一度だけ

 配信の翌朝。金曜日。

 昨夜の翼のメッセージのこともあり、もしや家の前に昨日のティアがいるんじゃないかと疑ってしまったが、そんなことはなかった。いたのは翼一人である。


「おはようございます! 今日もまだまだ暑いですね!」

「うん。おはよう。確かに、まだまだ暑いな」


 残暑の残る九月半ば。これから涼しくなっていくとはいえ、今日はまだ暑い。


「暑いのでちょっと脱いでいいですか?」

「ダメだろ。屋外で何言ってんだ」

「大丈夫です。脱ぐのは下着だけですから」

「全然大丈夫じゃないだろ」

「ちゃんと絆創膏貼ってますから」

「なんだそのマニアックな防御壁!?」

「あはは。ちなみに、屋内だったら脱いでいいってことですよね? 放課後にお邪魔したときには脱ぎます」

「それもダメだって」

「じゃあ、汗流したいんでお風呂貸してください。一緒に入りましょう」

「それもダメだよ」

「もう。なんでもダメダメって。いったいなんだったら許してくれるんですか?」

「……たぶん、翼が想像するものはだいたいダメだよ」

「ふん。付き合い始めたら覚悟してくださいね。あたしがやりたいこと、全部その日にやりますから」

「多少は遠慮してくれ」

「嫌です」

「即答かよ」


 こんな会話、あんまり他人には聞かせられないな。家付近は人も多くないが、駅近くでは遠慮してほしいところ。

 二人でゆったり歩きつつ、翼が話を続ける。


「あれから、ティアさんから連絡ありました? DMとか」

「ないな。ま、やっぱり直接会うことなんてないよ。どこか遠くで、元気にやってくれることを願うだけだ」

「それでもいいですが……実は、昨日の情報から、個人の特定できてしまったんですよね。アイドルとしての名前も本名も。どうします?」

「え? そうなの?」

「ヘイトスピーチで炎上したアイドルなんて、そうそういるもんじゃないですからね。ネット社会ならこれくらいできます。本人も、その覚悟はあったと思いますよ。

 ちなみに、住んでるのは他県です。流石に住所まではわかりませんが、SNSのアカウントは残っていました。向こうがまだ見ているなら連絡は取れるかもしれません。まぁ、完全に雲隠れするより、捌け口の対象としてSNSのアカウントを残しておいたという判断だったなら、こっちから連絡しても返信はないでしょうが」

「……とりあえず、こっちから連絡をとるのはやめておくよ。しかし、ちょっとした情報から個人が特定できるって、怖いな」

「本当にそうですよ。何も問題がなければいいですが、何かあったときには危険です。名前、住所、学校くらいはすぐに判明します。歪んだ正義感だかなんだかで、「この人うちのクラスの人です」とか公表して喜ぶ人はいます」

「……僕も大和も、そのリスクはあるってことだな」

「それはあたしも同じですけどね。しかも、仲たがいした元友達の手にあたしの映像が残ってますから、一層危険です。あたしが何かしたらそれを公開されるリスクがあります。ダンスの失敗シーンとか結構あります。

 芸能人になるつもりはありませんが、もしなったとして、あの子達が嫉妬することがあれば、「この子、裏ではこんな顔です」とか言って喜ぶかもしれません。芸能人までいかなくても、ソロ活動で活躍しすぎれば、同じことが起きるかもしれません。何をやってもリスクばっかりでうんざりですよ」

「……冷静に考えると、配信なんてやるもんじゃないのかもな」

「かもしれません。人間の倫理観が、配信のある社会に追い付いてくれればいいんでしょうけど。それはまだまだまだまだ先の話でしょうね」

「だな……」

「それはそうと、ある意味、今は動画バブルって感じでしょうか? 新しい玩具を手に入れて、世界的に浮かれて騒いでいます。バブルが終わった頃には、熱狂したおバカな人達の記録が、後世まで末永く残ってしまうわけです。恥ずかしいですね」

「確かに」

「道具を作る人は、作って儲けてで終わりじゃなくて、人間の精神的な変化についても責任をもってほしいものです」

「そうだなぁ。いくら「悪いのは銃ではなくそれを持つ人」という話をしたって、銃があるだけで危険な犯罪は増える。悪いのは動画じゃなくても、動画という道具を手にしたら、それに併せてどうしても悪いことは起きる。もっと積極的に、責任を取ってほしいよな」

