第7話 おっぱい触っちゃったけど友達でいてもらうために

 翌日の朝。純夫にはなんとかロリコン疑惑を晴らせたのでDVDを返せる旨を伝えた。やっぱり人目も憚らず狂喜していたのは言うまでもない。


「で、ブツは?」


「持ってきてるわけねぇだろ。明日どっかで落ち合うからそこでだ」


「よし、じゃあそのついで奢ってやるからよ! オレは受けた恩と仕打ちは忘れない男だぜ!」


「だから声が大きいっての!」


「また朝からキモいこと話してる……どっか行ってくれない?」


 昨日と同じように隣の席に着こうとする天城の声。心底うんざりした面持ちで純夫を睨む。たぶん純夫だけ睨んでいるはず。

 それに「げっ」と短く発して純夫は自分の席へ逃げていった。女子には詮索されたくないあたりはまだ恥じらいがあるのかもしれないが。

 というか、そう、天城。

 一見するといつも通りのすまし顔を貼り付けて、何気ない所作でもって一時間目の準備をしている。隣の俺には目もくれず。


「お、おはよう天城……」


 ガン無視。一瞥さえくれない。


「あ、あの、昨日はさ……」


 そこまで言いかけたところで、ぷいとそっぽを向かれてしまった。聞く耳持たぬという素振り。取り付く島もないとはこのこと。

 そりゃあ昨日あんなこと……事故とはいえ仮にも男に思いきり胸を触られたとあってはやむなしか。まあもとは天城が姫夏と張り合わなければ避けられたかもしれないんだけど、しかし口が裂けても俺は悪くないだなんて言えない。

 何であれ、彼女との間にこのまま気まずい空気を漂わせていたくはない。かといってこちらの話を聞いてくれないのでは修繕のしようもない。せめて、何かきっかけがあれば……。


「おはよう玲愛ちゃん、なんかやなことでもあった?」


 きっかけが来た。

 天真爛漫な笑顔を振りまきながら天城に話しかける女子。クラスメイトの、ええと……。


「……おはよう、詩子うたこ。別に嫌なことなんて……」


「でも玲愛ちゃん、昨日部活来なかったし、何かあったのかなって」


「何でもないよ」


 そうだ、山守詩子やまもりうたこっていったっけか。

 詮索してくる山守から目を逸らす天城。たまたまその視線が俺と合った。確かに彼女の言う通り、不機嫌そうな形に見える。


「ほんとに何もなかったから、ええなんにも」


 抑揚のない声で俺を見据えたまま呟く。激しく怒るとかそんな風ではなかったが、昨日凄まれた時に匹敵するぐらいには背筋が寒くなる迫力があった。それを感じ取ったのは俺だけだろうけど。


 ふと、天城の視線の先を追った山守とも目が合った。


「あ、豊四季くんおはよう」


 天城に向けていたのと同じ朗らかな笑顔を向けてくれる。さらさらのボブヘアとあどけなさを残す小動物然とした小顔。普通に可愛い。


「あ、ああうん。おはよう」


「詩子、こいつに近づかないで。何されるかわからないから」


「ちょっ!?」


 冷然と言い放つ天城に愕然とさせられた。


「え、どうして?」


「どうしてもこうしても。信じた私がバカだった。あそこの須田以上のケダモノよこいつ」


「須田くん……ああ、あのおサルさんみたいな……。でも豊四季くんはそんなことないと思うけどな、可愛いし」


「見た目に騙されちゃダメ。しょせん男よ」


「え、じゃあ玲愛ちゃんがなんかむすっとしてるの昨日あれから豊四季くんにすごいことされちゃ」


「違うッ! すごいこととかしてないッ!」


 山守の声をかき消そうと教室中に轟く天城の叫び。なんだなんだと周囲から視線が集まった。

 俺はというともう何からツッコんだものやら、いや下手にツッコまない方がいい気もする。あとさらっと「可愛い」とか言われたことに小さなプライドが傷ついた。ついでに向こうの席で純夫が「おサルさん」とか言われたことに沈んでいた。


 でもまあ、あえて言うなら昨日の「あれ」は、俺にとっては「すごいこと」なのかもしれない。色んな意味で。全く誇れはしないけど。


「ねぇねぇ豊四季くん、昨日何があったの? えっちなこと?」


 と、天城の席から俺の傍へ寄ってきた山守に迫られる。背が低いのもあって余計に顔が近くに感じられる。


 あとおっぱいも近い。デカい。なんだこれバケモノか。


 そう、山守のたわわさといったら一目瞭然なほど。いわゆるトランジスタグラマーというやつなのかもしれない。シャツを内側からはち切れんばかりに膨らませる姿には圧倒的な迫力さえある。


