第63話 バサン郡ワキサカ郷

 カイドウ家が支配するフラネイ府の周辺で戦がなくなった。

 アダタラ州は西と東に分離したまま両軍が睨み合う状態が続いている。両軍は必死になって戦力を補充し、兵の訓練に時間を割いていた。


 アダタラ州の分離とカイドウ家の拡大により大きな影響を受けた地方があった。セブミ郡とアガ郡の東にあるバサン郡だ。


 バサン郡は南北に細長い地形をしており、その中には四つの郷が存在する。北からワキサカ郷・マツクラ郷・ウラカミ郷・エビナ郷となる。


 バサン郡の郷に関する特徴の一つとして、郷の規模が大きい事が知られている。ウラカミ郷などはナセ郡より少し小さい程度の大きさだ。


 そのバサン郡の各郷を支配する豪族は、頼りにしていたカラサワ家との間に東アダタラ州とフラネイ府という新勢力が入り込み混乱していた。


 バサン郡の豪族の一人であるワキサカ・朱月頭あかつきのかみ・コレナガは、家臣を居城の一室に集めて協議を始めた。

「セブミ郡とアガ郡がカイドウ家のものとなった。ワキサカ郷としてはどうするかを決めねばならん。マキノはどう思う?」


 ワキサカ家の家老であるマキノ・ナガヒデは、顔を上げて三十代前半の線の細い主君を見た。

「それはアシタカ府のモウリ家、あるいはカイドウ家の配下に入るかという事でございますか?」


「仕方あるまい。ワキサカ家だけでは領地を守れぬのだから」

「しかし、カラサワ家との関係はどうするのでございます?」

「東アダタラ州が出来てしまったのだ。カラサワ家は当てにならん」


 ワキサカ家はカラサワ家の勢力図の中の一員として生き延びてきた。だが、東アダタラ州・フラネイ府が間に入った事により、カラサワ家を頼りにする事ができなくなったのだ。


「規模を比べますと、アシタカ府になります。ですが、あそこは大地震により勢いを失っております」

「ならば、カイドウ家を選べと申すのか?」


「難しい判断ですな。カイドウ家は近年になって急速に伸びた家でございます。その体制がしっかりしたものなのか? 一時の勢いだけで、すぐに萎んでしまう家なのかを見極けねばなりません」


「ならば、アシタカ府はどうだ? 立ち直れそうなのか?」

大露督おおろのかみ様は、懸命に立て直そうとなさっておるようですが、時間が掛かるでしょう」


 アシタカ府の当主モウリ・大露督・トヨナオは、それなりに有能な大名である。ただ不運にも領地が大地震で大きな被害を受けたために、苦労している。


 家臣の一人が不穏な噂を聞いたと言い出した。アシタカ府の海岸付近の郡で一揆が起きたというのだ。

「一揆だと……規模が大きいのか?」

「それを鎮めるために、郡の守備兵だけでは足りず、モウリ軍が出張でばったと聞いております」


 モウリ家直属の部隊が出るほどの一揆となると規模が大きい事になる。

「そうなると、モウリ家は頼りにならぬな。カイドウ家の配下になった場合、どういう条件となる?」


「領地の一部をカイドウ家に割譲し、配下に入る事になると思われます」

「どれほどの領地を渡さねばならん?」


「アシタカ府と両天秤に掛ける形で交渉を行えば、領地の二割か三割を差し出す事でなんとか纏められると思っております」


 コレナガは不機嫌な顔になった。二割・三割を多いと感じたのだ。

「領地の割譲なしで、交渉する事はできぬのか?」


 マキノが難しい顔をする。この交渉は配下に入る代わりに、アシタカ軍の脅威から領地を守って欲しいと交渉するものだ。誰が無償で他人の領地を守るだろうか?


「さすがに、それは難しいかと……」

「だが、カラサワ家は承知した」

 カラサワ家がそれを承知したのには理由がある。実際にカラサワ家がした事は、名前を貸しただけだからだ。カラサワ家の配下にあると言えば、アシタカ府も手を出さないほど、カラサワ家の存在は大きかったのだ。


 だが、カイドウ家はそれほど大きな存在ではない。カイドウ家がワキサカ郷を守っているとアシタカ府に思わせるには、アシタカ府との境にカイドウ軍の兵を常駐させる必要がある。


