第18話 姉にバレた

 結局その後、桜花姉ちゃんが暴れそうになったのでさしもの雪音姉貴も慌てて俺を解放せざるを得なくなった。

 どうやら俺のズボンに手をかけようとしていたのがまずかったらしい。


「雪音、オトくん嫌がってたでしょ? 人の嫌がることしちゃいけないって小学生でもわかるわよね? 夜道で知らない男の人に同じことされても平気でいられる? 試してみる?」


「ふみはへんもうひどとひはへん」


 抑揚のない声の桜花姉ちゃんが雪音姉貴の両頬を片手で掴んで締め上げる。ここで下手に刺激するといよいよ血を見なければ収まらなくなってしまうので、その場にいる人間は姉ちゃんへの絶対服従を強いられるのだった。


「オトくん、もう大丈夫だからね。また雪音にいじめられたらお姉ちゃんに言ってね」


「う、うん。ありがとう」


「雪音、オトくんに言うことあるわよね?」


「セーテキボーコーしようとしてごめんなさい」


 床に突っ伏して口しか動かないほど憔悴しきった雪音姉貴。それを後目に俺は桜花姉ちゃんに連れられこの変態空間を脱出した。


「全く……姫夏だけじゃなく雪音まで、困ったわ」


「うーんまあ……姉貴の場合わかっててやってるっていうか、基本的に度の過ぎたことはしないんだけどね」


「さっきのあれ、度が過ぎてなかったと? オトくんまさかああいう」


「いやさすがにあれは悪ノリが過ぎてたよ! ほんと助けてくれてありがとう!」


 この分だと姫夏に襲われた現場を目にしようものならどうなっていたことか。雪音姉貴が話さないでいるのも現時点では正解かもしれない。


 それに桜花姉ちゃんの中では、やっぱり姉弟で「そういう」ことをするだなんてあり得ないという認識があるらしかった。そこに安堵する一方、彼女たちへの抑えきれない体の反応が日に日に膨らみつつあることに言いようのない不安も覚える。


 もし、俺が姫夏や雪音姉貴で興奮してしまうと知られてしまったら。


 それこそ、桜花姉ちゃんすらその対象になりうるとバレたら。


「そ、それじゃあ俺、部屋に戻るから……」


 自己嫌悪から来る勝手な気まずさに背を向けるように、俺はそそくさ退散しようとする。

 だが踵を返したところで、両肩を姉ちゃんの手で引き留められた。


「あ、待って」


「うぇっ!? なな、何……?」


 答えが返ってくるより早く、添えられた手で桜花姉ちゃんの方を向かされると、以前と同じように二つのたわわが俺の顔めがけ迫ってきた。


「むぎゅっ……な、何を」


「ごめんね、雪音にあんなことされてたばかりなのに……でもちょっとだけ、このままでいさせて」


 俺の頭を抱いて離さない桜花姉ちゃん。このハグ自体はこれまでに何度となくあったこと。俺が平静を保っていられれば何の問題もない。


 しかしまずいのはそれが難しいということであって。


 雪音姉貴に刺激され、さらに姉ちゃんの声であんな音声を聴かされた後となっては、体の感触からにおい、そしてこの声までもが間近にある彼女の存在をまるまる「異性」として俺に認識させようとしていた。


 それも、今の俺は正面から姉ちゃんに抱きしめられている。腕だけでなく体まで押し付けるようにしてくるので、どうあっても距離を取ることができない。


 単刀直入に言うと、下半身まで桜花姉ちゃんに密着してしまっている。


 ……ここでこれ以上の刺激を受けてしまったら。


「あ、あの……姉ちゃ、姉ちゃん……離して……」


「ほんとにごめんなさい……なんだかこないだのことがあってから、お姉ちゃん妙に不安になることが多くて……」


「こ、こないだ?」


「オトくんがあの女の子連れてきた時のこと……」


「え? いやあれは偽装彼女だったわけで」


「そうだけど……でもオトくんだって男の子だし、いつかほんとに彼女ができたり、将来的には誰かと結婚してこの家を出てくのかなって思うと……」


 ずいぶん話が先のところへ飛んでいた。

 そんな未来のことまでは考えたことないけど、確かにいつかはそんな日が来るのかもしれない。

 だがそれは桜花姉ちゃんだって、もっと言うなら雪音姉貴と姫夏だってそうじゃないか。むしろ年齢的にも三人の方がそうなる可能性はずっと高いんじゃ。


「私はオトくんと一緒にいられるなら、ほかには何もいらないから……」


 優しい音色、しかしどことなく寂しさを孕んだような、ぞくりとする声で囁かれる。口元が耳に近いのもあって息遣いがあの耳かき音声と似ていることに気づいてしまう。


「え、それって……」


「ずっとずっと欲しかった、たった一人の弟だもの……いつまでも一緒にいたいし、誰にも渡したくない……」


 きゅっ、と腕に力が込められる。すでにこれ以上ないくらい密着しているのに、さらに姉ちゃんの体の中心へ向かうように、その柔らかさに埋もれていく。

 甘い香りがむせかえるほどになった。もっと、ずっとこうしていたいと思ってしまった。


 違う、確かに気持ちいいけどこれはそういう意味じゃないんだ。桜花姉ちゃんだから、母親に甘えるようなものなんだ。やましいところなんてないんだ。必死に自分の理性に言い聞かせる。


