第243話 ホクトの変化

 アムス王国海軍のヘルハルト・ストラウクは、海軍中将であるフェリクス・ストラウクを父に持つエリート軍人だった。ところが、ある小さな海戦で総指揮官であるサンデル提督と意見が分かれ、提督を罵倒してしまった。


 若気の至りとは言え、これは父親の威光を以てしても庇いきれない失敗だった。その結果、極東地域に左遷される事になった。


「はあっ、オルソ島か。そんな辺境に私が……」

 愚痴を零しながら甲板で海を見ていると、商人のティモンが声を掛けた。

「ストラウク少佐、どうしたのですか?」


 ヘルハルトが振り向いて、ティモンに目を向ける。四十歳くらいの商人で裕福な格好をしている。薬の商売をしていると聞いたが、儲かっているらしい。


「こんな辺境に飛ばされる事になった自分の愚行を、反省しているのだ」

「ああ、聞いておりますぞ。ファルカ沖の海戦で、サンデル提督と言い争ったようですな」


「あの時、どうして提督を罵倒したのか、今になると分からない」

「詳しい事は知りませんが、提督が立てた作戦の中の小さなミスを、鋭く指摘されたと聞いています」


「私は提督に認めてもらいたかったのだ。だが、興奮して罵倒してしまった。最悪だよ」

「まあ、二、三年ほど極東で静かにしていれば、中将の力で中央に戻れるでしょう。ここは骨休めと思って、ゆっくり休養と勉強をされるのがよろしいでしょう」


 ヘルハルトは商人の言葉に引っ掛かった。

「勉強というのはどういう事だ? 極東に学ぶべきものが有るというのか?」


「知らないのでございますか。極東にはアマト国があります。あの国は我らの国にも匹敵する文明国ですぞ」


 ヘルハルトもアマト国の噂を聞いた事がある。だが、ほとんど信じていなかった。東の端にある蛮族の国が、それほど発達した文明を持っているはずなどないのだ。


「それは噂だけで、本当は違うのではないか?」

「何を言っておられるのですか。アマト国海軍は、イングド国海軍と戦い勝っています」

「だが、イングド国の負けた艦隊は、古くて小さな軍艦だけを集めたものだと聞いている」


「間違っておりますぞ。負けた第七艦隊には、イングド国の最新型戦列艦三隻が所属しておりました。決して弱い艦隊ではなかったのです」


 それを聞いたヘルハルトはいぶかしんだ。故国で聞いたイングド国の第七艦隊とかなり違ったからだ。

「フラニス国も、アマト国と戦って破れ、オルソ島の南にあるバナオ島を奪われております。アマト国は列強諸国に匹敵する海洋国家なのです」


 そこまで言われても、ヘルハルトは疑っていた。生まれてから二十数年、ずっと極東地域には蛮族しか居ないと言われて育ったのだ。自分の目で確かめるまでは信用できない。


 船がオルソ島に到着すると、ここの海軍の司令官であるヴィンケル提督に挨拶へ行った。

「申し訳ありません。提督はホクトへ行かれております」

 留守番の兵から、そう言われたヘルハルトは、ホクトへ行く事にした。


 オルソ島からは毎日のようにホクト行きの船が出ており、その商船の持ち主である商人と交渉して乗せてもらう事になった。


 長い船旅の後、また船に乗るのかとうんざりする。だが、着任の報告をしなければ、何をしたらいいのかも分からない。


 ヘルハルトを乗せた船が、ホクトの交易区に到着。提督がホテルに泊まっていると聞いたので、そのホテルに向かった。ヘルハルトはホテルが思っていたより立派なので驚いた。


 ホテルのロビーで提督と会い着任の報告をする。

「ここまで追い掛けて来なくても、オルソ島で待っていれば良かったのだぞ」

「ですが、一刻も早く報告して、仕事を始めたかったのです」


 提督が困ったという顔をする。

「仕事と言っても、オルソ島では仕事などない。敢えて仕事と言えるのは、ホクトの様子を見聞きして、報告書に書く事くらいだな」


「ですが、イングド国やフラニス国の動きなどを調査しなくても、よろしいのですか?」

 ヴィンケル提督がゆっくりと頷いた。

「君はミケニ語が読めるかね?」


「商人に勧められて、オルソ島への船旅の間に勉強しました。基本的なものは読めます」

 船旅ではやる事がないので、ずっとミケニ語を勉強していた。初めは桾国語を勉強するつもりだったのだが、商人からミケニ語を勉強しろと強烈に勧められたのだ。


「時間があるなら、そこに有る新聞を読んでみると良い。イングド国とフラニス国の動向が分かる」

 と提督に言われた。


「儂はこれから行かねばならない所が有るから、君は……」

 提督が周囲を見回し、一人のベルボーイを呼んだ。


「提督、ご用件は何でしょう?」

「この男はホクトが初めてなのだ。案内する者を世話してくれないか」

「承知いたしました。アムス語を勉強している者がおりますので、その者に案内させましょう」


 ヴィンケル提督が出掛けた後、ヘルハルトはトシミチというホクトの少年を紹介され、トシミチの案内でホクトを見学する事になった。トシミチは十三歳ほどの少年である。


「少佐、どこに案内すればいいですか?」

 割と流暢なアムス語で問い掛けられたヘルハルトは、一番賑やかな場所へ行きたいと言った。


「そうですね。一番の繁華街はイセボリ町なんですが、あそこはかなり五月蝿いですよ」

「五月蝿くても構わない」

「分かりました。では、馬車でイセボリ町へ行きます」


 交易区の入り口から乗合馬車に乗って、イセボリ町に向かった。途中、庶民の屋敷や商店を見たが、列強諸国の建物と遜色がなかった。


 列強諸国と違うのは、道が比較的綺麗で臭いが少ないという点だ。祖国の道路は劣悪だった。様々なものが道に溢れ、キツイ臭いが漂っている事もある。


 それに比べると、ここの道は馬糞の臭いだけだ。馬車を利用している限り、馬糞の臭いは避けられない。


「ここの商店は、皆ガラス窓を使っているのだな?」

「ええ、使わないと中が暗くなりますから。但し、商品が日焼しないように気を配らないといけないようです」


 アムス王国の首都ノルデンの繁華街と比べても、遜色ない街並みである。乗合馬車が終点に到着した。

「ここからは歩いて、イセボリ町へ向かいます」

「馬車では行けないのか?」

「最近になって、馬車の乗り入れが禁止されたんです。イセボリ町は馬糞のない町にするんだそうです」


 イセボリ町の人々の気持ちも分からないではないが、商品の運び入れなどが大変だろう。その点についてトシミチに質問した。


「イセボリ町は、水路が網の目のように発達した町なので、水路を使って運び込んでいます。最近ではポンポン自動貨車も使っています」


 ヘルハルトが首を傾げた。

「そのポンポン自動貨車というのは何だ?」

「たぶん、もうすぐ来ます」

 遠くからポンポンという音が聞こえてきた。そして、馬の姿がない荷馬車みたいなものが現れた。


「まさか、これは蒸気機関なのか?」

「違いますよ。これはポンポン動力を使った荷馬車みたいなものです」

 世間では焼玉エンジンの事をポンポン動力と呼んでいる。


 噂しか聞いた事がない蒸気機関と同等のものが、極東の国で使われている事に、ヘルハルトは目が飛び出るほど驚いた。


「イングド国でさえ、こんなものはなかったはずだ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る