 それはワキサカ家がアシタカ府の配下になっても同じであり、モウリ軍の兵がフラネイ府との境に兵を常駐させる必要があるだろう。


 マキノはカイドウ家とモウリ家について、もう少し情報を集めねばならないと提案した。

「いいだろう。マキノはカイドウ家を、サクラバはモウリ家を調べよ」


 コレナガの命令によりカイドウ家を調べる事となったマキノは、最初に友好関係にあるナベシマ家を頼った。顔見知りであるコイワを訪ね、カイドウ家について話を聞いた。


 コイワの屋敷で、マキノはカイドウ家について教えて欲しいと頼んだ。コイワは苦笑いを浮かべ話し始める。

「カイドウ家は勢いのある家です。もしかすると、カラサワ家を凌ぐ大きな家となるかもしれません」


「その勢いというのは、どこから来ているのでございますか?」

「他の者は、火縄銃の存在だと言いますが、私は当主である月城督様の存在が大きいのではないか、と考えております」


「なるほど、火縄銃を取り入れる判断を下したのは、月城督様ですからな」

「それだけではありませんぞ。月城督様はムサシ郷を手に入れて、とんでもない開発計画を始めたのでござる」


 マキノは腑に落ちないという顔をする。ムサシ郷はセブミ郡の中心にある土地だが、小山が多数あり農地にするのが難しい場所だったはずだ。


「それは、どのようなものなのです?」

 コイワは手文庫から一枚の地図を取り出して畳の上に広げた。


「このムサシ子島・ムサシ母島・ムサシ父島までの遠浅の海を埋め立て、土地を造り出すというものでござる」

 セブミ郡は起伏の激しい地形で、平坦な土地が少ない。例外はナベシマ郷の海岸線にある平野だったのだが、それでも大規模な町を築けるほど広大ではなかった。


 カイドウ家が立案した埋め立て計画は、ナベシマ郷にある平野の何倍も広い平坦な土地が生まれる事になる。それを成し遂げるのに、どれほどの時間と資金が必要になるのだろう。マキノには想像もつかなかった。


「それはさすがに、法螺ほらではないですか?」

「いえ、月城督様は本気のようです。その手始めに海岸の一部を埋め立てる工事を始めております」


 マキノは考え込んだ。敵対するタカツナ軍が居るのに、そんな大きな開発計画を実行できるものなのか、疑問に思ったのだ。


 コイワはマキノが黙ってしまったので、自分の言葉が疑われたのではないかと勘違いしたようだ。

「お疑いなら、ムサシ郷とカツヤマ郷を見てこられるといい」


「なぜ、カツヤマ郷も見よと?」

「カツヤマ郷に建設中のカツヤマ砦も、一見の価値があるからでござる」


 マキノはコイワの助言に従い、ムサシ郷とカツヤマ郷を視察する事にした。少数の部下を連れて、ムサシ郷に向かう。そこでは大勢の領民が開発作業をしていた。


 海岸線近くにある山を切り崩し、海を埋め立てていたのだ。マキノは開発の指揮をしている武人を見付け、話し掛けた。


「申し訳ない。ワキサカ家の家老をしているマキノという者でござるが、この工事はどういうものなのでございますか?」


 浅黒い顔をした武人が、ニッと笑って言った。

「海に杭が立っているのが分かるか。あそこまで埋め立てる」

「あの山を全部掘り崩してでござるか?」


「そうではない。この山と隣の小山は、高さ三十メートルほどを残す。それを土台にして、城を建設する予定なのだ」


 山自体を利用して城を造る事は珍しくない。だが、カイドウ家の新しい城は規模が半端ではなく大きいようだ。

「ありがとうございました」


 マキノは圧倒された気分でムサシ郷を離れ、カツヤマ郷へ向かった。

 カツヤマ郷の砦も立派なものだった。東アダタラ州との境に沿って伸びている柵は頑丈そうで、中央にある砦もワキサカ城と変わりない規模のものだ。


「カイドウ家には、どれほどの財力があるのだ。ワキサカ家では、どちらか一つと言われても無理だと言うのに」

 カイドウ家の勢いというのは、確かな財力に裏打ちされた強固なものであり、短期間で萎むようなものではないと感じた。


 マキノはワキサカ郷に帰り、その事を当主コレナガに伝える。

「そうか。やはり、カイドウ家を選ぶべきだな」

「その判断は、お待ちください。アシタカ府を調べているサクラバの報告がまだです」


「いや、中間報告として書状が届いた。アシタカ府の復興は遅々として進まぬようだ」


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