第16話 雪音先生のお悩み相談室

 桜花姉ちゃんが帰ってきたのが十八時半頃。今日は四人揃って夕食。


「ぎゃははははは」


「姫夏、口にものを入れて笑うのお行儀が悪い」


 テレビを見てけらけら笑う姫夏と、それをたしなめる桜花姉ちゃん。


「お、このきんぴらうまいな乙秋」


「えっあっうん、ありがとう……」


 マイペースに箸を動かす雪音姉貴。

 食事中でも気まずいやら緊張感に苛まれているようなのは俺だけのようだ。


「ごちそーさん。乙秋、ひと段落したらあたしの部屋来い」


「あ、ああ」


 先に食べ終えた姉貴が席を立ちながら声をかけてくる。先ほど言っていた「洗いざらい話す」ということだろう。


「うわ、さっきの続きしようっての? オマエもユキ姉も大概だね……」


「ち、違うから! さっきのは全然そんなじゃないから!」


「ヒメカはぜーんぶわかってんだかんなーオマエの本性」


「ぐっ……」


 つんとして自分のことなど棚に上げたことばかりのたまう姫夏。あんなことしてきたお前の方こそ、と言い返したくなったが実際にそれを台詞にアウトプットする勇気はなかった。俺もヘタレだ。


「……何の話? オトくん、雪音と何かあったの?」


「い、いや何も。何もあるわけない」


「ナニしてたじゃん」


「してないって!」


「姫夏、いい加減にしなさい。後でお姉ちゃんとじっくりお話する?」


「ごちそうさまァ!」


 桜花姉ちゃんから逃げるように席を立つ姫夏。ついでにちゃんと食器を台所に持っていくあたり妙に律儀な気もする。

 まあこれは中学くらいの時にろくに片付けしないでいたところ姉ちゃんからマジギレされたことで何とか根付いた習慣ではある。姉ちゃん曰く「家事してもらうことを当たり前だと思うな」とのこと。全くその通りである。


 そんな思い出もあってか、さしもの姫夏も桜花姉ちゃんには基本的に頭が上がらない。小さい頃、こいつが俺を泣かすと飛んできて叱り飛ばしていたことが幾度もある。


「全くもう姫夏は……。けどあの子ともオトくん何かあった? ここ最近なんだかぎこちないというか、妙に含みのあるような会話が多く見えるから」


「い、いや、別に……」


「そう? 困ったことがあったら何でもお姉ちゃんに相談してね」


 屈託のない優しい笑顔。このぶんだとやはり先日の件を知らないらしい。

 まあそれならそれで知られているとまた面倒なことになりそうだし、やはり全面的に俺の味方をしてくれるのは今も昔も姉ちゃんだけだ。いやロリコン疑惑の時はアレだったけど。



   *



 食器洗い諸々を済ませたのち雪音姉貴の部屋へ。三回ノックをしたところで「おーっす」と聞こえてきたので入る。


「まあそのへん座れよ」


 椅子に座った雪音姉貴が言う。向かっている机の上にはパソコンやペンタブレット、作画資料なのか色んな本などが乱雑に置かれていた。

 で、床の上にまでそうした本からアニメのDVD、ゲームの箱などが散らばっているので、座れと言われてもまず足の踏み場がない。

 いくら言っても本人は「どこに何があるのかわかってるからいい」とのことで片付けようとしないので、ここは俺がこの家で唯一掃除できない部屋と化している。


「ほんと汚ねえなぁ……夏を待たずにゴキブリ沸くよ?」


「もう慣れてるからいい」


「慣れないで」


「いいから、ほらベッドの上にでも座ってろ」


 そうして促されたベッドの上だけは余計なものが載っていなかった。やむなくそこへ腰を下ろす。俺の体重がかかった弾みでふわりと甘い香りが舞った気がした。


「さてと」


 椅子から立ち上がりこちらへ歩み寄ってくる姉貴。そのまま俺の隣に寝転んだ。


「で、そうだな何から話してもらおうか。とりあえず姫夏の言い分としてはこないだの土曜、お前があいつのDVDでオ●ニーしてたんで問い詰めたら欲情して襲ってきたと」


「ジジツムコン! ウソハッピャク!」


「もちろん信じちゃいないよ。でも見たのはほんとらしいじゃないか? どこからが嘘なんだ?」


「お、オナ……オ●ニー以降の流れ全部」


「えっほんとにしてないの? さっきあたしの裸ぐらいであんなに慌てといて?」


「してないってば! は、裸見ちゃってああなったのはその……なんていうか……自分でもよくわかんないけど、その……」


「興奮したと」


「してないっ……してない、してないと思いたいんだけど、その……」


 ここで雪音姉貴にまで強情を張ってもしょうがないか。洗いざらい話すということになったのだし、相談に乗ってくれる上でも正直になるほかない。山守の時のことも思い出す。


「その……生理現象というか不可抗力というか、あいつをそういう目で見てるつもりはないし、見たくもないんだけど、体の方は反応しちゃって、つまり結果的にはそういう状態になってしまったというか、うん……」


