第29話 産業強化(3)

 夕方になろうかという頃合いに、二頭立ての馬車を先頭に、馬車が連なってやってきた。畑の向こうからやってくるそれを認めて、門を守る騎士は紙づくり作業の手を止めて背を伸ばした。


「エナギラ領都はこちらで間違いございませんか?」


 門の前で馬車は止まり、御者台の上から男が騎士へと声をかける。ここにやってくる者としては珍しく、上等な服装に丁寧な言葉遣いだ。

 馬車の後ろには護衛であろう騎馬が三騎ついてきている。


「領都、とは名乗っていませんがエナギラ伯爵が治めている町という意味では間違いございません。」


 そもそも、まだ住民登録を行っていないため、公式な書類の上ではこの町の人口はゼロである。そのため、まだ領都とは名乗っていないし、町の名前もまだない。

 というか、そんなことは裕の頭からすっぽり抜け落ちてしまっているのではないだろうか。


「ゲフェリ公爵閣下より、こちらに各種組合支部を作るための人員を派遣するようにと要請があり参ったのですが、エナギラ伯爵閣下にお取り次ぎいただけるだろうか。それと、宿はどちらにあるのかお教えいただきたい。」


 騎士に案内され、馬車は宿へと向かう。

 宿は一応の形はできている。馬車を停める場所もあるし、厩舎には飼料も山積みになっている。


 ただし、主人も女将も料理人もいない。客が滅多にやってこないのに、そんなところに専従で人を配置する余裕はないのだ。


「こちらでお待ちください。ヨシノ様はただいま所用にて外出しておられます故。」


 宿のロビーに明かりを放り投げて適当に寛ぐよう告げると、騎士は上空に黄色の明かりを打ち上げる。


 町の中での呼び出しは、一々人が駆けていくよりも、光を打ち上げた方が早い。

 煌々と輝く光は、誰がやっても上空五十メートルくらいまでは飛ばせるので、一キロや二キロくらいなら昼間でも十分に目立つのだ。

 赤が緊急招集で、黄色が来客と決まっており、赤の光は全員が打ち上げられるよう訓練している。



 程なくして、裕がやってきた。が、宿をそのまま通り過ぎて自宅へと走っていく。

 建築でも城跡の発掘でも、作業中は貴族服など着ない。貴族服は洗濯がとにかく面倒なのだ。傷んでしまっても修繕できる職人もいないし、外での作業で着てなどいられないのだ。騎士や文官もそこはもう諦めていて、貴族も平民も大して変わらない服装だ。


「お待たせしました。お客様はどちらに?」


 手や顔を洗い手早く着替えを済ませて、ダッシュで戻ってきた裕は宿の前で待つ騎士に声をかける。


「ロビーでお待ちいただいています。ゲフェリから組合支部設立にといらっしゃっいました。」

「組合⁉ しまった、忘れてた! どうしよう⁉」


 裕は一人狼狽うろたえるが、面会を先延ばしにしても良い事は何もないだろう。

 とりあえずできるだけ難しい表情を作り、宿へと入る。


「待たせたな。私がヨシノ。ヨシノ・エナギラ伯爵である。」


 精いっぱい威厳たっぷりの自己紹介を試みるが、どう見ても子どもがふんぞり返っているだけだ。威厳などどこにもありはしない。

 だが、それでも客人たちは椅子から立ち、裕の前に跪く。


「お久しぶりです、エナギラ伯爵閣下。私はミニアルッツ、ゲフェリ領都にて商業組合の支部にて支部長を務めている者でございます。」


 壮年の男が一堂を代表して挨拶する。後ろの者たちは工業組合、農業組合、ハンター組合、そしてハンターということだ。


「楽にして構いません。宿のロビーこんなところですしね。」


 言いながら裕は手近な椅子に座り、客人にも席を勧める。

 即座に茶の用意をする側仕えや使用人もいない状況で、あまり形式張っていても仕方がない。


「組合支部の設立、ということでしたね。」

「はい、春から夏と申されていましたが、ゲフェリ公爵閣下よりも急ぐようにと言われ、急いで人員を選出してきました。」


 組合のことは忘れ去られ、建設予定すらない有様なのだが、ゲフェリ公爵の方では必要なことだと心配していたらしい。


「いきなり来るのではなく、いつ頃にと連絡が欲しかったのですが、まあ、それはいいでしょう。それで、こちらに住むのは何名ですか? 期限付きの派遣ですか? 永住の予定ですか?」

