第473話 ウエルス兄弟

「兄上何があったの? 一人で苦しんでないで、僕とリアムに話してよ……」


 泣きだしたロイドにティボールドが優しく声を掛ける。

 顔を手で覆い隠すロイドに、リアムはサッとハンカチを差し出した。


 以前ならあり得ないことだがこんな時だからか、ロイドは「すまん……」と小さな声で呟きながら、震える手でリアムからハンカチを受け取った。

 その様子だけでロイドが精神的に参っている事がリアムとティボールドには良く分かった。このままウエルス商会へ、もしくはウエルス邸へとロイドを帰しても良いものか? と、リアムとティボールドは顔を見合わせ目配せをした。


 あんなに憎かった兄は今はどこにもいない。目の前に居るのは弱々しい姿になったロイド・ウエルス、そう自分たちの兄だった。


「ガリーナが……急に……店に来なくなったんだ……」


 ティボールドとリアムに優しくされたことで少し落ち着きを取りもどしたロイドが話しだしたことは、婚約者のガリーナ・テネブラエの事だった。


「ガリーナがいなければ、俺はもう生きてはいけない……仕事だってどうしていいのか何も分からない……ガリーナに会いたいのに……それが叶わない……俺は……俺は……」


 今度は大きな声を出しながらロイドはまた泣きだした。

 不安定な精神状態がその様子でもすぐに分かった。この状態のロイドにポーションを飲ませて良いものか? 精神的に弱っている所でポーションを飲ませたら、酷いポーション酔いを起こしてしまうのではないかと、リアムとティボールドは考えた。


 できればアダルヘルムに今のこの状態のロイドを見て貰いたい。その為にはロイドに納得してもらってブルージェ領のウエルス邸に連れて行くしか無いだろう。ただその場合今のロイドに馬車旅は無理だろう、そうすると転移が必要になる。

 スター商会の転移部屋はロイドの前では使いたくない事を考えると、人を連れて転移が出来るセオかララの力を借りるしかない。そう思うと二人には違う不安が込み上げた。


 そう、果たしてララが大人しくしているかどうか……


 リアムとティボールドは同じ様な事を考えて居たのだろう。こんな時だというのに二人共また視線が合うと思わず口元が緩んだ。


 ララの事だ絶対に大人しくなんかしていないよな……と……


「俺の……俺の……新しい補佐を……二人共覚えているか……?」

「あ、ああ、あのコナーってやつだろう?」


 リアムが普通に答えると、何故か質問してきたロイドが一番驚いた表情をした。

 そのまま「やっぱり……」と呟き、リアムの顔をジッと見つめて来た。


 ロイドの目をこんな風に見つめたのはいつ以来だろうかと、リアムは考えて居た。以前のロイドは傲慢で人を見下していることがすぐに分かる目をしていた。今はどうだ、何かに怯え力強さもない。リアムはあんなにも大っ嫌いだった兄だが、このまま放っておくことはどうしても出来ない気がした。


「店の者も……屋敷の者も……誰もコナーを覚えていない……まるで俺が気が狂ったかのような目をして皆が見てくるんだ……コナーは確かにいた……そうだよな? お前達は覚えているよな?」


 ティボールドはロイドと向かい合って座っていた席から、ロイドの隣の席へと移動していた。そして弱々しい姿のロイドの背を摩り、「大丈夫、大丈夫」と励ましていた。

 リアムはロイドの手を握り「ああ……覚えている」と安心させるように言葉を掛け、頷いた。ホッとしたような笑顔を浮かべたロイドを見て、リアムもティボールドも不思議ともう過去の憎しみは消えていた。ロイドをどうにかしてやりたいと素直にそう思えていた。


