第433話 兄からの手紙

「ロイド様、お手紙でございます」


 ウエルス商会の本店店長である(自称、次期会頭)ロイド・ウエルスはここ数ヶ月、従業員も驚くほどに真面目に仕事に取り組んでいた。


 これ迄ほぼ毎晩の様に行って居た大好きな夜遊びや女遊びもぱったりと止め、出来ないながらも真面目に仕事に精を出し、そして自宅であるウエルス邸に帰るのも面倒臭がらず、店に泊り込むことも無くなり使用人たちを安心させていた。


 この奇跡にも近いロイドの行動の変化にはある女性の功績があった。

 それはロイド・ウエルスの婚約者であるテネブラエ侯爵家の養女、ガリーナ・テネブラエの力だった。ガリーナはまだ正式な婚約者では無かったがロイドに対して献身的で、週の半分以上はウエルス商会やウエルス邸に顔を出し、ロイドの仕事を手伝って居た。


 ガリーナは侯爵家の娘であっても元は庶民の出だからか、誰にでも分け隔てなく親切で優しく、そして魅力的な容姿を持っていて、すぐにウエルス商会に勤める従業員達の心を掌握していった。そしてそんな彼女の一番の功績が、ロイドの従業員や客に対する態度を大きく変えたことだった。


 ガリーナが傍に居るとロイドの今迄見せていた尊大な態度は消え、まるでウエルス家の他の息子達を思いださせるような優しい態度になった。

 そして今迄店や屋敷のメイドなどで可愛い女性を見かければ手を出していたロイドだったが、今やそれもすっかりなくなり、婚約者であるガリーナに見るからに夢中な様子だった。


(全てガリーナ・テネブラエ様のおかげ……)


 ウエルス商会の従業員達はガリーナに感謝し、そして尊敬をしていた。

 実の親でも性格を変えることが出来なかったあの傍若無人なロイドをここ迄変えたのだ。従業員皆がガリーナに早くウエルス家に嫁いできて欲しいと望むのは仕方がない事だった。





 そして今日もロイドは朝から店長室で真面目に仕事をして居ると、店長補佐がロイド宛の手紙を持って部屋へとやって来た。その中には実弟であるティボールドからの手紙が入っていて、ロイドはそれに一番に目を通すことにした。


(ティボールドの奴、急にどうした? 何かリアムに不利になる様な情報でも掴んだのか? まあ、今の俺にはリアムなどどうでも良いことだがな……)


 ロイド本人も自分の心の変化を強く感じていた。

 あれだけ憎かったリアムの事もガリーナと出会ってから不思議と心の片隅へと消えて居る様だった。それに役立たずだと思っていたティボールドの事も可愛い自分の弟だと素直に思えるようになっていた。


「ガリーナが居ると世界が違って見える……」


 今ロイドの心の中はガリーナが殆どを占めていた。

 ガリーナが喜ぶ顔が見れるから仕事も苦ではなくなったし、ガリーナがいるから他の女たちなどどうでも良くなった。今迄沢山の女たちの嫌な部分を見てきたロイドは、ハッキリ言って女性に対して嫌悪感があった。自分の実の母親は嫉妬に狂い可笑しくなってしまったし、義弟であるリアムの母親は財産目当てで近づいてきた狡猾な女で好きにはなれなかった。それに今迄ロイドに近づいてきた女たちは皆ウエルス商会の名に惹かれてよって来た者たちばかりだった。


 けれど……ガリーナは違った。

 初めて会った時はその見た目の美しさに惹かれたが、今はそれだけではない。

 養女とはいえガリーナはテネブラエ侯爵家の娘だ。大店の息子とはいえロイドとは身分が違う。けれどガリーナはロイドを献身的に愛し、そして尊敬し、励ましてもくれる。


 そうまるで母親の様に……


 幼い頃嫉妬で狂って行く母親を見るのがロイドは辛かった。

 ロイドが甘えたい時期も、憎しみが心を占めている母親はロイドに父親の悪口や、愛人であるリアムの母親への憎悪をぶつけてきた。幼かったティボールドはきっと覚えていないだろうが、ロイドはそんな母の姿が忘れられなかった。