「こちらに移住して構わないという者を選んでおります。ご挨拶を。」


 各組合の支部長予定者たちが順に挨拶をしていく。ハンター組合だけ単身、商業組合と工業組合、農業組合は家族がいるとのことだ。


「隠していても仕方がありませんので、はっきりと言ってしまいますが、現在皆様が働く場所はありません。住むところはありますし生活は何とかなりますが、組合用の建物はまだ建設に着手できていない状態です。」


 一旦帰って出直すにしても今日はもう遅すぎる。とりあえず、町の中を案内し、自分の目で確認してもらってから今後の話をすることにした。


「こちらが市民用の住宅です。現在、二棟が完成し三つめを頑張っている最中です。」


 長屋は一棟に七戸が入れるようになっている。農民や職人で、現在九戸が埋まっており、空き部屋は残り五つである。一戸あたりの面積はあまり大きくはなく、トイレは共同だ。


 工事中の長屋の横では、木工職人たちが屋根や家具用に原木から木材への加工を頑張っているところだ。


「木工職人はいらっしゃるのですね。」

「ええ、頑張ってくれているのですが、もっと欲しいですね。全然手が足りていません。」


 町が大きくなっていくときは木工や石工、鍛治職人は人手不足になりがちだ。しばらくは需要に供給が追いつかない状態が続くだろう。


「あちらに見えるのが、木工工房と鍛冶工房です。」


 住宅エリアから道路を挟んで工房が二つ並んでいる。

 屋根の製作は外で行っているため使用率は低いが、家具類は屋内で製作する。雨天時に作業が全く進まないのは困るために用意してあるのだ。


「そして、向こうに見えるのが石材です。」


 魔法で作られた石材が積み上げられ、小型のピラミッドがいくつも並んでいる。他では見ることのない異質な光景が続いている。


「あとは、あの壁の向こう側が貴族エリアですね。それでこの町の全てです。」


 あっという間に町の案内が終わってしまい、ミニアルッツたちは呆然と周囲を見回す。あまりの何も無さに言葉もないようだ。


「え、と……。食事処は? 屋台もないのですか?」

「食事はまとめて宿の食堂でお出ししています。貴族は別に摂りますので大丈夫ですよ。」


 やっと出てきた食事の心配に、裕は問題ないと答える。穀物庫にはまだ残りがあるし、もう少しすれば早植えの麦が収穫の時期を迎える。

 野菜も次々と収穫されて、処理が追いつかないくらいだ。


「あの、非常に申し上げにくいのですが、これは少々、いえ、かなり無理があるのではございませんか?」


 ミニアルッツは町の規模が小さすぎることに懸念を表明する。そんなことは裕も百も承知なのだが、『村』の域を出ていない。


 革や布を扱う職人もいなければ、商人は一人もいない。

 現時点で必要な組合は農業と職人だけだ。商業組合を作ってもやることがない。


「あの、ハンターはいるのですか?」

「明確にハンターとして登録しているのは、六級のソロが一人に、七級チームが一つありますが、あまりハンターとか意識していないですね。樵も含めて、職人の手伝いをしてもらうこともありますし、逆に職人や私も森に行きますからね。」


 裕の説明に、ハンターたちは頭を抱える。


「それでは魔物が出たら対応ができないでしょう。」

「それは私も心配していたのですが、竜が暴れたせいか、この近隣では魔物も普通の獣も全然見かけないのですよ。ハンターよりも、職人や商人をどうやって誘致するかが目下の課題です。」


 何をするにしても人が足りなくて困っているのだと裕は打ち明けるのだった。

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