第8話 放課後の仲直り

 演劇部の部室は特別棟の三階にあった。


 ほかにも周りには文芸部とか物理部とか朗読部なんて文化系の部室が並んでいたけど、入学してまだ一ヶ月ちょい、それに帰宅部の身としてはこのへんの地理はわかりかねる。


 そして山守曰く、演劇部の練習は十八時頃に終わるとのこと。そのあたりでどうにか理由をつけて天城を一人にするので、仕掛けるならそこだとも。段取りだけだとやっぱり告白でもするように聞こえる。


 時間的に帰ってから晩飯を作る暇がないので、事前に雪音姉貴に遅くなる旨を連絡しておいた。これでうちのことは姉貴がもう二人にも伝えてくれる。ちなみにこういう場合の晩飯は各々で何とかしてくれという形になる。


 十八時近くまで図書室で時間を潰したのち、そろそろかと腰を上げた。


「いざ謝るぞって思うと気が重いな……」


 事前に計画を立てて謝りにいくなんて初めてのことだ。

 とはいえ予め「何て謝ろう」とか考え出すと正解が見つかる気がしなくて思考が堂々巡りになりそうというか、でなくても白々しいばかりに思えたので、あえて深くは考えていない。それにこういうのは言葉の内容とかじゃない気もするし。