「ごめんね……オトくんがそれでいいわけないのに、お姉ちゃんの勝手だよね……」


「ね、姉ちゃん……離し……」


 腕の力は緩まない。ますます姉ちゃんが近づく。近づいてしまう。


 こんなにも全身で彼女を感じてしまったら。もう、これ以上は。


 声を荒げればきっとやめてくれるだろう。姉ちゃんは姫夏や雪音姉貴と違うから、俺が嫌がることはしない。

 けど、何であれ大声を上げて彼女を拒絶することは、そこに少なからぬ誤解を生んでしまうかもしれない。


 その逡巡が、次の一瞬までの判断を遅らせてしまった。


「はぁ……」


 それは単なるため息だったのだろう。いつまでも俺と一緒に暮らせるわけではないという現実的な諦めを表現しただけのものに違いなかったのに。


 間近で、耳に吹きかけられるようにして聞いてしまった俺にとって、それはあの耳かき音声で聞いた音色をありありと想起させてしまうこととなった。


 あの艶めかしい吐息、舌遣いをする女性がこんなにも間近にいる。


 それが家族とか姉とかなんて関係ない。というより、その前提を本能が飛び越えてしまった。


 理性を無視した本能が俺の体に直接働きかける。それは反射に近い生理現象となって表れた。


 表れてしまった。


「……あっ……」


 短く、か細く、姉ちゃんが呟くのが聞こえた。ふっと俺の頭を抱いていた腕の力が弱まる。

 不意に訪れたそんな反応に、俺は血の気が引く思いで彼女から体を離した。けれど二本の腕が背中に回されたままで、なお半歩の距離も取れない。


 そして下半身が……俺の怒張したそれもまた、未だ姉ちゃんから離れられないでいる。


 あるいは彼女がその正体を探ろうとしてか、離させてくれない。


「あの……オトくん? お腹のあたりに何だか、その……すごく硬いものが」


「う……うぅぅわあぁああぁあああっ!」


「きゃっ!?」


 もうなりふり構っていられなかった。突き飛ばすように姉ちゃんを振りほどき、身を翻した。だがそのままバランスを崩して床に膝を着いて転んでしまう。


「お、オトくん大丈夫……!?」


 急に突き飛ばされてなお、桜花姉ちゃんはいつものように心配してくれる。いつものように、俺の体に触れようとしてくる。


「さ……触るなッ!」


 夜中なのに、家中に響こうと構わないくらいの大声が出た。


 背を向けているのでどんな反応をしているかはわからないが、それきり桜花姉ちゃんが歩み寄ってくる気配はない。


 だがすぐに、彼女を激しく拒絶する言葉を口走ってしまったことに気づいて、猛烈な後悔に襲われた。同時に、俺が何を彼女に悟られてしまったのかも突きつけられていて、思考と感情をまとめられる気などしなかった。


「ごっ、ごめんっ……! そんなじゃない、姉ちゃんのこと嫌いとかじゃないんだっ……! ただもう、俺がおかしくて、自分でも何だかよくわからなくてっ……今までこんなことなかったのに……ごめん、ほんとにごめんっ……」


 油断すれば泣いてしまったかもしれない。もうどうしようもないくらい惨めで、恥ずかしくて、やるせなくて、申し訳なくて。


 俺が彼女を「異性」として認識していたという、確たる証拠。


 これだけは姫夏と雪音姉貴にさえ掴ませなかったもの。


 それなのに。


「い、いいのよ。お姉ちゃん気にしてないから……」


 そう返してくれた桜花姉ちゃんはどんな顔をしているのだろうか。声には動揺からだろう震えが読み取れる。

 実の姉に「そういう」感情を抱いた弟に対して、一般的な価値観に基づいて向けるべき視線がそこにあるのかもしれない。


 そのスジの仕事をしていようと、そういう性癖も世の中にはあると知っていたとしても、それはあくまでフィクションの中の出来事であって、現実と創作物は違う。

 桜花姉ちゃんは誰よりそのことを弁えている。ロリコン疑惑の時あれだけ大騒ぎしたように。


 ということは、振り返った時そこにあるだろう彼女の顔は。


「私こそ、本当にごめんなさい……オトくんがそんな、そんな風に思ってたなんて……」


 先のため息と似た、けれどもどこか違うようにも聞こえる諦めの音色。がん、と頭を殴られた気がした。


「……あっ、違うの! 今のはそういう意味じゃなくてっ! オトくんのこと変な目で見る気はないの! だからっ……」


「……ごめん……」


 気遣う台詞とて、どこまで本心なのだろう。波風を立てまいと繕っているだけなのかもしれない。


 いてもたってもいたれなくなって、俺は壁を頼りながら立ち上がる。幸いにして俺の部屋はすぐ目の前で、振り返る必要はなかった。


「オトくんっ、私は本当に気にしてないから! だから落ち着いてからでいいから、ゆっくりお話しましょう? ねっ……?」


 震える声がなおも背中にぶつかってきた。それに俺は返事することなく、自分の部屋へと逃げた。


 ベッドの上に、うつ伏せに倒れ込む。未だ収まらない怒張が自重に圧迫され、かすかに心地よさを醸していることに気づいて激しく自己嫌悪した。


「何なんだよ……わけわかんねぇよ、もう……」


 そこにあるのはただ、彼女たちを異性として認識し、動物の本能を発散したいという欲求だけ。


 恋愛感情は全く抱いていない。ただ結果的に気持ちよくなりたいという願望だけが奥底にある。


 だからこそ自分が許せなかった。そんな自分の中のケダモノが。

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