 ……なんかもうふとした思考が純夫みたいになってきてる。もうやだ。


「ち、近づくなって言ったでしょ! あと余計なこと聞かない! ほらみんな見てるから自分の席行く!」


「えー、注目の的なのはむしろ玲愛ちゃんの方だと思うけど……」


「うるさい!」


「んもぅ……豊四季くん、後でお話聞かせてね?」


 去り際、天城に聞こえないよう小声で囁かれた。それだけでどきりとさせられるような甘美な響きがある。


 ぱたぱたと俺の傍から離れ、別の女子のグループへ加わっていく山守。今まで胸が大きいくらいにしか認識していなかったが、こうも可愛い子がクラスにいたとは僥倖というか、なんというか。その子に名前覚えてもらってて、しかも印象は(おそらく)それほど悪くないと見える。

 まあ「可愛い」とか思われてるあたり、男扱い以前の問題なのかもしれないが。


「……言っとくけど」


 先ほどと同じ冷たい天城の声が聞こえた。


「え、あ、はい、なんでしょうあまぎ、あまぎさん」


「詩子に手ェ出したら殺すから」


「だ、出さねぇよ! 人のことなんだと思ってんだ!」


「ケダモノ」


「だからあれは事故で……!」


「言い訳するんだ。最低なヤツ」


「え、あ……う……」


「ふん」


 それきり天城はまた俺から視線を逸らして、とうとう一言も発さなくなってしまった。



   *



 気まずさを拭えないまま六時間目まで過ごし、ホームルームも終わった。

 あっと思うと、天城は鞄を取ってすぐに教室を出て行ってしまった。もはや俺のことなど眼中にない素振り。


「うーん……」


 俺も俺で気が小さいだろうか? 女子一人に嫌われたことにここまで落ち込まなくたって?

 というより、俺としては中学から付き合いのあった友人を傷つけてしまったのではないかということが悩みの種だ。俺自身の我が身可愛さなど正直二の次。まあ、天城が俺のこと悪く言わない保証というのも、今朝の山守とのやり取りを見る限りないとは言い切れないのかもしれないけど。


「ねぇねぇ豊四季くん」


 と、その山守が見計らったように俺のもとへ駆けてきた。


「お、おう」


「これから時間ある? ほら、今朝言ってたお話」


「あ、ああうん。いいけど」


「昨日、なにか玲愛ちゃんと喧嘩しちゃったっぽいじゃない? よければ私が相談に乗るよ。玲愛ちゃん今日一日中ご機嫌斜めだったからさ、九十度くらい」


「それは斜めじゃなく直角っていうんだと思うけど……」


 いやそんな無粋なツッコミはどうでもよろしい。仲介してくれるのなら願ってもない申し出だ。


「でも、いいのか? わざわざ……」


「玲愛ちゃんとは友達だし、部活も一緒だし。ずっとむすーっとされたままじゃこっちもやりづらいから」


 そういえば今朝も部活がどうのと言っていた。つまり山守も同じ演劇部らしい。


 それこそこれから部活があるから話は学内でとのことだったので、彼女に連れられ一階の渡り廊下近くの購買へ。それぞれ自販機で適当なジュースを買うと、彼女がベンチを指さしてきたので腰を下ろした。続いて右隣に並んで座った山守が思いのほか近くて思わずどきりとする。