 それでも不安を挙げるとするなら、朝の調子からして天城が話を聞いてくれるのか、そして許してくれるのかだった。

 年頃の女子が相手のこと。下手しなくても虫ケラのように嫌われたっておかしくないことも想定していた。考えるほどにへこむビジョンだったけど。


「あ、豊四季くん。こっちこっち」


部室の前まで来ると、ちょうど部活終わりらしい生徒たちの中から山守に手招きされる。


「玲愛ちゃん、小道具の片付けで一人でいるから。今がチャンスだよ」


「あ、ああ。ありがとう」


「私がいることに気づくと玲愛ちゃん怒っちゃうかもだから、ひとまず手伝えるのはここまでだね。後は頑張ってね」


 何から何まで山守には世話になりっぱなしだ。そのうち礼の一つでもしなければ。


 と、気づけば二年生や三年生を含めた周りの演劇部員たちがにやにやとしている。その視線は一様に俺に注がれて……。


「ち、違うから! 違いますから! 思ってるようなそんな浮いた話じゃないから!」


 思わず弁明すると誰かがひゅーひゅーと指笛を吹くような音。こういう状況でほんとにああいう音鳴らすやつ初めて見た。

 気恥ずかしさのあまり緊張や不安などすっ飛んで、俺はそこから逃げるように演劇部の部室へと入った。


「あ……」


 直後、椅子を片付けようとしてか抱え上げていた天城と目が合ってしまう。


 それから少しの沈黙。天城もまたばつの悪そうな顔をしている。気まずいのは向こうも同じか。


「な、なあ、天城」


「……何?」


「その……昨日は、ごめん」


 手を伸ばしても触れられない距離からだけど、頭を下げた。


「ごめんって……」


「事故だったし、わざとじゃなかったとはいえ……そもそも謝ってなかった。ほんとに、ごめん」


 再び沈黙。朝のようににべもなく突っぱねられるかとも身構えたが、いつまで経ってもあの時のような冷たい声は飛んでこなかった。


 やがてしっとりとしたため息をついて、呆れたように天城が言った。


「……まさか、それ言うためだけにわざわざ?」


「う、うん」


「はぁ……もういいよ。私もなんかごめん。ていうか、元をたどればあんたは巻き込まれたようなもんだったし」


 顔を上げると、彼女は抱えていた椅子を床に置いて口をすぼめていた。何であれ受け入れてくれたことに少し安堵する。


「ゆ、許してくれる?」


「まあ、わざとじゃないわけだし、こうして謝ってくれるなら、うん。今朝はなんかヘラヘラしてたからムカついただけ」


「へ、ヘラヘラはしてない!」


「してた」


「ぐぬぬ……」


 ほんとにそんなつもりはなかったのだが、向こうからすればそう見えたということなのだろう。下手に反論して余計な火種を起こしたくもない、素直に認める。


「結局、あれから疑惑は晴れたわけ? っていうかあそこまでさせといて無理でしたとかだったらちょっと暴れるよ」


「雪音姉貴がとりなしてくれたっぽいのもあってなんとか。いやさせといてって、そっちから無理やりしてきたんじゃないかほとんど」


「だからあれは演技のためだって何度も……!」


「姫夏から見透かされてたのに?」


「ブラフって可能性もなくはなかったでしょ」


 あいつが人にカマかけられるほど機転が利くとは思えない。

 というか、姫夏とムキになって張り合う天城の姿は素人目に見ても演技ではなく、もっと本能的な、感情的衝動に基づいてのことではなかったか。


 つまり。


「……あいつに言われたことそんなに気にしてる?」


 一度置いた椅子を頭の上まで掲げた天城が迫ってきた。あんなにあった距離があっという間に縮まった。


「ごめんなさいもう二度とこの話はしません! だからやめてゆるしてころさないで」


「昨日一日であんたの姉がどれだけ最低なやつかよくわかった。ていうか察するわよいろいろと」


「そ、その……あいつに代わって謝るよ。実際姫夏は昔からあんな感じで、特に俺が自分の思い通りにならないとすぐ殴ってくるし……」


「よく姉弟やってられるね。私、一人っ子だからよくわかんないけど」


「まあ桜花姉ちゃんと雪音姉貴がいなけりゃどうなってたかな」


 根っこは悪いやつじゃないんだけど。


「だからその、もしあいつにまた何か言われても相手にしなくていいよ。顔だけはいいけど、俺より勉強できないくらい可哀そうなおつむだし」


「勉強できるかどうかと人間性の良し悪しは根本的に違う。それにあんた、もし私に兄がいたとして、初対面でタンショーとかホーケイとかソーローとか言われても黙ってられ」


「女の子ォ!」


「あんたしかいないからいいわよもう。それも昨日したことに比べたら……」


「そこでまた蒸し返すの!? や、やっぱほんとは許してくれてないんじゃ」


「そっちじゃなくて! あんたがしたことはもういいから! そうじゃなく私が……!」


 そこまでまくし立てて、はっと気づいたように天城は顔を伏せてしまった。ちらと窺える顔色はほのかに赤く見える気もしたが、窓から差す夕日のオレンジと混ざっていてはっきりとはわからない。


 で、俺のしたことはもういいって。つまり今こいつが言ったのは、天城自身がしたこと……それも女子にあるまじき単語の連発なんかより重大なコトらしい。

 つまり昨日、俺は彼女に何をされたか?


 まず最初におっぱいが閃いて……それから目前まで迫る唇……誘うような響きの台詞……。


「あっあっあっ」


 俺まで顔から火が出そうになった。やっぱり姉以外の異性とあんなに接近したことなんて初めてだ。


 それに何より天城は普通に、いや普通どころか飛びきりの美人だということも。


 家族以外の美人にあんなに接近されたことはない。あんな風に囁かれたことはない。



「あああでもでも演技だったんだよな!? 芝居だったんだもんな!?」


 この得も言えぬ気恥ずかしさと気まずい空気を紛らそうと必死で台詞を出力する。それにびくと肩を跳ねさせる天城。


「え? あ、ああうん、そうね……」


「じじじじゃああれはそういうことだったわけで! そりゃそうだよな役者なら好きでもない相手と手もつなぐし抱き合うしキスだってするかもだもんな! だからあれくらい、なあ? だよな! な!」


「……そうね」


 俺のテンパりようもよそに、そのあたりでふっと熱が引いたように天城の顔色の落ち着く。どこか不機嫌な目つきで、なぜか俺から視線を逸らしているようにも見える。


「ど、どしたの? 俺また何か変なこと言った?」


「何でもない。あんたの言う通り、あれは全部芝居だっただけってこと」


「う、うん」


「明日からはまた元通りだから。あんなこともう二度としない」


「もちろん」


「あんなの全部あり得ない、絶対あり得ないこと。あんたなんか、誰があんたなんかと」


「あ、天城? 天城さん?」


「あんたこそ勘違いして鼻の下伸ばしてほんとキモいやっぱ変態じゃないあんた」


「いやあれはその不可抗力というか……」


「また言い訳するしやっぱり最低だとにかく勘違いするな絶対勘違いなんかするないいわねわかったわかったら返事しろ」


「はひ」


「わかればいいのよ」


 かつてないくらいの勢いでまくし立てられた。正直途中から何て言ってるのかよく聞き取れなかった。


 よく見れば、一度平静を取り戻したはずの天城の顔は夕日のなかでも明らかなほど真っ赤だった。羞恥と怒りが濃縮百パーセントずつで混ぜこぜになっているような。下手に刺激するといよいよ椅子が飛んできかねない気迫。


 でもまあ、そりゃ思い出しちゃうとね。昨日男に不本意ながらあんなことして、おまけにあんなことされたら。

 そろそろ退散するが吉と踏んだ。


「それじゃ俺、帰るよ。また月曜に、な」


「……ん」


 天城は止めてくることはしなかった。なぜだか後ろ髪を引かれるような思いを抱きつつも、俺は踵を返して教室のドアに手をかけた。


 と、もうひとつ伝え忘れたことを思い出して、手を止める。


「あ、それと……今回はいろいろ、ありがとな。なんだかんだで助かった」


「もう二度としないって言った」


「いやいいけど……」


「それ以外なら、またなんかあったら相談に乗る」


 確かにそう言ってくれたのが聞こえた。あまりにぶっきらぼうな調子だったので、好意的な返しと受け取るのに少し時間がかかってしまった。


「え?」


「それだけ。帰るならさっさと帰ってよ。まだ片付けあるんだから」


 そんなつっけんどんな口ぶりさえ、たった今の言葉に覚えたこそばゆさの前には霞んでしまう。


 俺はそんな自分の感情から逃げるように、そそくさと部屋を後にした。

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