第5話 姉と彼女(仮)が戦争状態に突入したので逃げたい

「それで、これからどうする?」


「どうするって、とりあえず時間潰すしかないでしょう? さっきお姉さんたちに晩ごはんはそれぞれでって言ったくらいなんだし、あんまり早く帰ったら不自然じゃない」


 激昂する姫夏から逃げた先の自室で作戦会議。天城の言う通り、彼氏彼女に擬態するならより自然さを演出するためにも「それらしい」間を置かなければならないのだろう。

 と言っても要するに二人でこの部屋に閉じこもっていれば、外の姉貴たちは俺たちが何をしていたかなどこちらの語るところでしか知り得ないのだから、別に何をしなければならないというわけでもない。


 まあ、だからこそ困っているんだけど。


 仮にも男の部屋にクラスメイトの女子がいるというこの気まずさ。あるいはむず痒さ。もしかすればこそばゆさ。

 どうしろというんだ。


「と、ところでさ天城」


「何?」


「さっきの、その……イクとこまでイったとか」


「芝居だって言ってるでしょなに本気にしてるのバカじゃないの気持ち悪い」


 言い終えないうちにものすごいスピードで捲し立てられた。そこまでムキにならなくても。


「あのね豊四季。あんたにかけられた疑惑を解くためにこの手段をとってるわけだから、やるなら徹底的にやらなきゃ意味ないでしょ?」


「テッテーテキ……」


「ダメ出しさせてもらえばさっきのあんた、ぎこちないったらありゃしない。私が本気なのに当のあんたがやる気ないとかなめてんの?」


「やる気ないだなんてことは……! たださ……」


「ただ?」


「その……あんなグイグイ来るとは思わなかったというか、演技ってのを踏まえても、ええと……」


「嫌だった?」


 どこか寂しそうな、それでいて詰るようにも聞こえる響きの囁き。それが俺に向けられたものだと認識してどきりとする。


「えっ」


「生理的に無理とか、そういうのだったらごめん。もうしない」


「そそそそういうわけじゃないそんなことない」


「じゃあまた抱きついてもいい?」


 そりゃもう。おっぱいも最高。

 じゃなくて。じゃなくて。


「いやそれはその、いくら芝居ったって節度というか用法用量があるというかで、その俺としてはあの悪い気はしないんだけどしないんですけど天城がいろいろ構うんじゃないかってきっと無理してるだろうから」


「ったく、まーた本気にしてる」


「あだッ」


 しどろもどろになっていた間に距離を詰めてきていた天城にデコピンをかまされる。思わずベッドの上に尻餅を着くぐらいには痛かった。


「私がこの調子で演技するんだから、あんたがそれに合わせないであふたふしてどうするのよ」


「あ、合わせるって……俺も抱きつき返せばいいの?」


「ダメ殺す」


「どうしろと!?」


「だから、彼氏らしく堂々としてればいいのよ。その……「することもした」って設定なら、今さらあれくらいで慌てなくたっていいでしょ」


 そんなこと言われたって、姉以外の女子とあんなに接近したことないんだもん。役者じゃあるまいしそんな演技だからと割り切って感情というか感度のオンオフなんてできません。

 というか、ここまで来ると何が天城をそこまでさせるのかが不思議だ。さっきあれだけ姫夏を煽ったことといい。


「そういう天城はずいぶんテッテーテキってやつだけど……なんだ役者でもやってたっけか?」


「あれ、話してなかった? 演劇部だから私」


「初耳だよ! けど、そうか……」


 そう言われて思い返せば、中学の「あの時」も似たような絡みだった気がする。かねてよりそういう方面に興味があったと考えれば、やけに堂に入った立ち振る舞いも納得がいく。


「ただいまッ」


 と、下の階から聞こえる桜花姉ちゃんの声。昨日ほどではないにせよ帰ってくるにはあまりに早い。大方どっちかの姉が天城のことを伝えたんだろうが。何にせよ今のとこは目論見通りに動いている、と言えなくもないのかもしれない。


「誰か帰ってきたみたいだけど」


「一番上の桜花姉ちゃん」


「一番下のあの人よりはまともなの?」


「思い込み激しいっていうか、妙に頑固なとこあるけどね。基本的には優しいよ」


 マジギレすると一番怖いけど。


「そういえば仕事行ってるって言ってたけど、何してるの?」


「えーと、声優」


「声優……!? え、アニメとかゲームとか洋画とかに声あてる、あの声優!?」


「お、おう」


 急に天城のテンションが上がったので驚いた。役者を志すものとして共鳴するところがあったのだろうか。にしても今日一番に興奮した風で、ずいと顔を近づけてまで俺に迫りまくし立ててくる。


