第70話 蓮華草

 俺は農地の収穫量を上げるには、どうすればいいか悩んでいた。すぐに思い浮かんだのは、肥料を農地に撒く事である。だが、無料で手に入る人糞や家畜の糞、それに尿を肥料とする事は昔から行われており、それ以外の肥料を用意するとなると時間が掛かる。


 それに人糞や家畜の糞、尿などを肥料化して、広大な農地に撒くには量が少なすぎるのだ。農家の中には、町の屋敷や家々から排泄物をもらう代わりに、野菜などを配るという事までして集めているくらいだ。


 そこで緑肥を支配地の農地に広める事にした。用意したのは、蓮華れんげ草の種だ。蓮華草はマメ科の越年草で根に球形の根粒があり、空気中の窒素を固定する能力がある。


 今年は種を配るのが遅くなったので、水田では開花期にすき込む事になるかもしれない。そうなると、大きな効果が出ない可能性もあるし、蓮華草の種が出来る前にすき込むので、また来年も種を撒かなければならないだろう。


 本当は水田から水を抜いた後に種を撒くのが良いらしい。そして、水田にすき込むのは、蓮華草の種が出来て、黄熟期となった頃が良いようだ。


 俺はセブミ郡の開発状況を確認するために、視察に行く事にした。現在セブミ郡のムサシ郷で埋め立て工事や築城の基礎工事を指揮しているのは、普請奉行のセンゴクである。


 センゴクには埋め立てを優先し、少なくとも五万人の人々が住める基盤を整備して欲しいと注文を出している。

「殿、ムサシ郷に建てる予定の城は大きいのですか?」


 サコンの質問に微笑みを浮かべる。

「ああ、敷地は三十万坪ほどになる」

「凄い、ミモリ城の何倍になるのかな」


 それを聞いたソウリンが複雑そうな顔をする。

「その城が完成したら、カイドウ郷を離れて、その城に引っ越すのでございますか?」


「そうなる。ミモリ城はミザフ郡の行政を司る城となるだろう」

「このままずっと、ミモリ城で仕事をする事は、できないのでございますか?」


「カイドウ家を大きくするためには、海が必要だ」

「海……なぜでございます?」

「三十五万石の支配地から産物が集まり、それを目当てに商人が集まる。そして、購入した商品を各地に運び売るには、船が便利なのだ」


「今もタビール湖の船を使って、同じ事をしているではありませんか」

「ミケニ島の地方だけでなく、大陸の国とも交易をする事を考えると海が必要なのだ。それにタビール湖は大きいと思っているだろうが、海に比べれば小さい」


 サコンがいきなり声を上げた。

「殿、拙者も海を見たいです」

「そうか、視察に付いて来るか?」

「はい」


 俺はサコンとソウリンを連れて、セブミ郡へ向かった。道普請は終わっているので、専用馬車でムサシ郷まで行けるようになっていた。


 護衛として同行するのは、ソフエ・マゴロクが率いる兵である。十日ほどの旅だったが、ムサシ郷の陣屋に到着した。


 陣屋で旅装を解いた俺は、サコンとソウリンを連れて、海岸の方へ行ってみる事にした。陣屋から海岸までは十分ほど歩くと到着する。


「うっひゃあ……海って青いんだ」

 サコンが甲高い声を上げた。ソウリンは無言で海を見詰めている。


「この海の向こうに、大陸があるのでございますね?」

 ソウリンの問いに、俺は頷いた。

「そうだ。ここの北にあるのが桾国で、ずーっと西にあるのがイングド国とフラニス国だ。その間にも多くの国がある」


 俺は埋め立て工事をしている場所へ移動した。

「殿、あの埋立地には、大きな溝があるようですが、あそこは埋め立てないのでございますか?」


 護衛として傍を歩いていたマゴロクが質問した。

「あれは運河だ。湊まで運んだ荷物を小舟に積み替え、運河を通って内陸の街まで運ぼうと考えている」


「そうでございました。この溝が運河になるのでございますか」

 マゴロクは実際に見る大規模開発に目を見張った。俺も実際に目で見ると、規模が大きいと感じる。


 埋め立て工事を視察した翌日、城の建設予定地を見に行った。半分ほどになった山が見える。だいぶ工事が進んでいるようだ。


 少し長い坂道があり、そこを登る。登った先では大勢の作業員が、山を掘り崩し土砂を運んでいる。土砂を運ぶという作業が、思った以上に大変らしいと気付いた。


「トロッコでも設置するか。でも、鉄道は鉄の生産量が問題になるな」

 俺は木製レールのトロッコ列車が造れないか考え始めた。その事を普請奉行のセンゴクに相談すると、面白いと興味を持ったようだ。


 この事により、ミケニ島で初めてトロッコ列車が使われるようになり、埋め立て工事が大いに進むようになる。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 西アダタラ州のハシマ城では、当主ヨシモトが側用人のフルタを怒鳴った。

