第34話 平和な日々の終わり
俺が影舞に調査を命じた十日後、影舞から報告があった。
ナセ郡の内政は、あまり上手くいっていなかったようだ。ナセ郡の代官であったワカミヤは内政を部下に任せ、天駆教徒狩りを楽しんでいた節があるという。
「ナセ郡に集まった天駆教徒は、相当な数になるようです」
ワカミヤを捕虜とした天駆教徒は、ナセ郡を独立した国にしようと考え始めたらしい。そして、ナセ郡を掌握するとアダタラ州の他の郡も取り込もうとした。
それに対して、カラサワ家が二千の兵を素早く派遣した。だが、天駆教徒は意外なほど強かった。信仰のためなら死んでも構わないという信者兵は、足軽兵が恐怖するほど勇猛果敢だったのだ。
撃退されたカラサワ軍は次にどうするか悩んだ。一方、カラサワ軍を撃退した天駆教徒も、このままではカラサワ家に潰されると考えたようである。
天駆教徒は目標を変えた。東隣のアガ郡に向かって侵攻しようとしたのだ。
その結果、ノウミ軍の兵千百、天駆教徒千三百が郡境に集まり睨み合う状況になっているという。
「ナセ郡に、それほど多くの天駆教徒が居たのはなぜだ?」
「元々の住民だけでなく、ナセ郡の周りの郡に住んでいた天駆教徒が集まってきているのでございます」
「兵力は天駆教徒が上なのだな?」
「はい。ただノウミ軍の弓隊は優秀だと聞いております。弓隊の活躍いかんで、勝敗は変わるかもしれません」
ノウミ軍の弓隊は、南のキラ軍の弓隊に対抗するために鍛えられた者たちだ。
俺は評議衆を集めて尋ねた。
「ノウミ軍と天駆教徒、どちらが勝つと思う?」
イサカ城代たちは顔をしかめて考え込んだ。
「私はノウミ軍が勝つと思います」
内政家であるフナバシは、ノウミ軍が勝利すると考えたらしい。
「なぜだ? 兵力は天駆教徒が多いのだぞ」
「ノウミ軍は玄人兵ですが、天駆教徒は素人兵でございます。それに信者兵を指揮しているのも、カラサワ軍の組頭だった男だというではありませぬか」
「一概にそうとも言い切れぬのではないか」
トウゴウはノウミ軍が必ずしも勝つとは思っていないらしい。
「理由を聞こう」
「一つは、カラサワ軍二千に勝っているという事実でございます」
「それはカラサワ軍が油断したからであろう」
フナバシが口を挟んだ。
俺はフナバシを制止して、トウゴウの意見を聞いた。
「もう一つは、ノウミ軍が最近小競り合い以外の実戦を行った経験がないという事実です。どこまで鍛えられているか、それにノウミ軍の総大将となった紫苑督様が戦上手だと聞いた覚えがありません」
ノウミ家のナオハルは、四〇代前半の太った男らしい。家臣の一人をわざわざカイドウ郷まで燻製干し牛肉を買いに来させるほど食い意地の張った人物だった。
「もし、ノウミ軍が敗れるような事があったら、どうなりましょうか?」
クガヌマは天駆教徒の動きを警戒しているようだ。俺は自分の考えを言っておく事にした。
「ノウミ軍が破れ、天駆教徒がアガ郡に入り込んだ場合、ナセ郡の天駆教徒たちがアガ郡に移動するのではないかと考えている」
トウゴウが頷いた。
「アダタラ州のカラサワ軍が押し出してしまうと考えておられるのですな」
「そうだ。二千の兵は撃退されたが、カラサワ軍の総力は二万八千、いくら勇猛果敢な天駆教徒でも、撃退はできないだろう。そうなるとアダタラ州から逃げねばならない」
俺は天駆教徒の逃げる先がアガ郡だと考えている。もし、天駆教徒がアガ郡を掌握したら、どちらに勢力を拡大しようとするだろう。
北にある海の方へ伸びようとするなら、カラサワ軍が追ってくる恐れがある。そうすると、南のコベラ郡・ミザフ郡へ来るかもしれない。背筋を怖気が走る。
冗談じゃない。あんな狂信者みたいな奴らの相手はしたくない。ノウミ軍かキラ軍が退治してくれるのを期待したいな。
トウゴウが鋭い視線を俺に向けていた。
「今、面倒臭いという顔をしていませんでしたか?」
「いや、そんな事は思っておらんぞ。ただノウミ軍かキラ軍が天駆教徒どもを追っ払ってくれないか、と思っただけだ」
評議衆たちが、やっぱりという顔をする。モロス家老がホシカゲへ視線を向けた。
「それほど、天駆教徒の信者兵は厄介なのか?」
ホシカゲが渋い顔をする。
「天駆教徒は、死ねば極楽へ行けるという教えを受けております。死を恐れず戦う者が振るう武器は、思いのほか伸びてまいります。これが怖いのです」
武将であるトウゴウとクガヌマは、素直に頷いた。彼らも体験した事があるのかもしれない。
