第88話 東アダタラ州
西アダタラ州と東アダタラ州の間で戦が起こった。西アダタラ州の兵力は七千、東アダタラ州の兵力は六千である。
その戦は西軍が東アダタラ州のユドノ郡に侵攻した瞬間に始まった。これを迎え撃ったのは若き武将ネズ・フジナオだ。ネズは西軍を自領深くに誘い込み、三方から包囲して火縄銃と弓矢で攻撃した。
その集中砲火は凄まじく、西軍の二割が死傷する。元々西軍の士気は高くなかった。そこに二割の損耗を出すような被害を受け、兵たちが浮足立ち逃げる者も現れる。
西軍の大将ヨシモトは、軍を立て直すために一時的に兵を下げる事にした。その命令を出した瞬間、東軍を率いるネズは追撃を命じる。
整然と退却をしようとしていた西軍は、東軍の果敢な追撃により歯車が狂った。兵の一部が無秩序に敗走を始めたのである。この動きは周囲に伝播し西軍全体が無秩序な敗走を開始する。
ヨシモトは兵に逃げるなと命じたが、その命令に従う兵はほとんど居なかった。結局、西軍は何の成果も上げる事なくハシマに引き返す事になる。
ハシマ城に戻ったヨシモトは、武将たちを集め軍議を開いた。
「どうして、こんな無様な結果となったのだ?」
ヨシモトが副将に抜擢したツゲ・ジュンサイを睨んだ。青い顔をしたツゲは、助けを求めるように周囲を見回す。
そこに無表情のまま座っている三虎将の一人ホソカワ・ヒデハルの姿があった。
「武将たちの中に協力的でない者が、居たからでございます」
「どういう意味だ?」
「ホソカワ殿は、今回の作戦を立てた時に、何の協力も申し出ませんでした。これは御屋形様に不満があったからでしょう」
「ホソカワ、本当か?」
「今回の作戦において、口出しするな、と命ぜられたからでございます」
ヨシモトが顔をしかめた。そう命じた覚えがあったからだ。
ツゲは不機嫌な顔になっている。
「そう命ぜられたとしても、カラサワ家を大事に思っているなら、助言の一つや二つはするものではないですかな」
ホソカワがツゲを睨んだ。
「御屋形様の命令を無視しろと、言われておるのか?」
「そ、そういう事ではない」
ヨシモトが益々不機嫌な顔になっていた。
「やめよ。こんな事になったのも、全てタカツナが悪いのだ。……サンダユウ」
陽炎の頭領であるサンダユウが、ヨシモトの前に進み出た。
「タカツナを何とかできぬか?」
ホソカワが驚いたように目を剥き、ヨシモトに視線を向けた。
軍議の席で、そのような事を言い出すとは正気なのか、ホソカワは唇を噛み締めた。忍びに敵将を暗殺させるという方法を否定する訳ではない。
ただ、その場合は密室で誰も知られないようにして命じるものなのだ。軍議の場で命じれば、武将たちは自分たちが信用されていないと思う者も出るだろう。信用していないから、暗殺などという手段を取るのだと。
サンダユウがチラリと武将たちの顔色を窺った。暗殺というのは諸刃の剣である。成功すれば敵に大打撃を与えられるのだが、多用すれば信用を失う。
サンダユウは無言のまま頭を下げた。
「火走りのような無様な結果だけは、許さんぞ」
「ハッ」
サンダユウはもう一度頭を下げると、部屋を出た。その後、軍議が終わる。ホソカワは同僚と一緒に自分の部屋に戻り話し始めた。
「ホソカワ殿、どう思いました?」
同僚の武将カケイ・ナガチカが尋ねた。
「サンダユウ殿への命令ならば、悪い手ではないと思う。ただ軍議の席で言い出す事ではない」
「そうでござるな。成功するでしょうか?」
「あのような席で命ぜられたサンダユウ殿は、陽炎の誇りにかけて、何としてでも成し遂げようとするだろう」
そのサンダユウは、配下の忍びを集め作戦を検討した。
「今回の戦いで勝利した東軍は、勝利の宴を開くはず。その席に潜り込めば、タカツナ殿の命を狙う機会は訪れましょう」
サンダユウは同意し具体的な方法について話を詰めた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
東アダタラ州のシオガマ郡にあるキサキ城で、勝利の宴が始まった。カラサワ・タカツナは上機嫌で、武将たちに声を掛け褒美を約束した。
勝利の美酒を飲んだタカツナは、
黒い影が腕を横に薙ぎ払うと、タカツナの首から血が噴き出した。その血を浴びた小姓が叫ぼうとした時、口を塞がれ胸に短刀が突き刺さる。
武将の一人がタカツナの亡骸を発見した時、黒い影の姿はなかった。その瞬間、東アダタラ州の運命が決まったのだ。
タカツナという大黒柱を失った東アダタラ州は、結束を失い元の郡ごとに支配者が変わるという状況になった。ネズ・フジナオはシオガマ郡しか支配下に置けず、暗殺という卑怯な手段を取ったカラサワ家を呪った。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
タカツナが暗殺されたという報せを受けた俺は、盛大に溜息を吐いた。
「殿が溜息を吐くなど、珍しいですね」
ほうじ茶を持ってきたソウリンが言った。
「西アダタラ州と東アダタラ州の対立が、当分続くと思っていたのだ。それが一夜にして終わってしまった。溜息くらいは吐きたくなる」
「この先、アダタラ州はどうなるのでしょう?」
俺はほうじ茶を飲んだ。口の中の苦いものがスーッと溶けて消えるような美味しさだ。
「ふうっ、当然、カラサワ軍が混乱している東アダタラ州の郡を刈り取るだろう」
「殿は動かないのですか?」
「そうだな。カラサワ郡の手際次第だ。大路守殿が手間取るようならば、バイナン郡とナセ郡辺りに手を出す事もあり得る」
「元々支配していた土地です。カラサワ軍が手間取るという事が有るのでしょうか?」
「今のカラサワ軍は、昔とは違う。三虎将の一人コウリキ殿はミモリに居り、ホソカワ殿も家老職を追われたようだ」
ヨシモトは周囲の意見を聞こうとしない君主となった。カラサワ家の将来は暗い。
「アダタラ州より、アシタカ府という事ですか?」
「そうじゃない。西と東で同時に戦を起こしたくないという事だ。まずアシタカ府を手に入れて、『府』を『州』にしたい」
カイドウ家がアシタカ府を手に入れれば、軽く五十万石を超え八十万石近い石高となるだろう。そうなれば、アダタラ州と規模は変わらなくなる。
「殿、ご報告があります」
外でホシカゲの声がした。中に入れて報告を聞く。
「エサシ郡なのですが、タルマエ郡とミカグラ郡から流民が流れ込んでいる様子です」
俺の顔が渋いものに変わった。
「またか。モウリ家は何をしているのだ?」
「モウリ家は、居城をヒュウガ城から、東にあるヤマシロ城に変えて、守りを固めているようです。たぶんカイドウ軍が攻めて来ると警戒しているのでしょう」
他の郡は放置しているらしい。どうやらアシタカ府の領地を刈り取る時期が来たようだ。だが、問題が有る。刈り取った領地の民は食糧不足なのだ。
「確か、アダタラ州は豊作だったな」
「はい、その通りでございます」
「ホクトに集まっている商人たちを使って、食糧を買い集める事ができるか?」
「可能だと思いますが、商人たちを使えば高い買い物になるかと」
「構わん、溜め込んだ金を吐き出す事にする。ホクトのマゴロクと連絡を取り、食糧を集めさせてくれ」
「畏まりました」
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