「すげぇなほんとにあたしのマンガみたいなこと言ってる」


「すごくないよぜんぜんすごくないよ」


「とにかくまあ、それで弟くんとしてはそういえばあいつがぶっちぎりの美人かつドスケベボディなことに気づいてしまい、一日一日を悶々とした思いで過ごさせられていると」


「いやそこまで重症じゃないけど……その、もろに見ちゃったり過度なスキンシップ取られたりするとまずいだけで」


 現状、姫夏に対して抱いている気まずさはそういうものではない。


「ただもう、あいつが何を考えてるのかがよく……。俺が女扱いしてないってことに怒ってるのはわかったし、それは悪かったと思うけど……」


「まあほとんど逆レイプだったなあれは。本人にはそんなつもりなかったみたいだが」


「あんなことしといて!? 場合によっては出るとこ出てもよさそうなもんなのに!?」


「実際、あの後突っかかってきた姫夏にそう言ってやったら一人で大騒ぎしてた。ありえないキモいそんなつもりなかったどうしようって」


 一応、あいつなりに自分のしでかしたことを後悔してはいたらしい。それと俺が納得できるかは別だけど。


「そこであたしも釘を刺しといた。お前ら二人の問題だろうから余計にこじれるような手出しはしないが、訴えられても言い訳が利かないようなことはするなって。さもないと姉さまにも相談するってな」


「あれから特に仕掛けてこなかったのはそういうわけか……」


「しかし今日に至るまで解決してなさそうだし、戦況としては冷戦状態ってところか?」


「……どう接すればいいのかわからないのはあるよ。それにどうしたらあいつが納得するのかも」


「まああいつもブラコンだしな……特にお前にまつわることは万事が思い通りにならないと気が済まないのも昔からだし」


「ブラコン?」


 ブラコンって兄とか弟が好きすぎてべったりな姉とか妹のことだろ? 姫夏がブラコン?


「いやいやいや、あいつがそんなわけないじゃん。昔から俺のこと虐げてくる気しかないのに」


「独占欲は人一倍だぞ? ことお前に関しては」


「独占? 俺を? どうして?」


「どうしてってそれは……姉だからかな? 言っとくとあたしもあいつほどじゃないがお前のこと傍に置いときたいって思ってるよ」


「傍に置くってそれはつまり……」


「ぬいぐるみみたいなもんさ。可愛い弟だからな」


 何食わぬ顔でのたまう姉貴。ぬいぐるみとまで言いやがった。


 しかしその感情は俺にはよくわからない。何で「弟だから」というだけでそんな思考に至るのだろうか。あるいは俺も下に妹でもいたなら。


 と、そこで雪音姉貴が上体を起こして俺に向き直った。座高も高いのでゆうに俺を見下ろす形となる。その口元が不敵に歪んでいるのは気のせいか。


「な、何だよ」


「何だとは何だ。そっちこそ何で警戒してる」


「警戒っていや別に……ただその、近くて」


「やっぱり姫夏だけじゃなくあたしにも反応するんだな」


「う……」


 この期に及んで否定しても説得力がないのは自分でもわかる。先の洗面所での接近遭遇といい、もっと遡れば桜花姉ちゃんに抱きしめられた時といい、俺は姫夏のみならずもう二人の姉にさえそうした本能を呼び起こされてしまうようになっている。


 誰がそうしたそうさせた。どうしてこんな。だいたいいつから?


