第8話 二度目の戦い

 カイドウ郷に初雪が降った。俺はミモリ城の三階にある物見窓から外を眺めていた。この地方の冬は、雪が膝くらいまで積もる事が多い。

「殿、ここに居られたのですか」

 フナバシが帳面を持って歩み寄る。


「どうした?」

「今月の売上の集計が終わりました。先月の五割増しになっておりますぞ」

 売上というのは、正腹丸の売上である。カイドウ郷で作られる下痢止め薬は、素晴らしい利益を上げており、その利益はすでに年間の税収を上回っていた。


「河川敷の開発はどうだ?」

「以前は川底だった場所の土砂をさらっている作業中でございます。浚渫作業の二割ほどが終わりました」


「この調子だと、再来年には農地の一部が使えるようになりそうだ。その調子で進めてくれ」

「畏まりました。ところで、銭蔵の冥華銭の一部を究宝銀に替えたいと思うのですが?」

「どうしてだ? 蔵にはまだまだ余裕があるはず」


「取引先の薬屋が、大金になるので究宝銀で払いたいと言っておるのです」

「どういう事だ?」

「正腹丸は、庶民だけでなく豪族からも大量に買われているようです。豪族は究宝銀を使いますから」

「なるほど、いいだろう」


 現在、冥華銭百枚が究宝銀一枚となる。

 究宝銀は河川敷の開発を行っている庶民への労賃支払いには使えない。究宝銀の使い道を考えないとダメだな。家臣たちに対する支払いに使うか。


 家臣に対する俸給は、穀物などの現物支給と冥華銭の半分ずつになっている。現物支給を究宝銀に変えるだけだと、究宝銀を押し付けただけになる。


 家臣たちは現物支給された米を、自宅の土蔵に仕舞っているそうだ。だが、土蔵にはネズミや虫も出るしカビが発生する事もある。


「家臣たちへ米を俸給として与えるのをやめて、代わりに究宝銀を与える事にするか」

 一般的な米屋は、冥華銭だけでしか商売をしていなかったので、フナバシが問題だという顔をした。

「それでは、究宝銀を冥華銭に両替して、米を買う事になります」


 両替商で究宝銀を冥華銭に両替する時に、手数料が必要になるのだ。そんな事になれば、両替商を儲けさせるだけとなる。


「米屋で究宝銀が使えるようにすれば良い。そういう米屋を新しく創ってもいい」

「それを行う意味があるのでしょうか?」

「屋敷の蔵に、米を仕舞っておいたら、ネズミに食われたという事はないのか?」


 フナバシには、思い当たる事があったようだ。

「それはあります。なので、家では猫を二匹飼っておりますぞ」


「それに米を売って銭に替えるという事をしているのではないか?」

「イサカ城代やモロス様のところでは、そうしていると聞いております」

 フナバシの家は、家族が多いので米は余さず消費されるという。


 米屋の問題が解決するのなら、フナバシも賛成だと言った。その後、雑談となりキザエ軍との戦いが話題に上がった。


「それについては、気になる事があるのだ。先の戦いで手柄を立てた者に褒美を出していないが、良いのか?」

 フナバシが顔をしかめた。

「本来なら、よろしくありません。ですが、あの時は代替わりしたばかりでしたから」


「今なら、正腹丸の利益がある。遅くなったが、褒美を出すべきか?」

「それがよろしいでしょう」


 俺は家臣たちを集め、キザエ軍との戦いで功績の有った者に褒賞金を与えた。一番は敵の武将アナヤマを討ったトウゴウで、二番は敵を分断したクガヌマである。

 一番多いトウゴウは年収の半年分、少ない者でも一ヶ月分ほどをもらったので、城中に笑顔の武人が増えた。


「今回は、戦功の有った者だけだったが、内政で頑張っている者にも、年明けまでに調査して、それなりの褒美を出すつもりだ」

 俺がそう言うと、内政担当の者たちも笑顔になった。


 イサカ城代が厳しい顔をして、俺の顔をジッと見た。

「殿、こんなに大盤振る舞いをして良かったのですか?」

「城代も帳簿を見ているであろう。これくらいは問題ないと思うぞ」


 イサカ城代が渋々納得した。今まで厳しい財政状況で苦労していたので、報奨金が大盤振る舞いに思えたのだろう。イサカ城代・家老モロス・トウゴウ・クガヌマ・フナバシだけを残して、家臣たちを解散させる。