「だ、代表作は? 何に出てるの? 何の声あてたの?」


「あ、えっと……たぶん言っても知らないんじゃないかな……」


「じゃあ調べるし! すごく気になる! 私も声優の仕事興味あるから!」


 目を輝かせて言う天城。顔の近さで言うなら抱きつかれた時以上だが、たぶんこれは演技とかじゃなく本心そのまま我を忘れて、なのだろう。


 しかし困った。天城にどれだけアニメやゲームの知識があるのかわからないが、うっかりエロゲーとかエロアニメに出てると知れれば、まあそれなり以上のショックと偏見を植え付けるだろう。彼女の価値観がおよそ一般的な基準にあるなら。

 今まで見聞きした限りでは彼女がアニメオタクという要素は欠片も感じられなかったし、ましてや「そのスジ」にどこまで理解を示してくれるかも定かでない。それも今朝の学校でのやり取りを思い出せばなおのこと。何ならまだ高校一年生、本来そのスジに触れている方がおかしい。


「ととというかなんだ、部活だけじゃなく将来役者になりたいのか?」


「まだわかんないけど、憧れある」


「それはすごい、がんばって」


「私のことはいいから。えっと、豊四季桜花で検索すれば出てくるかな?」


「いやあの……」


 本名では活動してないのでいくらググられても大丈夫なんだけど、何にせよ天城が姉ちゃんの正体に近づきつつあるのは悩ましい。アニメそのものに嫌悪感を示すようなタイプではなさそうだけど……。


「大量虐殺の時間だァァァーーーッ!」


 とそこへ突然ドアを蹴破る爆音。すでに勝利を確信したかのような愉悦を浮かべる姫夏が飛び込んできた。


「おいノックぐらいしろよ!」


「いやあ勢い余って壊しちゃいそうだったからドア。邪魔するやつは指先ひとつでダウンさッ!」


 その指先をびしとこちらに向けて声高らかに叫ぶアホ。なぜ俺がこいつのことだけ呼び捨てにするのか少しは理解してもらえるだろうか。


「さっきはよくもヒメカをコケにしてくれたねクソガキども。オトアキには後でじっくり立場を教えてやるとして、まずはそこの貧乳。お前だよこの垂直絶壁女。人の弟に手ェ出したこと泣くまで後悔させてやる」


「……言ってくれますね姫夏さん。それじゃあなたは私と乙秋くんにとって共通の敵ってことになりますよね。ますます私たちの結束が強くなった気がしますよ、ありがとうございますね」


「なーにがケッソクだってーの、ごっこ遊びなんかでさァ」


 売り言葉に買い言葉、すでに応戦する気満々の天城が再び俺の右腕に抱きついてくる。やはり確かに二つの膨らみ、そういえばとてもいい匂い。でもさっきより心なしか込められた力が強くなっている気がする。色んな意味で不安。


 というか。


「え、ごっこ遊び……?」


「オマエにカノジョなんてできるはずないじゃん。昨日のこと気にして血迷ったみたいだけど、別にヒメカもオカ姉もユキ姉もオマエのこと本気でロリコンとか思ってないから」


「昨日セルフ晩飯抜きするぐらいには決めつけてたじゃねえかよ」


「あれはオマエあれよダイエット中だからよグラドルは体型維持とか大変なんだよバーカ! とにかく、わかったらそんなマッタイラ追い出して戻ってこいよ。今すぐ言うこと聞くなら許してやる」


 言ってることはめちゃくちゃだが、どういうわけか昨日の件が原因というところまで行きついてもらえたらしい。それに仮にロリコン疑惑が晴れていないにしても、天城を追い出すためだけにこんな台詞をあつらえる発想はあるまい。もしかしたら最初からわかっていた風な雪音姉貴がとりなしてくれたのかもしれない。


 とにかく想像していた形とは違ったものの、当初の目的は果たせたということになる。ついでに偽装カップルということまで見抜かれたのなら、今後疑いを避けるために関係を続ける必要もない。天城にとっても楽な結果に運んだじゃないか。