 けれど今はガリーナがロイドのそんな疲れ切った心を……そして傷ついていた幼い頃の心を、傍に居るだけで癒してくれているような気がした。


(ガリーナ無しではもう生きていけない……)

 

 ロイドは本気でそう思う程、婚約者であるガリーナに恋焦がれているのだった。


「今日はガリーナは店に来るのか?」


 ティボールドの手紙を読み終えると、ロイドは補佐にそう質問した。

 この補佐はガリーナが準備してくれた男で、良く気が付き仕事が出来る男だ。ヴァロンタンを勝手にクビにしてしまった手前、父親に自分付きの補佐を願い出る事が出来なかったロイドはここでもガリーナに助けられた。 

 未熟な自分を助けてくれるのはガリーナだけだとロイドはそう思っていた。


「はい、ロイド様、ガリーナ様は本日お昼前にはお越しになると仰られていらっしゃいました」

「そうか、弟の手紙の事でガリーナと直ぐに話がしたいから、店に着いたら店舗を見回るよりも先に俺の部屋に来てくれるようにとガリーナに伝えるように従業員達に指示を出しておいてくれ」

「畏まりました。因みに弟様からのご連絡はどういった事でしょうか?」

「ああ、どっかでガリーナとの事を聞いたらしい、会ってみたいとの連絡だ……」

「ほう……どこかで聞いた? ガリーナ様の事はまだ伏せてあるのにですか?」

「まあ、こういった事は自然と漏れるものだろう……祝い事だからな……とにかくコナー、皆への指示を頼んだぞ」

「畏まりました」


 コナーと呼ばれた補佐の男はロイドに一礼すると部屋を出て行った。

 そして先程まで浮かべていた笑顔が消えると「ネズミ退治が必要かも知れませんね……」と小さく呟き、一瞬で姿を消したのだった。


☆☆☆


「リアム、ティボールド、おはよう」

「よう」

「ララちゃん、おはよう。今日もとっても可愛いねー」


 王都のスター商会に今日はセオとクルトだけでなくアダルヘルムも一緒に来て居る。

 昨日のリアムからの定時連絡で、ロイドからの手紙がティボールド宛に届いたと、アダルヘルムの下に通信魔道具を使って連絡が入ったのだ。その為私達は朝一番でリアムの執務室へとやって来たのだけど、皆相変わらずの忙しさの様だった。


 これからスター商会はおもちゃ屋さんを開くため、前倒しに出来る仕事は今のうちにやっている様だ。おもちゃ屋さんが開店したら暫くは落ち着いて仕事も出来なくなると、これ迄の各店の開店で十分な経験があるリアム達は理解して居る様だった。

 ティボールドも時間があれば呼び出されリアムの仕事を手伝っている様だ。頼りになる兄がいてリアムも助かって居ることだろう。照れているのか素直にお礼は言って居ないようだけどね。


「良し、時間がない、すぐに話合いをしよう」


 仕事の手を止め、リアムの執務室と続き部屋になって居る応接室へと移動した。

 ガレスがお茶とおやつを出してくれると、リアムは早速それに手を伸ばしていた。急いだのはこっちが目的だったんじゃないかと疑いたくなるほどの素早さだった。駄菓子の試作品を出すときはガレスに傍に居てもらわなければならないだろう。何だか私が眠る前よりもリアムのお菓子好きが酷くなって居る気がする。一時願掛けでお菓子を止めていたので、そのリバウンドなのだろうか? 