「それで、何があったのかな?」


 手にした桃ソーダの缶を開けながら、上目遣いに尋ねられる。なんとなく悟った、これは男を手玉に取る方法を知っている人間だ。


 とはいえ、相談するにしてもどこから切り出したものか。まさか事実をそのまま教えるのは天城の名誉のためにも憚る。


「うーん……あんまり詳しく言うと、天城にも悪いし……」


「でも教えてくれないことには協力しようがないし。ていうか正直に話してくれないならやっぱ私帰る」


「あ、待って待って! わかったよ、ええと……」


 できるだけ細部をぼかすしかないらしい。そう思って言葉を選んでいると、


「あ、嘘はつかないでね。盛るのもダメ隠すのもダメ。ありのまま起きたことを教えて」


「そ、それは……」


「誰にも言わないからそこは信じて。それに豊四季くん、悪気があってとか、わざとやったわけじゃないんでしょ?」


「そうだけど……」


「なら、正直に話してくれた豊四季くんとその言葉を信じるよ。わざとじゃないなら絶対引いたりしないから。ね?」


 まるで悪さをした子供に言って聞かせるような包容力。加えて人間もできている。素直に従うほかないと思った。

 それでもみなまで言うのは渋ってしまい、


「え、えっと……触っちゃったんだ、弾みで……」


「玲愛ちゃんを? どこを?」


「か、体……」


「体のどこ? 隠さないでって言ったよね?」


「う……む……むね……」


「おっぱい?」


「ぶッ」


 買ったコーヒーを口に含んでいたならさぞ遠くまで飛んだであろう勢いで噴き出す。


「なるほどそっか……つまりナニゴトかの弾みでうっかり豊四季くんが玲愛ちゃんのおっぱいをこう、むんずと」


「そ、そんなんじゃない! 触ったのは事実だけど事故だったしそんな悪代官みたいな手つきじゃない!」


「まあ触り方はどうでもいいんだけど、とりあえず謝ったの?」


「え、あ……いや、タイミングが、その……」


 そりゃ謝ろうとは思ったけど、今朝からあの調子だったし。

 昨日はなんかもう、それどころじゃなかったし。


 それに口調こそ穏やかだったが、きっと目つきを鋭くして山守は俺に向き直った。


「じゃあまずそこからだよね。玲愛ちゃんすごくびっくりしたと思うよ? 私だって同じことされたら、ねえ?」


「う、うん……謝りたいのは山々なんだけど、ただ向こうが話を聞いてくれるか……」


「話聞いてくれるなら、すぐにでもそうする?」


「うん」


「おっけー、じゃあ私に任せて」


 ぽん、と鎖骨のちょっと下を握り拳を叩いて得意げな顔を浮かべる山守。その振動でさえ二つの実りがぽよぽよと揺れていた。


「部活終わってから玲愛ちゃんが一人になるようセッティングしてあげるから、その隙にアタックしちゃいなよ」


「コクるんじゃないんだから……で、でもいいのか? そんな」


「言ったじゃない、玲愛ちゃんは友達だからなんとかしたいって。それに豊四季くんだってそのこと気にして落ち込んでるんだから悪い人じゃないってわかったもん。正直に話してくれたから、私も誠意を持って応えるだけだよ」


 この二日間で姉たちと天城とに振り回されっぱなしだったのもあってか、ついにまともな女子に巡り合えたこと……いやまともに優しくしてもらえたことに、ようやく溜飲の下がる思いだった。ともすればこの世はまだまだ捨てたもんじゃないとさえ。

 大げさすぎる? いやいやそんな、決して。


「それにほら、私ってここ、これでしょ?」


「ぶぅッ」


 かと思えばずい、と自身の胸を俺に突き出してくる山守。この威力!


「前から男子の『そういう』視線にも慣れてるし、っていうか、きっとここ目当てなんだろうなって人も近寄ってくるしでさ」


「そりゃも……もんだいだなっ」


 危うく全力で頷きかけるぐらいには理性がぐらついていた。


「そういう下心ありありなのを隠してるってのも、一目見るとなんとなくわかっちゃうんだ」


「え、あ……えっと、ごめん……」


「あ、違うよ。豊四季くんは違う。っていうか違うってわかった。でなきゃ玲愛ちゃんに謝ろうとなんかしないでしょ? 『そういう』人だったらせいぜい事故だししょうがない、触れてラッキー、で済ませるかもしれないし」


「まあ……」


「でも豊四季くんはちゃんと相手のことも考えてくれてるんだってわかったから、私も玲愛ちゃんの振り上げた拳を受け止めるクッションになるよ。謝ってもダメなら私も直接仲裁するからさ」


 きっと柔らかくて素晴らしい弾力のクッションなんだろうなあ。目の前でこんなに大きなものを揺らされながら言われてももうあんまり内容が頭に入ってこなかった。


 いかんなあ、なんか今日は一段と溜まってるなあ俺。明日純夫に奢ってもらうブツでさっそく発散するとしよう。


 さてとベンチから腰を上げる山守。


「じゃあ行こっか。部活終わるの十八時くらいになっちゃうけど、時間大丈夫?」


「ああ、待つよ。なんかごめん、何から何まで……」


「いいのいいの、困った時はお互い様だよ。それにこれは玲愛ちゃんのためでもあるし」


「なんつーか、仲いいよな。高校での天城の人付き合いってあんま知らないけど」


「実をいうと、さっき言った『そういう』人たちに絡まれてるとこを助けてくれたのが玲愛ちゃんでね」


「なるほど」


 合点がいった。多少丸くなったと思ってたが、あいつの世話焼きというか正義感は中学の頃から本質的には変わってないらしい。

 

「そういう豊四季くんも玲愛ちゃんと仲いいよね?」


「仲いいっていうか、中学の同級生で……まあ、いろいろあるんだよ」


「へぇ、それ詳しく聞きたいな。面白そう!」


「面白くはないよ」


 こればかりは本心から、それも自嘲を伴って出た台詞だった。

 俺とあいつの縁というのは、そういう愉快さとか甘酸っぱさなんてものからは程遠い。

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