 そういうわけで一息ついた俺は、事を穏便に済ませたいのもあって天城に促したのだが。


「な、なあ天城……とりあえず誤解は解けたみたいだし、もう……」


「は? 何言ってるの乙秋くん」


「何って」


「ごっこ遊びだなんて言われて悔しくないの? 私たちの仲がその程度のものにしか見られてないってことだよ?」


「え、いやだからあま……ぎィィッ!?」


「そういうとこだと思うよ? だから名前で呼んでって言ってるよね?」


 抱かれた右腕がみし、と音を立てて軋んだ。天城は口角こそ微笑の形を作ろうとしていたが、目がまるで笑っていない。声色も穏やかさの節々にドスを利かせて聞こえる。


「わわわわかったわかりましたれあれあさんれあちゃんれあさま」


「やっと名前で呼んでくれたね乙秋くん♪」


「オイオイオイなーにやってくれちゃってんだァー?」


 ビキビキと比喩でなく青筋の浮き出る音を立ててずんずん向かってくる姫夏。それに天城は俺をかばうようにして、腕だけでなく覆いかぶさるようにして抱きついてきた。しかしここに来て鼻の下を伸ばす余裕はない。俺にとっては逃がすまいと組み敷かれかけている風にしか感じられない。


「オトアキから離れろ貧乳、カノジョなんかじゃないくせに」


「ほんとのカノジョなら離れなくてもいいわけですよね。あなたみたいなランボー者に乙秋くんは渡せません」


「へェェほんとのカノジョ? あくまでその設定で通す気なんだァ。でもオトアキは違うって言いたそうだけどな?」


 俺に飛び火した! かつてないほど近くで天城が俺の顔を見つめてくる。


「乙秋くん、そんなはずないよね? 初めてのあの夜あんなに誓い合ったもんね?」


 演技だとわかっててもドギマギが止まらないだろう台詞。けれどその目に恥じらいの色はなく、代わりに地獄の悪鬼が絶対服従を強いる姿がゆらめくばかりである。

 現時点ではここまで数歩分の距離がある姫夏よりも、こうして眼前に迫る天城こそが今そこにある危機と俺の中の生存本能に警鐘を鳴らさせた。


 つまりそれは彼女への屈伏である。絶対の服従である。「合わせる」ことだけが命をつなぐ道となる。


「あっあっあったすけて」


「大丈夫、乙秋くんは私が守るから」


「ぼくまだしにたくない」


「乙秋くんが死ぬのは私を裏切った時だけだよ」


 もうどうにでもなぁれ。


 しかしやはりわからないのは、もう演じる必要がなくなったのに天城がここまでムキになる理由。姫夏との初対面が最悪だったとはいえ、タネ明かしさえしてしまえば「そういうことだった」で済ませられそうなものじゃないか。


「人の一番気にしてることズケズケ言うようなお姉さんのところになんか、もう戻らなくていいからね」


 あ、そゆことね。


「なーに嫉妬してんだか、ほんとのこと言われたくらいでさ。持たざることはここまでセーカク捻じ曲げちゃうもんだね」


 その台詞を聞くや、額の青筋を引っ込め得意げに胸を反らす姫夏。たわわな二つの実りが揺れる。服を着ていても圧倒される迫力。家族でなかったら前かがみになるのは避けられなかったかもしれない。


 そして今度は天城の顔から毛細血管の弾ける音が聞こえてきた。ブチブチブチブチ、白かった肌がみるみる充血していく。同時に、俺の体を抱く両腕が岩のように固くなる。


「ひ、姫夏っ! これ以上煽らないでっ!」


「しかしオトアキもかわいそーだね、こんな小さいのがカノジョじゃヤりたいことも満足にできないでしょ? ヒメカのならできるんだけどなー大きいからァー」


「しねーよ! できねーよ!」


「そうですよ、姉弟でそんなことするわけないじゃないですか。それに……」


「あー? それに、なんだって?」


「乙秋くんは言ってくれました、この世の真理は大きさなんかじゃないって」


 言ってねーよ! いや一字一句同じこと思ったけど言ってはねーよ!


「ふーん、そこまで言うなら見せてみろよカレシカノジョのショーコっての。ついでにこの世の真理っていうのもさァ」


「望むところです」


「「は?」」


 天城の行為が行き過ぎた演技でしかないこと、本当は俺たちが恋人同士なんかでないことが、俺と姫夏の共通認識としてある。だからこそ、天城の買い言葉に二人して全く同じ発音で驚きを発してしまった。


 まさかそんなことができるはずないと。


 というか、そんなことって?