「殿の気持ちも理解できますな。拙者もノウミ軍かキラ軍が倒してくれるのを期待します」
俺たちが評議を開いた数日後、俺たちの期待をノウミ軍が裏切った。待ち構えて天駆教徒を迎え討ったノウミ軍は、仲間の死をものともせずに襲い掛かってくる信者兵に腰が引けてしまった。
ノウミ軍は得意の弓矢で攻撃したのだが、信者兵の勢いには勝てなかった。多数の狂信者に飲み込まれ、ノウミ軍は崩壊。ノウミ軍の総大将ナオハルも戦死したという。
その報せがカイドウ郷に届くと、俺は深い溜息を吐いた。
「殿、天駆教徒どもは、ナセ郡を捨ててアガ郡へと移っているようです」
ホシカゲの報せを聞いた俺は考えた。
「カラサワ軍が迫っているのだろう。ナセ郡の天駆教徒が消えていた場合、カラサワ軍はアガ郡まで追って行くだろうか?」
ホシカゲが顔を伏せた。
「確かな事は断言できませぬが、追う事は難しいと思われます」
俺は嫌な予感を覚えた。天駆教徒が去ったナセ郡の状況が気になってホシカゲに確かめる。
「天駆教徒が滞在した町の多くは、住民が逃げ出したのでございますが、逃げ遅れた者も大勢居ました。その者たちは、狂信者の手により惨殺されたと報告を受けております」
ホシカゲから詳しい状況を聞き、その光景を想像して静かな怒りが湧き起こる。俺の握り締めた拳が、小さく震えているのをホシカゲに見られた。
「殿、今は乱世なのでございます」
「分かっている。だが、天駆教徒のやりようは気に食わん。ナセ郡の食糧はどうだ?」
「根こそぎ奪って、アガ郡へ運んだようでございます。なので、カラサワ軍は先へは進めないと申し上げたのです」
カラサワ軍は余分な兵糧を持たずに、ナセ郡へ進軍したのだろう。一刻でも早くナセ郡の天駆教徒を始末したかったのかもしれないが、天駆教徒は逃げ延びる事となった。
俺は荒れた気持ちを落ち着かせるために、奥御殿へと向かった。奥御殿と呼んでいるが、カイドウ家の私生活の場所である。
そこではフタバとチカゲ、それに使用人たちが暮らしている。
「殿、今日は早いのですね」
奥御殿の居間では、フタバとチカゲがはさみ将棋をしていた。これは『歩』の駒だけを使って、相手の駒を縦横で挟めば取れるというゲームである。
「嫌な事を聞いたので、気持ちを落ち着かせるために戻ってきた」
チカゲが立ち上がり、ほうじ茶を淹れに行った。
「まあ、何が有ったのでございますか?」
フタバは目を見開いて驚き、理由を尋ねた。その仕草や声が、俺の心を癒やしてくれる。
俺がアガ郡で起きた戦いで天駆教徒が勝利した事を話すと、フタバはさらに驚いた。
「天駆教徒の方々は、どうするつもりなのでしょう?」
「自分たちだけの国を創るつもりのようだ」
「アガ郡に天駆教徒の国ができるのですか? それが出来上がれば、天駆教徒の人々も満足するのでしょうか?」
チカゲがほうじ茶を持って戻ってきた。俺とフタバにほうじ茶を出す。それを一口飲んだ俺は、ホッとした。そして、フタバの質問を考える。
天駆教徒がアガ郡だけで満足するとは思えなかった。天駆教徒の数は、俺が思っていた以上に多いようだ。アガ郡程度の国で全部の教徒を養えるとは思えない。一度は天下を取った天駆教徒である。夢をもう一度と考える馬鹿も現れるかもしれない。
「天駆教徒が、コベラ郡を経て、ミザフ郡へと侵攻してくるかもしれない。だが、安心しろ。カイドウ家の領地に一歩でも踏み入れたら、あいつらを捻り潰してやる」
ちょっと前までは、ノウミ軍かキラ軍が何とかしてくれないかと考えていたのに、今は自分で叩き潰したいと思っている。それほど天駆教徒のやり方が
チカゲが苦笑いして口を挟んだ。
「殿、怖い顔になっておりますよ」
ふと見ると、フタバが驚いたような顔で、俺を見ていた。余程怖い顔をしていたのだろう。
「済まなかった。ちょっと感情的になったようだ」
フタバが優しく笑う。
「構いません。父上も時々そんな顔をする時がありました」
その笑顔をずーっと見ていたいと思った。カイドウ家当主を継いでから約二年、ミザフ郡を掌握したカイドウ家は大名となり、近隣に名を知られるようになった。
このまま発展すれば、自分の子供がカイドウ家を継ぐ事になるだろう。その日が来るまで、俺はカイドウ家と家臣、領民を守り通す。何人たりとも邪魔はさせないと天に誓った。
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