「なあ、兄貴……良かったらブルージェ領の、俺の屋敷へ来ないか?」

「……えっ?……」

「今の兄貴は……そう……あー……疲れがたまっているように見える。だから暫くブルージェ領でのんびりして、休んでみるのも良いんじゃないのか?」

「うん、兄上、僕もそれが良いような気がするよ。ブルージェ領ならば気候も穏やかだし、田舎町だからのんびりできる。兄上に今必要なのは休養だと思うよ……」

「お前達……ありがとう……ありがとうな……」


 ロイドが少しだけれど微笑みを浮かべた。それを見てリアムとティボールドは少しホッとした。テンポラーレの店に来てからというもの、ロイドは死人のような顔で泣き顔しか見せてこなかった。リアムとティボールドの声掛けで少しは元気が出たのだと思うと、それも嬉しかった。

 だが、ロイドは首を横に振った。


「でも、ダメだ……ダメなんだ……ガリーナがいつ俺に会いに来るかも分からない……それにガリーナが来るまでは、俺が店を守らなければならない……ブルージェ領へはどんなに飛ばしても馬車で二日は掛かる……だから俺はどこへも行くわけには行かない……ガリーナの傍を離れる訳には行かないんだ……」


 また声を上げ泣き出してしまったロイドを見て、尚更このままウエルス商会へ戻しては行けないとリアムとティボールドは思っていた。


 これ以上は自分たちでは解決できない。先ずはロイドをアダルヘルムに診察してもらわなければならないだろう。ブルージェ領へ向かわせる為にも、アダルヘルムへの相談が必要だ。


 リアムはティボールドともう一度目配せをして、アダルヘルムだけをこのテンポラーレへ呼び出す事にした。



☆☆☆




「ねえ、アダルヘルム、リアムとティボールドは大丈夫かなー?」


 リアムとティボールドがテンポラーレへと兄であるロイドに会いに出かけて、私は自分の執務室でアダルヘルムに見張られていた。

 クルトもセオも居るのにアダルヘルムに見張らせる必要はないと思うのだけれど、私がどこかへ行ってしまう可能性があるとのことだそうで、リアムからアダルヘルムに直々の依頼があったらしい。


 どんだけ信用ないんでしょうかね……私は……


 クルトにお茶を入れてもらいそれを味わいながら、私は新商品の作成にいそしんでいた。クルトは部屋の片づけや整理をし、セオとアダルヘルムは私に聞こえないように何かを相談していた。

 そんなに警戒しなくても勝手にどこかへなんて行ったりしないのに、いい加減私の事を信じて欲しいなーとぼんやりと考えて居ると、紙飛行機型の手紙がアダルヘルムの下に舞い降りた。


 アダルヘルムはすぐにその手紙を開き、中を確認した。


「リアム様からです……」


 その言葉を聞いた瞬間、私はテンポラーレへと思わず一人で転移していた。

 

「あ、やっちゃった……」


 と思った時には既に時は遅し……


 一人で転移した場所はテンポラーレの厨房で、料理を何も作らず、ぼんやりとしているこの店のオーナーのオトマール・ホフマンの目の前だった。「ギャー」と叫びだしそうな表情をオーナーがした瞬間私は急いでオーナーの口を両手で塞いだ。


 一人で勝手に飛び出してきたことが今バレればリアムに凄く怒られることは確実で、デコピンや頭ぐりぐりでは済まない事は簡単に想像が出来た。

 オーナーに指でシーと黙る様に合図をし、頷いたのを確認してから押さえていた手を離した。そして厨房内を確認し、何故何も料理を作っていなかったのかを教えてもらう事にした。


「実は……皆様話し合いをするだけで……食事という雰囲気にはならなくて……ウエルス商会の会頭様はずっと泣いているようですし……」

「えっ? ロイドが泣いて?」

「ええ、そうです……私もずっとここにおりましたので、どうして泣いているかまでは分かりませんが……泣いている声だけは聞こえておりました……」


 オーナーは私を手招きし、ロイドやリアム、それにティボールドが見える場所へと案内してくれた。背伸びをして厨房からリアム達の様子を伺えば、ロイドは泣いているのか顔を手で覆っていた。そんな様子を厨房から眺めていると、アダルヘルムとマトヴィルがセオと共にリアムの傍に転移してやって来た。