「ま、そんなこと言ってたら、誰も新しいものを作らなくなるかもしれませんけどね」

「それもそうだ。何が正解なんてわからないよな」


 翼に言われるまで、動画投稿などについてそんなに考えたことはなかった。でも、こういうのも考えていかないといけないんだろうな……。


「ぬふふ。光輝さんはいいですね。こんな話をしてもすんなり受け入れてくれます。同級生とか、「はぁ、またなんか言ってる」って反応ですからね」

「だろうな。翼も僕も、高校生では珍しいタイプだ」

「お揃いですね?」

「ま、そうだな」

「きっと魂の形とか色も似てると思いますよ?」

「……かも? っていうか、言ってて恥ずかしくないか?」

「全然」

「そうか……」

「あ、そうだ。ふと思いましたが、昨日の情報でティアさんの身元はバレてしまうので、例の校内放送に使っていいかは、ティアさんの許可も取った方が良さそうです。……やっぱり連絡を取った方がいいかもですね?」

「あー……どうしよう。編集でどうにか誤魔化すっていう手もあると思うが……」

「編集されたやつを確認して、誤魔化せたらそうするのでもいいかもですね」

「だな」


 話しているうちに駅につき、ここで葵と合流。


「何? 翼が妙にニヤけてるんだけど」

「なんでもないです。こっそりキスとかもしてないですよ。ね?」

「ああ、うん。というか、そのニヤけはどこから?」

「む。光輝さん、わかってないんですか? 二人きりでお話できて、あたしは幸せだったんです。そのニヤけです」

「あ、なるほど……」

「二人きりの時間は貴重ですからね。これから毎日迎えにいきますよ」

「……おう」

「……わたしも早めに来て、迎えにいこうかな」

「来なくていいです。邪魔です。むしろ今も存在を消してください」

「すごい拒絶……。まあ、あえて家の前まではいかないけどさ。っていうか、ポリアモリーな関係でもいいって言ってなかった?」

「ポリアモリーな関係ならいいですよ。そのために、あたしはもっと光輝さんに近づかないといけないと思ってますので」

「ふぅん……。むしろ翼と光輝の方が……まあいいや。翼を放置してたら何をしでかすかわからないし、わたしも頑張ろっと」

「葵さんはこれ以上頑張らなくていいです」

「そう言われると逆に頑張りたくなるなぁ」

「アマノジャク。性悪女。悪女」

「悪女は酷い。性格は悪いかもしれないけど?」

「最悪ですよね」

「どうしても欲しいものがあるから、そうなっちゃうの」

「それはあたしも同じですよ」


 鋭い目で睨み合う二人。余計な口は挟むまい、と思ったところで、スマホにメッセージを受信。大和からだった。


『ティアって人から、俺のSNSにDMが来た。とりあえず転送しとく』


「え、ティアさんからDM?」


 その名前を聞き、葵と翼が射るように僕を睨む。


「どういうこと?」

「やはり来ましたか」

「……大和のSNSにDMだって。『一度だけ会って話がしたいです。ヤマト君の動画を見るに、私からすると他県ですが、移動可能な距離です。明日か明後日、どうでしょうか?』だって……」

「本当に一度だけですかね? 一度だけと言いつつ、そのままずるずる関係を続けるつもりではありませんか?」

「……でも、他県でしょ? 遠距離恋愛を狙うかな?」

「僕としては、一度だけっていうなら、会ってみたいかな。動画を使っていいかの許可も取りたいし……」

「光輝さんが会うというなら止めません。ただ、ついていきます」

「うん。わたしもついていく」

「それは、うん。構わないよ」


 やって来た電車に乗り込み、大和に連絡。僕の連絡先をティアに伝えてもらい、それからは直接のやり取りになった。

 そして、明日の午後一時に、ティアと会う約束になった。一人ではないことも了承してもらっている。なお、本名は沖島灯で、翼が突き止めた人物と同じだった。


「ま、相手の狙いが何かなんて、考えてもわかりません。明日を待ちましょう」

「そうね」


 二人の目に、共通の闘志が宿っているように思う。仲が良いと喜んでいいのかなんなのか……。

 それから、特に何事もなく学校に到着。階段で翼とは別れて、教室へ。始業間際に、別で登校していた怜が教室に顔を出し、僕と葵に挨拶だけしていった。

 なお、怜は朝、遅刻しないギリギリまで歌の練習をするらしい。歌うのが好きというが、やはり相当なものだと思う。努力を積み重ねても歌手として生きていくのは難しい、ということか。本当に、プロの歌手とは恐ろしい世界だ。

 始業のチャイムが鳴る。

 配信は割と順調なんだろうが、それがどう評価されても、僕はあくまでただの高校生。浮かれずにやるべきことはやっていこう。

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