194 遊戯はお仕舞い


「ぐ、う……っ!?」



 激しく渦を巻き続ける水の奔流に身体の自由を奪われながら、リュウグウは迂闊だったと唇を噛み締める。


 思い返せば、はじめて会った時から今に至るまで、ずっと彼女――〝拳〟の聖女ティルナは〝水〟に関係する武技を一度も使ってはこなかった。


〝風〟や〝雷〟、〝土〟などの武技は使ってきても、〝水〟だけは絶対に使ってこなかったのである。


 その状態でもなお、ティルナはフェニックスシールなどを用いてリュウグウを圧倒した。


 だからあれが彼女の全力なのだと、リュウグウはすっかりそう思い込んでいた。


 近接格闘のキレも威力も、通常の冒険者を遙かに上回っていたからだ。



 だが――違った。



 ティルナは聖女たちの中で唯一亜人の血が交じりし者。


 人と、そして〝人魚〟のハーフなのである。


 である以上、彼女が真価を発揮出来る場所など一つしかない。



 ――そう、〝水中〟だ。



 もしかしたら彼女は最初から考えていたのかもしれない。


 フェニックスシールを持つ自分と、対近接戦闘特化のリュウグウでは決着をつけることは難しい。


 もしそれを可能とさせることが出来るのならば、それは自分の領域である水中に引きずり込んだ瞬間しかないと。


 ゆえにティルナは今の今までそれを悟られないようにしてきたのだ。



(小癪な……っ)



 まんまと策に嵌まったことを知ったリュウグウは、ティルナよりも、むしろそれを見抜けなかった自分に対して憤りを募らせていた。


 これでは自身の才に胡座を掻いていたキテージとなんら変わらないではないか、と。



「――っ!」



「ぐっ!? ――がはっ!?」



 どごおっ! と凄まじい速度で迫ってきたティルナの回し蹴りが、リュウグウの身体をくの字に曲げる。


 遠目に姿が見えた瞬間、なんとか受け流そうとはしたものの、触れる直前で軌道を変えられてしまったのだ。


 全身を縛る水の呪縛が、リュウグウの意識に反して、身体の反応をほんの僅かに遅らせていたのである。


 この状況ではせっかくの《超同調ハルモニーア》もまったくの無意味。


 ならば……っ、とリュウグウは術技で水の拘束から逃れようとする。



「――グランドトルネードケージッッ!!」



 ――ぶひゅうううううううううううううううううううううううっっ!!



 球体状に張り巡らされた暴風の壁が、リュウグウを水の奔流からガードする。



「はあ、はあ……っ」



 これならばいかにティルナと言えど迂闊には近づけまいと肩で息をしていたリュウグウだったのだが、



「――なっ!?」



 彼女は直後に信じられないものを目の当たりにする。



 ――どひゅうううううううううううううううううううううううっっ!!



 なんと巨大な岩石がこちらに向けて真っ直ぐに飛んできていたのだ。



「――あぐっ!?」



 当然、そんな代物を咄嗟に避けられるはずもなく、リュウグウは岩石に押し出される形で再び水の中へと戻っていく。


 一体どこからこんなものがと困惑するリュウグウの目に映ったのは、水底の床から突き出ている大多数の岩石群だった。


 そう、先ほどの戦闘でティルナが使っていた岩石突出系武技の跡だ。


 恐らくは《トルネードケージ》を張った瞬間、あれを殴り飛ばしたのだろう。


 どうやらリュウグウが何かしらの術技で逃げようとすることも全て想定済みだったというわけだ。



「――あぐっ!? ――おぐっ!? ――うぐっ!?」



 完全に体勢の崩れたリュウグウの身体を、ティルナが文字通り四方八方から殴り抜いていく。



「――ぐあっ!?」



 そうして最後に下から背を蹴り上げられたリュウグウは、為す術なく脱力したまま薄らと前を見据える。



「グランド――」



 そこにはすでになんらかの武技を発動させながら右腕を振りかぶるティルナの姿があった。



(ああ……これはさすがに無理でありんすなぁ……)



 ゆえにリュウグウは全てを悟ったように口元に笑みを浮かべ、



「ダイヤモンドブレッドッッ!!」



 ――どばあああああああああああああああああああああああんっっ!!



 正面からその一撃を迎え入れたのだった。



      ◇



「……どうして、殺さないんでありんすか……?」



 水の抜けた広間の床に大の字で倒れながら、リュウグウが力なく問う。


 すると、女神テラとの融合を解いたティルナは真顔でこう言ってきた。



「別にあなたを殺すことが目的じゃないから」



「ふふ……。それは随分と、お優しいことでありんすなぁ……。わっちがまた、ぬしらを襲うかもしれんせんのに……」



「ならその時はまたわたしが……ううん。わたしたちがあなたを倒すだけ。たとえ何度あなたがわたしたちの前に立ちはだかってきたとしても、わたしたちは絶対に負けたりなんてしない」



「そうで、ありんすか……。それは困りんした、なぁ……」



 ふふっと思わず笑みの浮かんでしまったリュウグウだったが、彼女は途切れそうになる意識の中、最後にこう告げる。



「さあ、もうお行きなんし……。ぬしらのお仲間は、きっと玉座に……いるはずで、ありん……す……」



「分かった。――行こう、テラさま」



「ええ、承知しました」



 頷くテラとともに駆け出したティルナの小さな背をふっと微笑しながら見やりつつ、リュウグウはその意識をゆっくりと閉じていったのだった。

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