隙あり

「清水さんのことはさておき。光輝さん。今の、かっこ良かったです。さっきも言いましたけど、惚れ直しました。やっぱり光輝さんは最高だと思います。好きです。付き合ってください。エッチしてください」


 ずずいっと翼が僕に迫ってくる。


「ちょ、待って。僕はまだそのつもりはないんだって」

「どうしてですか。女の子がいいって言ってるんですよ? 男の子に断る理由なんてないじゃないですか。EDですか?」

「それは違う……」

「純愛至上主義ですか? まずはお手々繋いでデート、映画と水族館と遊園地に行って、夜景の見える展望台でそっとキスをして、盛り上がったところでようやくホテルだか自宅だかでエッチですか? まどろっこしいですね。したくなったらすればいいんですよ。あたしにとっては、今のはデートに伴う全てに匹敵するほどのものでした。だから、何も問題ありません。これも純愛です」

「だから、そうやって言葉で人を圧倒するなって……」

「……光輝さんだからこそ、です。他の人にはしません。……なるべく」


 僕に迫る翼を、葵が間に入って引き離す。


「とりあえず、今日のところはエッチは諦めよう。まだ無理だよ。お互い、そういう対象として認識したのもごく最近の話だし、心の整理をする時間は必要だよ」

「……そうですね。わかりました。ここは引きます」


 ふぅ、と翼は一息ついてから、ぐぅ、っと伸びをする。


「ちょっと気張りすぎました。エッチしないなら、普通におしゃべりしたいです。光輝さんのこと、もっと教えてください」

「ああ……わかった。葵さんも、それでいいのかな?」

「いいよ。もう、ゆっくり行けばいいよ。ここまで来たら焦ってもしょうがない」

「あ、ベッドに座ってもいいですか? 光輝さん、膝枕しますよ? それとも添い寝がいいですか?」

「ちょっと、何もわかってないじゃないの! そういう接触はなし!」

「それくらいいいじゃないですか。じゃあ、こうしましょう。光輝さんに横になっていただいて、あたしが右から抱きついて、清水さんは左からです。幸せサンドでおしゃべりしましょう」

「……それは、いいかも」


 案外簡単に説得される葵。僕一人が慌ててしまう。


「ちょっと待とう。ダメじゃないけど、ダメじゃないんだけど、なんかダメな気がする」

「どっちですか。もう、観念して二人分の愛情を受け止めればいいんですよ。光輝さんともあろう方が、既存の価値観だか倫理観だかに囚われているわけじゃないでしょう?」

「ある程度そうかもしれないけど……。でも、既存の価値観とか倫理観を壊しすぎるのは危険なんだぞ? 独自の価値観とか世界観がありすぎると、普通の社会に順応できなくなって壊れてしまう。犯罪や自殺に至る可能性もあるだろう」

「それはそうかもですね……。やりすぎは禁物です」


 ともあれ、結局僕が真ん中に座り、その両サイドに二人が座ることになった。

 僕は本当にこの状況に甘んじていいのか、という疑問はあったが、おしゃべり自体は盛り上がって、充実した時間をすごせたと思う。翼は本の話題で少々突っ走りがちなところもあったけれど、その辺は僕が多少フォローすることで、葵にもわかるようにした。

 時間はすぐに過ぎていき、十九時過ぎに大和が帰宅。着ているTシャツ汗だくで、またダンスの練習をしていたことがわかる。

 大和は、僕と違って髪が短く、スポーツマンにも見える印象。身長は百七十前半で、細マッチョな体型。脱いだら腹筋が割れているくらいには鍛えられている。そして、人懐っこい笑みには、多くの人を魅了する力がある。


「……二人に増えてる」


 大和が呆れたようにぼやき、僕は苦笑。

 そんな中、翼が一歩踏み出し、大和をじっと見つめる。


「ヤマト君……。本物……。生で、こんな近くで見るの初めて……」

「あ、もしかして、俺の動画とか見てくれてるの?」

「いつも視てます。ファンです」

「本当!? うわ、嬉しいなぁ。結構視てくれている人多いけど、学校外で実際に顔を会わせる機会ってほとんどなくて。いつもありがとう!」


 ヤマトがにっこりと明るい笑顔を見せる。自分が女だったなら、こんな笑顔を見せる人を好きになるんだろうな、と思う。

 ただ、翼は割と冷静。


「あの、握手してくれませんか?」

「ええ? いいけど……でも、今の俺、汗臭いよ?」

「関係ないです。どうでもいいです。頑張ってる人がそうなるのは当然です。あたしも、ダンス動画とかやってました。ヤマト君には、すごく勇気付けられて来たんです。協力者はいるにしても、基本はたった一人で頑張って、良い反応も、悪い反応も、全部一人で受け止めて……。本当にすごいなって、思ってました。尊敬してます。練習とかがつらいときには、ヤマト君の動画を見てると元気になれました。いつか、ちゃんと面と向かって、お礼を言いたいって思ってました。本当に、ありがとうございます」


 翼がぺこりと丁寧に頭を下げる。すると、大和が不意に手で目を覆って、そっぽ向いた。


「ちょ、い、いきなりやめてよ、そういうの……。なんか、ジンとするじゃん」

「ごめんなさい。でも、本当に、感謝してます。あくまでファンとしてですけど、大好きです。骨折の件は不幸でしたけど、復帰したら、これからも頑張ってください。応援し続けます」

「うん……わかった。ありがとう」

「……握手、いいですか?」

「ああ、うん、いいよ」


 大和は急ぎズボンで手汗を拭き、伸ばされた翼の手を取る。

 翼はぎゅっと大和の手を握り、もう一度、ありがとう、と伝えた。

 落ち着いたところで、僕は二人を送り届ける。翼の家は本当に近くて、徒歩五分圏内。先に翼を送り、それから葵を駅まで送る。

 改札の手前で立ち止まり、葵が呟く。


「……風見さん、いい子なんだね」

「そうだな」

「……たまに攻撃的になっちゃうのは、きっと、傷つけられるのが怖いからだろうね。他人を傷つけたい、っていう気持ちはないんだと思う」

「うん。僕もそう思った」

「それじゃあ、またね。わたしも焦らないから、誰と付き合うか、ゆっくり決めてね」

「ゆっくりできるかどうかは、わからないけれど」

「確かに」


 葵はクスクスと笑って、ふと思い付いたように、僕を見る。


「これくらいはいいかな?」


 葵はそんなことを呟き、すっと僕に近寄って、頬にちゅっとキスをした。


「え!? 何を!?」

「これくらいいいでしょ? 言っとくけど、わたしも光輝君が好きなんだよ? それに、ずるいところもあるの」


 バイバイ、と手を振って、葵が改札を抜けていく。

 その姿が見えなくなるまで立ち尽くし、ドキドキする心臓の鼓動を感じていた。 

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