「あ、あま、あまぎ……?」


「思いきり見せつけてやろうね、乙秋くん」


「ままま待てよいくらなんでもまずいだろなにムキになってシャレにならないってばばば」


「ムキにもなるよここまでけしかけられたら」


 ぎゅっ、と俺の体を抱きしめ、引き寄せてくる二本の腕。筋肉が隆起し岩のような硬さは衰えないが、代わりにこちらの胸板へ押し付けられる膨らみが、かつてないほどその「かすかさ」を知らしめてくる。「かすかにある」ことがこれ以上なく確かなのだ。

 そこから沸き起こる情念を想像できるか? それはもうこそばゆいというか、むず痒いというか、愛おしいような、触っても触り足りないというか、だからこそいつまでもこうしていたいというか、夢は夢のままであるからこその憧れがあって、つまり小さいことは「大きさ」というものに詰まった夢がないからこそ、この得も言えぬ夢がいつまでも、そういつまでもここにあるのだと俺に教えてくれた気がした!


 それだけじゃない! それだけじゃない!


 彼女は「その先」まで俺に教えようとしてくれている!


「『ここ』の大きさが、戦力の決定的な差にならないことを……教えてあげようね?」


 ほら! 教えてくれるって!


 そう囁く天城の顔がかつてないほど近くなる。現在進行形で。特に唇が、湿り気を帯び甘美な吐息を漏らすそれが、未だ「初めて」を知らない俺の……おれの……。


「うぉぉぉいコラなぁぁにやってんだァァァァッ!」


 絶叫する姫夏が割り込んできて、すんでのところで引き離される。本心から助かったと思った。下半身に一抹の寂しさも渦巻きはしたが。


「てんめェェェドスケベ貧乳ッ! 人んちで人の弟になにしとんならァァァッ!」


「もう敬語とか使わないッ! 人が、人が一番気にしてることをベラベラとこのワイセツ物陳列見本がぁッ!」


「オメーだよワイセツブツってのはよオメーよォォォ!」


 ベッドの上で取っ組み合い始める姫夏と天城。もう恥も外聞もあったもんじゃない。くんずほぐれつどったんばったん大騒ぎ。俺のことなんかすでに眼中にない。


 お互いのためにも止めた方が賢明なんだろうけど、しかし止められるはずがない。下手に割って入ると合体攻撃が飛んでくる恐れさえある。

 というか、こうして二人で争ってくれるなら好都合だ。今のうちに抜け出さない手はない。そそくさと俺は開け放たれたままのドアへ向かった。


「ねェねェねェねェどこ行くのどこ行くんだよ?」


「私を裏切ったら死ぬって言ったよね裏切るわけないよねっ?」


 しかしまわりこまれてしまった! あと一歩のところでドアを閉められてしまう。両側から俺を挟み込むように迫る二人。


「何で当事者が逃げようとしてんのかなァ? はっきりさせるまでどこにも地獄にもイカせやしないかんね」


「は、はっきり?」


「私と姫夏さんと、どっちを選ぶかってこと」


 ドアを背に追い詰められる。ギラギラと歯をむき出しにして嗤う姫夏と、光のない目に三日月のような円弧の口とで凄む天城。

 わかりきっているのはどちらかを選ばなければ命はないということ、そしてどちらを選んでもやはり命を落とすということ。


 もうどうすれば。


「オトアキィ……たとえ姉のだろうと大きいものは大きいわけだから、なァ?」


「乙秋くん、大きさじゃないんだよね? 大きさじゃないって言ってくれたもんね? そんな残酷な嘘つくはずないもんね?」


 正直、大きさなんて今まで気にした試しがない。おっぱいはおっぱい。そこにあるもの全てが正義。それこそがこの世の真理。

 なんだけど、そう説明したところで二人が納得してくれるとは思えない。下手すれば日和ったとか見なしてやっぱり合体攻撃で沈められてしまう。


 とすれば、俺に残された道は……これしかない。


「姉ちゃーーーん姉貴ーーーッ! 助けてーーーッ!」


「よしきた」


 叫ぶが早いか、背にしていたドアが勢いよく開かれた。声の主は雪音姉貴だったろう。ということはドアのすぐ前で待機していたということになる。やっぱりわかってて見物してたんじゃないかちくしょう。


