第12話 忍び『影舞』

 ホシカゲがチカゲの目をジッと見た。

「チカゲ、何を言いたいのだ?」

「瀬畔督様を見限り、新しい主を探した方が良いのではありませんか」


 十三歳になる娘に言われたホシカゲは、自分が年老いたような気分になった。

「月城頭様を新しい主にしろと?」

「調べる価値があると思われます」


「良かろう。チカゲが調べてみろ」

 ホシカゲは影舞の忍びを使う事を許した。

 チカゲは影舞の組頭を呼び出した。組頭の七人が、ヤミセの屋敷に集まる。


「今日は、ホシカゲ様ではなく、チカゲ様が集められたのですか?」

「父の許しを得ています。イゾウ殿のイ組には、カイドウ郷を調べてもらいます。台所事情や家臣たち、民の様子も調べるように。また、月城頭様を念入りに調査して欲しい。巷の噂で、神の叡智を得たというものがあります。できれば、確認をお願いします」

「承知しました」


 チカゲはイ組からト組まである各組の組頭に、カイドウ家と支配する各郷を調べるように命じた。

 数日後、組頭たちがチカゲとホシカゲの前に現れた。


「もう分かったのですか?」

「はい。チカゲ様が言われていた通り、月城頭様は神の叡智を得られた可能性が高いと思われます」


 各組頭は、先代の月城頭が死んだ時に起きた跡継ぎ騒動や最初のキザエ軍との戦い、二度目のキザエ軍との決戦、さらには新しいお茶の製造販売、また十字弓について報告した。


「ただ、もう一つだけ何かを隠している気配があるのですが、それが何かは分かりませんでした」

「へえー、組頭たちが突き止められなかったほど秘密にしている事なの」


 イ組のイゾウがチカゲに視線を向けた。

「もう少し時間を掛けて調べましょうか?」

「いいえ、十分よ。次は私が月城頭様に会ってみます」


 ホシカゲが顔をしかめた。

「待て、まだ新しい主に鞍替えすると決めた訳ではないぞ」

「ですが、父上。このままでは影舞を養う事はできません。瀬畔督様に期待するだけ無駄です」


 それを聞いて、組頭たちが苦笑いする。ホシカゲは溜息を吐いた。

「ホシカゲ様、ここはお嬢様の考えに従ってみてはどうでしょう」

「分かった。……ヒロフサ様ではなく、カンスケ様が御当主となっていたら、こんな事にならなかったのだが」


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 フナバシから米の買い付けが終わったという報告を受けた俺は、仕事部屋で製鉄の技術について神明珠の知識を整理していた。


 神明珠の知識は、そのまま使える訳ではないようだ。この地方の技術力は、神明珠を作った人々が築き上げた文明と比べると、悲しいほど低い。それ故、実現できない技術も存在する。


