第203話 フミヅキの守役
イングド国の植民地経営についてドウセツと話していると、ホシカゲが来て桾国の動きについて報告した。
「桾国の耀紀帝が、フラニス国の学者ドミニク・レスピナスを顧問として雇ったようです」
「そのレスピナスは、どんな学者なのだ?」
「『軍政と経済』という本を出した事で、有名な学者だそうでございます」
極東地域での植民地競争で出遅れたフラニス国が、桾国に送り込んだ手駒の一つなのだろう。耀紀帝を使って何か仕掛けようとしているのか?
「耀紀帝は、レスピナスを顧問にして何をしている?」
「海軍の創設でございます」
桾国が海軍? 大陸国家である桾国は水軍や海軍に力を注いできたとは言えない。それがいきなり海軍の創設というのは意外すぎるものだった。
「耀紀帝の狙いは何だろう?」
小姓のマサシゲが、話に加わった。
「やはりイングド国海軍ではないでしょうか。チュリ国に駐留している艦隊がアマト国海軍による反撃を受けて、大きな被害を出しました。増強される前に叩きたいのでは?」
なるほど、弱った敵を叩けという事か。だが、さすがの桾国でも軍艦を建造するには時間が掛かるだろう。真の狙いは……チュリ国か黒虎省への兵員移送かもしれないな。
「チュリ国か黒虎省へ兵員を送るためとは、考えられぬか?」
ホシカゲが頷いた。
「それは考えられます。イングー人にチュリ国と黒虎省を奪われた事を、耀紀帝が激怒していたと聞いておりますので、そうかもしれませぬ」
「そうなると、桾国で建造される船は、兵員輸送艦のようなものか?」
「それを確かめるように、配下に命じます」
「そうしてくれ。ところで、サコンは何をしている?」
小姓であったサコンは、メラ家当主であったヨリチカと一緒にチュリ国のスリョン地方にある炭鉱を再開発している。
「ようやく炭鉱の採掘が始まったところでございます」
「そろそろ戻す頃合いだろう。サコンに戻るように伝えよ。チュリ国については十分に学んだはずだ」
「また小姓に戻すのでございますか?」
「いや、海軍に入れて鍛えようと思っている」
アマト国海軍はまだまだ規模が小さく発展途上の組織である。安心して使える海将も数が少ない。俺はサコンを海将に育てようと思ったのだ。
アマト国海軍の頂点は、提督である。だが、現在の海軍には提督は存在しない。海軍自体の規模が小さいという事も有るが、提督が指揮するだけの大艦隊を指揮できる者が育っていないのだ。
マサシゲがびっくりした顔をする。小姓として戻ってくると思っていたのだ。
「どうして、海軍なのでございますか?」
「海軍の将は、海外の政治家と交渉する場合もある。サコンには政治ができる海将になって欲しいのだ」
無線もまだ発明されていない世界の海将は、外交家や政治家として動くように要求される場合も有る。国益を考え行動できる海軍軍人に育てようと思っていた。
俺が仕事を終えて奥御殿に戻ると、舅殿が来ていた。フタバの父親であるオキタ家当主ヨシノブである。
「御屋形様、お久しぶりでございます」
「堺津督殿、本当に久しぶりですな。もっと頻繁に訪れてくれればいいのに」
「これから、そうしようと思います」
俺はヨシノブの顔に視線を向けた。少し老けたように見える。
「まさか、隠居されるのですか?」
「息子のヒロタカも一人前に成長しました。そろそろ楽になろうと思います」
この時代の人々は、隠居するのが早い。ヨシノブもまだ四十代半ばだったはずだ。今まで働き続け隠居した者がガクリと老け込み、燃え尽きたように死んでいく姿を俺は見ている。
舅殿には早死にして欲しくなかった。
「隠居は少し早いのではないか?」
ヨシノブが苦笑いする。
「いささか疲れたのでございます」
俺はゆっくり首を振った。
「燃え尽きるには早すぎますぞ。……そうだ、ヒロタカ殿に当主を譲られた後に、ホクトへ来てもらおう。城にある温泉で疲れを癒やしてから、息子フミヅキの守役になってもらうのがいい」
ヨシノブの後ろに控えていたフタバが顔を輝かせた。
「それが良うございます」
後ろを振り向いたヨシノブが娘の顔を見た。そこには心配そうにこちらを見ている娘の顔が有るのを見て、力なく微笑んだ。
「……まだ早すぎますか?」
「そうだ、早い。俺はアマト国の形がちゃんと定まるのが、五十年は先だと思っている。その時、生きておれば七十を過ぎているだろう。そこまで働き続けるつもりなのだ。五十にもならぬのに隠居するなど早すぎるぞ」
ヨシノブが驚いた顔をしている。この時代の男は五十まで生きれば、天寿を全うしたと言われる。なのに、俺が七十まで生きると言ったからだ。
そして、七十まで働き続けると言った事に衝撃を受けたのだろう。
「七十まで働き続けるのでございますか?」
「そうだ。そこまでせねば、長く続く国を残せぬと思っている」
「それは……覇者の覚悟なのでございますね」
「覇者かどうかは分からん。だが、人の人生とは分からぬものだ。俺が早死にしたら、長男であるフミヅキができたばかりの国を担う事になる。苦しむ事だろう。その苦しみに耐えられるように鍛えて欲しい」
ヨシノブの顔が強張った。あまりにも大きな重責を背負わされたと感じたのだ。
「某一人では無理でございます」
「分かっている。必要だと思う人材が居たら申すがいい」
困ったという顔をするヨシノブだったが、最初見た時にはなかった覇気が戻ったように感じる。生きる目標を得たからではないだろうか。
俺はフミヅキを呼んだ。呼ばれて部屋に入ってきたフミヅキは、ヨシノブを見て顔を輝かせた。
「フミヅキ、また大きくなったな」
「剣の稽古も始めました」
「そうかそうか」
ヨシノブは孫に会えて嬉しそうだ。だが、守役になった事を思い出し、顔を引き締めた。
「フミヅキ、これからは大変だぞ。厳しく鍛える事になるからな。頑張れるか?」
「頑張る」
フミヅキは事情が分かっていなかったが、やる気だけは有るようだ。
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