 パクパクとお菓子を食べるリアムを見てガレスが小さなため息をついていた。頑張れガレス。


「これが兄上からの手紙だよー」


 ティボールドが自分宛てのロイドからの手紙を、皆が見えるように開いてテーブルにそっと置いてくれた。

 リアム達は既に読んでいる様で、私とアダルヘルムに向けて置いてくれたようだ。

 先に私が目を通す。ロイドの字は少年が書いたようなちょっと乱れている文字だったが、手紙の内容には嫌味や子供っぽいところはなく、本当に弟に出すような手紙だったので、先ずはそこに驚いた。

 そして内容はテネブラエ侯爵家の養女であるガリーナ・テネブラエが、本当にロイドの婚約者であることが書かれていた。ただまだ正式な婚約は済んでいない様で、その前に一度家族で顔を会わせたいとも書いてあった。それも嫌っているはずのリアムも一緒にウエルス商会に来て欲しいと書かれていた。

 来るようにではなく、来て欲しいとお願いしているロイドの文面に酷く違和感を感じた。


「これ……本当にロイド本人が書いたものですよね?」


 アダルヘルムもセオもクルトも手紙を読み終わり、私が一番最初にだした質問はそれだった。

 リアムもティボールドも同じ様に思っていたのだろう、クスリと笑って居る。ロイドの補佐をして居た経験があるランスとヴァロンタンは、間違いなくロイド本人の文字だと頷いている。誰かの代筆では無い様だ。


「この手紙はロイド様ご本人の文字ですが、これ迄では考えられない程綺麗に書こうと努力しているのが分かります」

「それに文章もねー、兄上は僕にお願いなんかしない、何時も命令だった。アレしとけ、コレしとけってね、手紙を見て弟である僕も別人が書いたのかと思ったぐらいだよー」

「それに婚約者に会わせるために大っ嫌いな俺を呼ぶなんて怪しいだろう? いつもなら反対に俺を連れて来るなって言いそうだ。気持ち悪すぎる……」


 リアムはロイドからの手紙を汚い物でも摘むように二本の指で持つと、ピラピラと振って見せた。

 念の為私も手紙を鑑定してみたが、ロイド本人からの手紙で間違い無かった。つまりロイド自身がそれだけ変わったという事だろう。長年補佐をしていたランスとヴァロンタンは納得できないようだったけれど……ロイドに会った事のある私も二人の困惑する気持ちはよく分かった。


「まあ、そのガリーナっていう婚約者の力なのか、それとも新しい補佐の力なのかは分からないが、兄貴が良い方向に変わったのは確かなんだろうな」

「そう、それでリアムと話したんだけどー、この誘いを受けて一緒にその婚約者様に会いに行こうと思っているんだー」

「それは……大丈夫なの?」


 ティボールドとリアムが実家に帰るだけなのに何だかとても心配になった。

 不安の一つはロイドのあからさまな変わり方で、もう一つは婚約者であるガリーナ・テネブラエがセリカの情報でチェーニ一族出身の可能性があるという事だった。


 ティボールドやリアムの身に何かあったら……


 そう思うだけで体に震えが起きてしまった。それが分かったからか、ティボールドは優しく私の頭を撫でてきた。


「ララちゃん、大丈夫だよ。準備万端で向かうからねー」

「ああ、ララ心配するな万全の体制で行く。俺とルドと俺達の護衛のジュリアンとディエゴ、それにメルキオールにも付いてきて貰う予定だ。あと賢獣のブレイとリアナも連れて行くしな」


 リアムも私の頭をポンポンと優しく触った。

 ランスやヴァロンタンは一緒に行けば護衛される側になってしまうし、ウエルス商会を辞めた人間なので連れてはいかないそうだ。それでも何だか心配になってしまう。チェーニ一族の優秀さを嫌という程知っているからかもしれない。


「リアム、ルド、気を付けてね……」

「おう、心配するな」

「ララちゃん、大丈夫だよー」


 本当は私も一緒に行けたらいいのだけど、流石に無関係なのでそれは言いだせなかった。

 チェーニ一族のセオを一緒に連れて行ってという訳にも行かないし、ディープウッズ家として有名なアダルヘルムに護衛をお願いする訳にも行かない。リアムやティボールドの笑顔を見ても何だか凄く不安になった私なのだった。

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