「石炭が見付かったら、コークスを生産する工場が必要になるな」

 その時、天井から紙切れが舞い落ちてきて文机の上に落ちた。


「何だ?」

 俺は紙切れを拾う。文字が書いてある。『月城頭様、御相談したい事がございます。御許可をお願いいたします。チカゲ』


 どういう事だろう。俺が悩んでいると、クガヌマが部屋に訪れた。

「ヒルガ郡からチカゲという若い女性が、殿を訪ねて来られました」


 俺は手に持った紙切れに目を落とした。

「分かった。ここに案内してくれ。クガヌマも同席せよ」


 クガヌマに案内されて部屋に入ってきた女性は、俺より少し年下だろう。背中まで伸ばした黒髪は、赤い紐で結ばれている。


 クガヌマが俺の側に座り、チカゲと名乗った少女が少し離れた位置に座る。

「お初に御目に掛かります。ヒルガ郡のチカゲと申します」


 俺はチカゲを観察したが、普通の少女に見える。

「お前は、忍びなのか?」

 その言葉を聞いたクガヌマの顔が険しくなる。


「そうでございます」

「ササクラ家の忍びという事か?」

「先代の瀬畔督様の時までは、そうでございました」

「というと、今はササクラ家の忍びではない?」


「新しい瀬畔督様は、我々を不要だと切り捨てたのでございます」

「瀬畔督様は、何を考えておられるのだ。……まあいい、なぜカイドウ家へ?」

「新しく主となる方を、探しているのでございます」


 俺は首を傾げた。

「分からんな。新しい主を探しているのなら、ホウショウ家の瑠湖督様などの大物に目を付けるはずだが……」

 ホウショウ家という言葉を聞いたチカゲが微妙な顔をした。


「どうした?」

「ホウショウ家は、瀬畔督様をそそのかし、ドウゲン家と戦わせようとされています」


 クガヌマが息を呑む気配を感じる。

「ホウショウ家か、あそこは次々に問題を起こす。何が狙いなのだろう?」

「お教えいたしましょうか?」


 目の前の少女は、澄まし顔で静かに座っている。

「知っているのか?」

「調べました。ですが、瀬畔督様には伝えておりません」

 もはや、ササクラ家は主ではないと言いたいのだろう。


「いいだろう。その情報が納得できるものなら、お前たちを召し抱えよう」

 俺の言葉を聞いたチカゲは、ニコリと笑う。

「ホウショウ家の狙いは、ドウゲン郷にある燃える石なのです」


 ホウショウ家は石炭の存在を知っており、それが欲しくてドウゲン郷にちょっかいを出している事になる。ササクラ軍に攻めさせてどうするつもりだろう。


 ドウゲン家が弱った時に助け舟を出し、キザエ家のように支配しようとするのか? その前に、どうやってササクラ家にドウゲン郷を攻めさせるのだ?


 二つ目の疑問も、チカゲが答えを知っていた。

「ドウゲン郷には、瀬畔督様の弟であるカンスケ様が住んでおられます。瀬畔督様はカンスケ様を始末しておきたいのです」


 嫌な事を聞いた。弟を殺したいのか、豪族のお家騒動は悲惨だとトウゴウが言っていたが、本当のようだ。

「チカゲ、俺はお前たちを召し抱えると決めた。素性を明かしてくれ」


 チカゲは、自分たちが影舞と呼ばれる忍びの集団で、ササクラ家の具足奉行ヤミセ・ホシカゲが長であると打ち明けた。長の素性を教えたという事は、本気でカイドウ家に仕えるという事だろう。


「影舞の住む場所と俸給を約束しよう。ただホシカゲには、しばらくササクラ家で働いていて欲しい」

 チカゲが微かに笑った。

「ササクラ家の情報が欲しいという意味でございますね。それはいつまででしょう?」


「ドウゲン家との戦いが終わるまでだ。それ以上になると、ササクラ家が怪しむかもしれない」

「承知しました」


 俺は影舞と連絡を取る方法を決め、支度金として究宝銀を袋に入れて渡した。冥華銭でなく究宝銀にしたのは、必要な金額を渡すのに、荷車が必要になると思ったからだ。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 チカゲがヒルガ郡に戻ると、ホシカゲと組頭たちが待っていた。ホシカゲは娘の身を心配していたが、具足奉行としての仕事があるので、ササクラ家の居城があるビゼンを離れられなかった。


 イ組のイゾウを護衛として付けたが、心配なのは変わりない。

「無事で戻ったか。良かった」

 ホシカゲがホッとした表情を見せた。


「父上、組頭たちを集めてもらえますか」

「いいだろう。広間に行こう」

 広間に組頭たちが集められた。チカゲはホシカゲの横に座り、組頭たちの顔を見る。その顔には期待が浮かんでいた。


 ホシカゲが具足奉行になって以来、影舞の忍びたちは不安に思っていた。二、三ヶ月だけならしのげるだけの蓄えはあったが、それ以上は無理だったのだ。


 ロ組のロクスケが最初に尋ねた。

「チカゲ様、カイドウ家の月城頭様とお会いになれたのですか?」

「会いました。そして、影舞を召し抱えるという約束をもらっています。しかも、十分な支度金までいただきました」


「本当でございますか。良かった」

 組頭たちの表情が明るくなった。組頭たちは心配していたらしい。七〇名ほどの忍びと家族を合わせると二〇〇名ほどになる。それだけの集団を抱えるには、費用が大変だったからだ。


 カイドウ家はキザエ郷を手に入れたが、その合計石高は一万一千石に過ぎない。まだまだ弱小豪族なのだ。七〇名ほどの忍びを召し抱えるには、荷が重いと組頭たちは思っていた。


「どう思う、イゾウ。ミモリの町はどうであった?」

 ホシカゲの問いに、イゾウが慎重に答える。

「かなり賑わっておりました。河川敷で大掛かりな開墾作業もしており、裕福な豪族だと思われます」


 イゾウは商人たちがカイドウ家に集まり始めている事、それに職人もカイドウ郷に移住している事を報告した。

「ふむ、裕福か……それは新しいお茶の販売で収入が増えたという事か?」


「いえ、お茶だけで、あれほどの賑わいになるとは、思えません」

「チカゲはどう思う?」

「ミモリ城内で、二ヶ所ほど警備が厳重な場所がありました。一ヶ所は製茶工房でありましょう。ですが、もう一つは分かりません」


 ホシカゲが何度も頷いた。

「興味深い、神の叡智を得たというのも、噂だけではないのかもしれんな」


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