「どういう事だ。あれだけの金を払ったのに、火縄銃二百丁しか買えなかった、と申すのか?」


 イングド国の商人と取引をしたのだが、その商人は密貿易をしているたちの悪い商人であり、カラサワ家の窮状につけ込み、高額の火縄銃を売りつけたらしい。


「仕方ございません。火縄銃と硝石を買える国は、イングド国だけだったのです」

「どうすれば良いと思う?」


「カラサワ家でも、火縄銃が作れるようになれば、よろしいのでございます」

「それで、鍛冶屋どもは作れそうなのか?」

「最高と言われる数人の鍛冶屋に、火縄銃を与え研究させております」


「いつ頃、作れるようになる?」

「作れるかどうかも、まだ分かりませぬ。もうしばらく時間を頂きたく、お願いいたします」

 それを聞いてヨシモトが溜息を吐いた。


「硝石はどうだ?」

「やはり、フラニー人から買うより高いのですが、量は揃っております」


「昔、カイドウ家の小僧が、火縄銃を揃えるのは大変だと言ったのを聞いて、鼻で笑ってやったが、笑えるような事ではなかった、という事か」


「あの時はまだ、クマニ湊で作られている火縄銃なら安かったのです。今はクジョウ家が販売を禁止しておりますので買えません」


「あの小僧は、どれほどの火縄銃を買ったのだ?」

 フルタが返事をするのをためらった。

「どうした。分からんのか?」


「それが、買ったのは十丁だけと言う者や、三百丁だと言う者が居るのでございます」

「何だと、数が合わぬではないか。カイドウ家は戦で五百丁もの火縄銃を使っておるのだぞ」


「そうなのです。そこで調べた結果、クマニ湊の鉄砲鍛冶を一人、カイドウ郷へ連れ帰っているようなのでございます」


「な、何だと……そのような重要な事を今頃。……サンダユウを呼べ」

 陽炎の頭領であるサンダユウが現れた。


「カイドウ家に鉄砲鍛冶が居るというのは、本当なのか?」

「ハッ、カイドウ郷に鉄砲工房がある事を突き止めました」


「あの小僧、儂をたばかったな」

 ヨシモトが、カイドウ家で火縄銃を作っているかどうか尋ねた事もないので、謀ったという事実はない。単に秘密にしていただけである。


「そうだ。カイドウ家から、火縄銃を買う事はできぬか?」

 その言葉を聞いたフルタは顔をしかめた。カイドウ家がカラサワ家の勢力から離脱すると宣言して以来、カイドウ家とカラサワ家の関係は冷え込んだものになっている。


 ただ敵対関係となった訳ではなかった。

「交渉する事はできると思いますが」

「ならば、交渉して火縄銃三百丁を手に入れるのだ」


 そう命じられたフルタは、旅支度をしてカイドウ郷へ向かった。部下であるサイトウも一緒である。

「サイトウ、カイドウ家が火縄銃を売ってくれると思うか?」


「難しいとしか言えません」

「そうだな。某なら、絶対に売らん。カイドウ家に向かって使われる事もあるかもしれんのだからな」


 ナガハマから船に乗ってタビール湖を渡ったフルタたちは、トガシの湊に到着した。

「ここから乗合馬車というものが出ているらしい。それで行くぞ」


 フルタはカイドウ家の支配地が大きく変わったのに気付いた。道が整備され家々も立派になっている。人通りも多く、通りに面した店が繁盛しているのが分かった。


「これが勢いというものか」

 フルタは冬なのに青々としている水田を見て首を傾げた。


「ここでは、何か裏作でもやっておるのか?」

「違いますよ。お武家様」

「だったら、あれは何なのだ?」


「カイドウ家の殿様が下さった蓮華草の種を撒いたのです」

「蓮華草……そんなものを撒いてどうする? 咲いた花を楽しむのか?」

「聞いた話では、蓮華草は田んぼの土を生き返らせる働きが有るそうでございますよ」

 フルタは信じられなかった。何かの迷信だと思い聞き流した。


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