 私は思わず身を隠した。そんな事をしたってセオにはすぐに見つかってしまう事は分かっているんだけどね。でも出来ればお小言は先延ばしにしたかった。


 ううう……自分で招いたこととはいえ……怖いよー


 ドキドキしながらもう一度背伸びをしてリアム達の方を覗けば、アダルヘルムとセオがジロリとこちらを見てきた。ううう……やっぱりバレてるね……。私の気持ちを表すように何故かオーナーが二人の顔を見て「ひっ……」と声を出していた。

 うん、うん、気持ちは良く分かる。あの二人ってば本当に怖いよね……なのに一緒に居たマトヴィルだけはニヤニヤして嬉しそうだった。マトヴィル、楽しんでるねー。


 まあもうバレちゃったことだし……仕方ないかと思い、私はそっと厨房から抜け出して、皆の話が聞こえる位置まで移動した。途中ニール達護衛のメンバーと目が合い、やっぱりねという風に苦笑いされてしまった。

 皆私の行動が想像ついていたのか呆れている様だ。まあ、そこは仕方がないよねー。


「ロイド様、少し体調を確認させて頂きますね」

「……あんた達……誰だ……?」


 皆に近づくと力が抜けて居る様なロイドの声が聞こえた。

 以前のロイドだったらあり得ない様な覇気の無さだ。リアムとティボールドがアダルヘルムに手紙を送って来た理由が何となく分かった。

 それにロイドはアダルヘルムとマトヴィルの美しさを見ても息を飲むことも、押し黙ることもしなかった。普通に考えてそれは可笑しいと思う。こんなにも美しい二人が突然目の前に現れたら、誰だって驚きそうなものだもの。現に今までそう言う姿ばかりみて来たからね。今のロイドの異常さが分かった気がした。


 アダルヘルムはロイドの脈を取ったり、目を見たり、それから魔法鞄から何か薬品を出してロイドに触らせてみたりしていた。ロイドはそれに逆らう事もせず、されるがまま大人しくしていた。時折涙声で「ガリーナ……」と呟く声が聞こえてきた。それだけで今ロイドの心を何がしめているかが分かった。


「ロイド様は……薬物中毒の症状が出ておりますね……」


 ロイド本人に聞こえないように、リアムとティボールドを少し離れたところへと呼び出し、アダルヘルムはロイドの状態を二人に伝えた。ウエルス商会やウエルス邸にはその症状の原因になる何かがあるはず、店にも屋敷にも戻らない方が良いだろうとのアダルヘルムの判断だった。


「店長であるロイド様がいなくて、ウエルス商会は大丈夫でしょうか?」

「うーん……そうだねー、僕が暫く顔を出そうかな……支店から数名人材を呼び寄せても良いしねー」

「ではティボールド様が行かれるまでに、店も屋敷も洗浄をしなければなりませんね」

「じゃあ、私の出番かな?」


 こっそりと話し込んでいる三人に声を掛ける、リアムとティボールドは今私の存在に気が付いた様で驚いた顔をしていた。ロイドとは以前ウッズ商会の会頭の娘として会っているので、出来れば顔を会わせたくはない。まあでもあんな状態のロイドが私を覚えているかも怪しいけれどね。

 アダルヘルムは驚く二人の事など気にもせず話を続けた。


「そうですね。ララ様ならば屋敷にも店にも入らずとも、洗浄魔法を掛ける事は可能でしょう。その後店と屋敷の中を調べ、原因を探らなければなりませんが……まあ予想は大体付いております」


 アダムヘルムの言葉を聞いてリアムとティボールドはホッとして居る様だった。

 あんなにもロイドには嫌がらせを受けていたのに、リアムもティボールドもロイドの事が心配で仕方が無い様だった。ウエルス兄弟の繋がりを実感した瞬間だった。

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