 思い起こせば、恐らくあのロリコン疑惑の時に天城ともども姫夏の胸を触ってしまったあたりからか。


 もちろん今まであんなことなどなかった。だからこそあの瞬間、初めて自分の家族がれっきとした「女」の体になっていると突き付けられたようなものであって。


 でも「普通」の兄とか弟っていうのは、その事実を認識したとしても彼女たちに劣情を催すことは一切ないものなのだろうか。

 やっぱり俺が変態ということなのか。


「さすがにあたしもお前のことをそういう目で見ようって気はないよ。それこそぬいぐるみみたいというか、つまり可愛いものはなでたり抱きしめたりしたくなるだろ?」


「……それ、俺にしたいって思ってる?」


「相談料ってことでよいではないか。いつも姉さまや姫夏ばっかりでたまにはあたしだって弟成分を摂取したい。なあに変なとこは触らないよ」


 俺が頷く前からすでに両腕を伸ばしてくる姉貴。あまりいい気はしないけど、まあ姫夏みたいに度の過ぎたことはしないだろう。


 特に抵抗しないでいると、間もなく彼女の腕に肩を抱かれて引き寄せられる。左頬が胸の膨らみの谷間に沈められた。やはりおっぱいは柔らかくて温かい。


「うーん、こうするのもいつぶりかな。いやこれはなかなか癖になるよ実際。姉さまの気持ちわかるなぁ」


「わ、わけわかんないんだけど……」


「照れるな照れるな♪ よーしよしよしよし」


 わしゃわしゃと頭をなでられる。桜花姉ちゃんのそれとは異なるがさつな手つきだったが、むしろその刺激がほどよく心地いい。俺も俺で大概なのかもしれない。


「も、もういいだろ離してくれよ」


「やだ」


「即答っ!?」


「お前だって素直に甘えてくれたっていいのに。その方がもっと可愛げあるぞ? それにこれだけ当たってるんだから興奮してんだろ実際」


「いやそれはそんなまさかえっと」


「触ってほしいなら触ってやるけど?」


「触るな絶対触るなッ!」


「冗談だよ」


 ……雪音姉貴ってこんなキャラだっけ? 実際こんな風に抱きしめられるなんて本当にいつぶりかもわからないくらいだし、日頃ひょうひょうとしすぎて本心がわかりかねるところもあるんだけど。


 まさか世の中の姉という生き物はみんなが弟にこんなことしたがるわけじゃないよね? うちだけだよね? いやうちだけだとしてもそれはそれで問題だけど……。


「それで、お前はどうしたい?」


 優しく促す声色だったが、はぐらかすことを許さないはっきりとした発音で囁かれた。


「どうしたいって……姫夏のこと?」


「それ以外何がある。それともあたしにナニしたいとか聞いてるとでも思ったのか」


「思わねーよ!」


「じゃあさっさと答えろバカタレ。おっぱいで挟み殺してやろうか」


 それは男にとって最も幸せな死に方のひとつなのかもしれないけど俺は死にたいわけではない。


「……まず、俺がほんとはあいつでその、イタしてないって信じてもらいたい。それから……あいつがもうあんなことしないよう、怒ってるならそれを鎮めて納得させたい」


「納得?」


「俺があいつを女扱いしてないわけじゃないってこと……まああいつが『してない』って言うからには、まずそこをしっかり謝らなきゃいけないんだろうけど。でも口で言っても取り合ってくれなさそうだし」


「なるほど、とりあえずお前なりに向き合おうとはしてるわけだ。それなら姫夏の方を何とかできれば望みはありそうだ」


「そうかなぁ」


「あれだけのことされてあいつを嫌わないでいるわけだからな。人が良すぎる気もするけど」


「まあ……」


 確かに、行き過ぎたことをされたとは思っているけど、それで姫夏のことを性犯罪者まがいに見ようとまでは思っていない。

 それは寛容な心で受け入れようというよりか、あくまでいつものようにあいつからちょっかいを出されて、それがふとした弾みでエスカレートしてしまった、ぐらいに捉えていたのが実際のところだとは思うけど。


 まあ嫌ってないのは確かだし、できれば仲直りしたとも思っている。


「とりあえず、あいつの要求に探りを入れるところからだな。時間をかけてやるしかなさそうだ。そこはあたしも手伝うとしよう」


「その……ありがとう」


「なあに、可愛い弟くんの頼みだもんな。それはそれとして」


「いい加減離してくれない?」


「それだよ、お前があたしや姫夏に興奮してしまうこと」


 一番触れてほしくない話題を最後に掘り下げてきやがった。


「認めたくないけど、それが?」


「それを改善しないことには、今後姫夏と仲直りしたにしてもまた火種になりかねないだろ? だったら今から克服する努力をしないことにはだな」


「どうやって……」


「なーに任せとけ。世の中何事も習うより慣れろってやつだ」


 胸にうずめられた顔でかろうじて見上げると、そこにある雪音姉貴の顔は獲物を前に舌なめずりをする凶悪な笑みに変貌していた。


 あ、ここからは単にこの人が遊びたいだけなやつだ。

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