 不意に開かれたドアによって突き飛ばされた俺は、そのまま前のめりに転んでしまう。両脇から迫っていた姫夏と天城を巻き込みながら。


「いってぇ……って、大丈夫か二人と、も……」


 二人を下敷きにしてしまったことに気づき、慌てて身を起こす。両手のひらを床につきながら。床についたと思っていた。


 むにゅ。

 ふよん。


 右手と左手の中に、それぞれ異なる感触があった。


 右手には、あのいくら触っても触り足りない切なさにも似た温かさ。その起伏が形作る角度は極めて緩やかであったけど、指の腹で感じられるラインは息をのむほど流麗で、ああこれを美乳というのだろうなと感嘆させられた。


 一方の左手には、それはもう一面のたわわ。マシュマロのように柔らかで、どこまでも指が沈んでいく。このままずっと重力に任せて果ての果てを目指していたい。体重をかけられ歪められた形でさえ、またひとつの女性的魅力の象徴としてそこに完成しているようでさえあった。


 つまり俺は姫夏と天城のおっぱいを鷲掴みにしていた。


 きっと雪音姉貴の描いてる漫画にこのまんまな一コマがあるのだろう。飛びのくと同時に俺は叫ばずにいられなかった。


「ギャーーーッ!」


「お前が叫ぶのか……」


 困惑した雪音姉貴の声が後ろから聞こえる。そんなツッコミなどもはや何の意味もなさない。


 間もなく身を起こす姫夏と天城。姫夏は茫然としたように無表情で、じっとこちらを見据えている。片や天城はというと肩を抱いて震えていたが、俯いていてどんな表情かは窺えない。


 きっと嵐の前の静けさ。

 俺の命はたぶんおそらくあと三秒。

 少なくともどちらかにはコロされる。


 ところがだ。


「ねえ、今のさ……今のでさ、どっちでコーフンした?」


「ぇ……」


 無表情のまま問いかけてくる姫夏の台詞に、消え入るような声しか返せなかった。


「ヒメカのとコイツのと、どっちのでそんな慌ててた? あるいは、どっちの方が?」


 はっ、と顔を上げる天城。顔じゅうの血管が破裂したんじゃないかというくらい真っ赤だった。


「そ、そん、そんな……答えられるわけ……」


「言わないならコロすよ。それもすぐにはコロさないよ。コロしてくれって叫ぶまでいたぶってからじゃないとコロしてあげないよ。正直に言えたら命だけは助けてやるよ」


 無表情のまま凄まれる。天城は何も言わないが、真っ赤な顔の中で瞳が白黒していた。


 ……もう、いろいろ悟った。事故とはいえ女子の、それも二人いっぺんに胸を触ってしまった。言い逃れはできない。せめて男らしく、堂々と運命を受け入れる。

 そうとも俺は男だ。そして彼女たちは女で……。


 待てよ、そりゃ天城は……けど姫夏は……女だけど、それよりも、その前に……。

 

「な、何言ってんだか……コーフンするわけねぇだろお前そんな、姫夏のなんかで」


「あ?」


「だだだだっておま、姉弟だろうがよ。アネのムネなんかでコーフンするわけねえじゃん、変態じゃないんだから……」


 どちらのがよかった、と言わない代わりの回答。

 だがそれは逆に言えば、天城の方を選んだと取れてしまうわけで。その想定はすぐできたはずなのに、言い終えてから俺は気づいたのだった。


「あ……あぁぁ!? ちちち違う天城今のはそのそういう意味じゃいやそういうって!? どういう!? 俺にもわかんねぇ! いやでもあのそのこのどの……」


「ッ……!」


 どん、と音を立てて床を蹴り、天城が立ち上がった。ああ、短い人生だったなぁ。せめて童貞ぐらい捨てたかった。もうさようならサンタマリア。


 ところが、その勢いで俺の顔を踏み抜いてくるように思えた天城は、しかし脇を素通りして猛然と部屋を出て行ってしまう。どすどすと階段を駆け下り、間もなく玄関を飛び出していく音を最後に、ようやく静寂が訪れた。


 どっと力が抜けて項垂れる。


「た、たすかった……」


「と、思うじゃん?」


 気づくと、かつてないくらい近くに姫夏の無表情が浮かんでいた。恐怖はない、もう助かったと信じていたから。どうしてだろうね? 全くときめきもしなかったけど、間もなく飛んできた拳に頭蓋骨がめきめきといいました。

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