 モロスが残った家臣を確認し、俺の方へ目を向けた。

「殿、何か問題が有るのでしょうか?」

「フナバシから、正腹丸の取引で究宝銀を使いたいと申し出る薬屋が増えていると聞いた」


 イサカ城代とモロスの顔が曇った。カイドウ郷のような田舎では、究宝銀の使い勝手が悪いのだ。俺は米の現物支給の代わりに、究宝銀を俸給として与える事にすると告げた。


「しかし、それでは……」

 モロスが異議を挟もうとした。

「分かっている。そこで米屋で究宝銀が使えるようにしようと思っている」


 イサカ城代が納得したというように頷いた。

「そこまで考慮されておられるのなら、反対はいたしません。ですが、米が城の蔵に残る事になります。今より管理が大変になりますぞ」


「分かっている。保存方法も研究し、管理もきちんとするつもりだ」

 米の保存は、低温保存が好ましいという知識が頭に浮かんだ。氷室ひむろでも造るか。本格的なものを造る前に、今年は簡易的なもので実験だな。


 家臣たちに褒美を渡した数日後、キザエ郷でおかしな動きがあるという報せが入る。行商人の一人が、キザエ郷のトダ城へ、大勢の兵が入るのを見たと知らせたのだ。


 急遽、ミモリ城に家臣たちを召集した。城の大部屋に、組頭以上の武人たちが集まる。人数は二十人ほど。まず家老モロスが声を上げた。


「サンノミヤ、トダ城に大勢の兵は現れたというのは、どういう事なのだ?」

 行商人から話を聞いた組頭のサンノミヤが首を振った。

「分かりません。いきなり二百ほどの兵が、トダ城に現れたという事なのです」


 俺は唇を噛み締めた。キザエ家の背後にホウショウ家が居るのなら、その兵はホウショウ家がキザエ家に与えた兵という事になる。


「ホウショウ家か?」

 俺がイサカ城代に尋ねると、苦々しい顔をした城代が頷いた。

「そう考えるほかはありませぬ」


 モロスが興奮して顔を赤らめ口を開いた。

「馬鹿な、ホウショウ家とカイドウ家は、強い絆で結ばれておるのですぞ」

 先代のカイドウ家当主モチヅキは、ホウショウ家の姫が母親である。それに両家の家臣同士の息子や娘が結婚している。


「血の絆より、武人の本能を優先させたという事であろう」

 イサカ城代が吐き捨てるように言った。


「しかし、月城頭様が後を継がれたおりには、贈り物を持ってきたではないか?」

 モロスはホウショウ家が裏切ったと信じたくないようだ。トウゴウが家老に視線を向けた。

「それは、月城頭様の人柄を値踏みしようと思ったのではござらんか?」


 俺はホウショウ家の事は後回しにすると決めた。

「もういい、すぐに兵を集め、キザエ郷を探らせろ」


 家臣たちが動き出した。二百ほどの兵が集まり戦の準備が進んだ頃、キザエ郷に物見に出した者が戻ってきた。

「大変でございます。キザエ軍三百が、トダを出てこちらへ向かっております」


 それを聞いた俺は、心臓をギュッと握られたかのような衝撃を受けた。

「三百だと……多過ぎるだろ」

 トウゴウが歩み寄る。顔が強張っているのが分かった。


「月城頭様が作られた十字弓が、我らに勝利をもたらしてくれるでしょう」

 トウゴウはそう言ったが、十字弓は実戦での実績が全くない兵器だ。五割も多い兵力を、ひっくり返せるほどの力があるか、分からない。


「そうだな。そう信じるしかない。出陣するぞ!」

 大声で命じた俺は、愛馬月影に跨った。


 俺とトウゴウ、クガヌマの三人で検討した結果、戦場は街道沿いの草原に決めた。十字弓を有効に使うためには、見晴らしの良い戦場が最適だと判断したのだ。


 兵たちは槍を手に持ち、背中には大きな麻袋を背負っている。その麻袋の中に十字弓が入れてあった。

 戦場と決めた草原に到着したカイドウ軍は、そこで敵を待つ事にした。物見兵が戻り、キザエ軍が二時間ほどで到着する事を伝える。


 予想していたより、敵の進軍速度が遅い。今回のキザエ軍は慎重に進んでいるようだ。


「よし、兵に飯を取らせよ」

 兵たちは草原に座り、持ってきた握り飯を食べ始めた。俺も握り飯を頬張る。やけに塩っぱい握り飯だ。竹製の水筒に入れた水で腹の中に流し込む。


 食事が終わり少し休憩した頃、敵の姿が見え始めた。俺は立ち上がり、少し身体を動かした。鎧が重く感じる。

「トウゴウ、用意はいいか」

「はい。必ずや、十字弓で百の兵を削ってみせます」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る