第348話 屍の刺客

 吏部の尚書であるさい春華しゅんかの屋敷に二人の尚書が集まった。戸部の新しい尚書であるこう坤明こんめいと工部の尚書であるちょう金権きんけんだ。


「蔡殿、周尚書の事をどう思われますか?」

 蔡尚書が渋い顔をする。

「有能な人物だと思うが、彼は協調性に乏しいようだ」

 自分たちと同じように賄賂を受け取り、公金を横領しないから協調性がないと言っているのだ。これをゲンサイが聞いたら、ボコボコに殴っていただろう。


 丁尚書が頷いた。

「しかし、陛下はあいつを信頼されている。このままでは、戸部の雷一族のようになってしまいますぞ」

「丁尚書は、どうしたら良いと考えておられるのか?」


 江尚書が尋ねた。丁尚書は二人の顔を見てから、ゆっくりと口を開く。

「始末すべきです」

 蔡尚書と江尚書の顔に『仕方ない』という表情が浮かんだ。


「だが、失敗すれば、我々が返り討ちに遭いますぞ」

 蔡尚書が失敗を心配すると、工部の丁尚書が考えがあると言い出した。それは公共工事などを司る工部と繋がりのある裏の組織に頼むという提案だった。


 桾国には暗殺を請け負う裏の組織があるのだ。プロの集団であり、確実に目的の人物を殺すと言われている。


「なるほど、『かばね』に依頼するのでございますな」

 『屍』と呼ばれる組織は、大金を積まねば動かないという。だが、一度引き受ければ、必ず相手を殺すと言われている。


 三人は話し合い、『屍』に依頼する事にした。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


「ゲンサイ殿、尚書たちが動きましたぞ」

「どう動いたのです?」

「『屍』にゲンサイ殿の暗殺を依頼したのです」

 それを聞いたゲンサイは、口をへの字に曲げる。


 ヒョウゴが肩を竦め、『屍』の連中を皆殺しにする事もできると言う。ゲンサイは考え込んだ。ここで危機を乗り切っても、次々に刺客が現れそうな気がしたからだ。


 その全てを返り討ちにするのは難しい。そうすると依頼者である尚書たちを始末しなければ、という話になるだろう。そうなると、ゲンサイが桾国を支配する立場となる。


 それは危険な事でもあった。ゲンサイがアマト国の忍びだとバレれば、潜入した忍びたちが皆殺しになる。ホクトでもゲンサイは十分な結果を出したと評価されている。引き上げる良い機会かもしれない。


 それをヒョウゴに伝えた。

「分かった。最後の芝居を打とう」

 ヒョウゴたちは、『屍』の動きを調べ『周尚書暗殺計画』のあらましを調べ上げた。『屍』は凄腕の暗殺者三人を呼び、ゲンサイの命を狙わせる事にしたらしい。


 その計画は、ゲンサイが貴南省にある湊町ナンアンを視察するところを襲うというものだ。ナンアンは軍港とする準備をしているところである。


 ユナーツ軍がチュリ国のエナムを海軍基地化しているのに対抗するために、ナンアンを軍艦が停泊できるように整備するという計画だ。


 これはゲンサイが提案したものである。提案した以上、責任を持って管理しなければならない。その道中でゲンサイの命を狙う機会があるのは、三箇所だろう。


 一つはリンシャーという宿場町、もう一つはナンアンの湊、最後はナンアンにある陣屋である。ゲンサイも護衛の兵を引き連れて行くので、兵が分散する事になる宿泊所が危険なのだ。


 翌月の初めにゲンサイたちはハイシャンを出発し貴南省へ向かった。桾国の道は幅が広い、偶にどこまでが道か分からないような場所もある。但し、あまり整備されているとは言えなかった。


 石ころが散らばる道を馬で進む。護衛しているのは五十名ほどの騎馬兵である。途中で一泊したリンシャーの宿場町では何事もなく、ナンアンの町に到着し、陣屋に入った。この陣屋には近くに兵舎がなく、少し離れた場所の兵舎に護衛たちが寝泊まりする事になった。


 とは言え、常時少なくとも二十名ほどの護衛兵が守っている。ゲンサイは視察を明日にして、今日は早めに寝る事にした。


 寝台に横になり眠り、四時間ほどが経過した頃。何か刺激臭に気付いて起きた。

「ヒョウゴ」

 すると、部屋の扉ではなく、隣の部屋に通じる隠し扉が開いた。


「ここです。敵が仕掛けてきました。着替えてください」

 ゲンサイに手渡されたのは、陣屋の小者が着ているような服である。その代わりにゲンサイが着ていた服を、ヒョウゴが担いできた桾国人の男に着せる。


 この男は追い剥ぎである。ゲンサイと背格好が同じだったので捕まえて身代わりとしよう思い、運んで来たのである。今は酒を飲ませて眠っている。


「敵は陣屋に火を放ったようです。もうすぐ刺客が中に入ってくるでしょう」

「その男は大丈夫なのか?」

「失敗だった時は、次の手を考えます」


 部屋の窓から炎が見えた。まだ小さな炎だが、陣屋の東側が燃えているようだ。眠っている男を寝台に横たえるとゲンサイは屋根に上って陣屋から避難した。残ったヒョウゴは隣の部屋から、ゲンサイが眠っていた部屋を監視する。


 ヒョウゴは護衛兵が着ている服に着替えていた。その時、三人の護衛兵が火事を知らせに来て、部屋の前で声を上げる。

「火事だ。小火ぼや程度だが、周尚書を避難させる」

「分かった」


 護衛兵たちが部屋に入ろうとした時、知らせに来た護衛兵が襲い掛かった。一瞬で部屋を警護していた者たちを殺し、ゆっくりと扉を開ける。


「この騒ぎなのに寝ていやがる」

「酒臭い、こいつ相当飲んでいるぞ。起きないのは酒のせいだな」

 男の一人が短剣を振り上げ、寝台で寝ている男に振り下ろした。薄暗い部屋の中で、血が床に流れ落ちる。


「曲者だ!」

 短剣を振り下ろした男が舌打ちをする。ヒョウゴはその男に向かって短槍を投げた。槍は男の胸に突き刺さる。


 後の二人がヒョウゴに襲い掛かったが、騒ぎを聞き付けて集まり始めた護衛兵に気付き、懐から何かを取り出して、ヒョウゴに向かって投げる。ヒョウゴが避けると、壁に当たって燃え上がった。曲者たちは窓から外に逃げ出した。


 護衛兵は火を消そうとしたが、ダメだった。陣屋は火に包まれて燃え上がり、後に周尚書と思われる焼死体が発見される。


 その知らせはハイシャンに報せられ、周尚書を失った晨紀帝は激怒し、桾国の治世が荒れた。


 歴史書に、生きていれば桾国の運命が変わったかもしれない人材を失ったと書かれる事になる事件だった。


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