67 鳳凰紋章


「……おや? あなたたちはドワーフではないようですね?」



 唖然と佇んでいた俺たちに気づいたらしく、黒衣の男が問いかけてくる。


 年齢は二〇代半ばから後半くらいだろうか。


 まるで彫像のように美しい容姿をした痩躯の男だった。


 その青白い肌も相まってか、本当に一つの芸術品のように思えたのである。


 正直、男の俺から見ても色香を感じるほど美しい男だったのだが、しかしどうやら人間ではないらしい。


 白目部分は全て黒く塗り潰され、その中心で瞳が鮮血のように赤く輝いている。


 しかも背にはやはり漆黒の翼が折り畳まれており、恐らくは何かしらの亜人種のようであった。



「……あんた、何者だ?」



 訝しげに問う俺に、「これは失礼」と男は優雅に頭を下げて言った。



「私の名はヘスペリオス。訳あってドワーフたちを抹殺しにきたただの淫魔です」



「淫魔……?」



 俺が眉根を寄せていると、アルカが聖愴を構えて忠告した。



「気をつけろ、イグザ。こいつからは我らと同じ気配を感じる。今までずっと聖女とばかり出会ってきたゆえ些か驚いているが、普通に考えれば可能性は半々なのだ。当然、存在していてもおかしくはないだろう」



「ど、どういうことだ?」



 困惑する俺に、アルカは警戒を崩さずこう言った。



「このような所業を犯した者ゆえ信じられんかもしれんが、こいつは――〝聖者〟だ」



「聖者……っ!?」



 当然、俺は驚愕の事実に言葉を失う。


 ならばこの男――ヘスペリオスが《宝盾》のスキルを持つ〝盾〟の聖者だとでも言うのだろうか。


 いや、だがしかしあの占い師の女性は七人の〝聖女〟を集めろと言った。


 エルマが含まれている可能性が高いからあまり考えたくはなかったのだが、恐らくは〝七つのレアスキルそれぞれを持つ女性を集めろ〟ということなのだろう。


 であればこの男が《宝盾》のスキルを持っているとは考えにくい。


 ただ同じ時代に七つのレアスキル持ちが複数存在しないという確証はないので、なんとも言えないのだが……。



「ふむ、なるほど。あなたたちは例の聖女ご一行というわけですか」



 ともあれ、ヘスペリオスが全てを悟ったように頷く。


 こちらにはまるで見覚えがないのだが、どうやら俺たちのことを知っているらしい。


 ならば隠す必要はありませんね、とヘスペリオスは不敵に笑って言った。



「確かに私は聖者です。賜った力は《無杖》。つまりはそこのレディと同じく〝杖〟の聖者になります」



「私と同じ〝杖〟の聖者……っ!?」



 驚くマグメルに、ヘスペリオスは「ええ」と頷き、そして微笑む。



「ただし私はあなたよりも数段上の力を有していますが」



「……随分と舐められたものですね。確かにあなたからは私たちと同じ気配を感じますし、私と同じ《無杖》のスキルを持っているというのも、まんざら嘘ではないのかもしれません」



 ですが、とマグメルは聖杖を突きつけて言い放つ。



「《無杖》のスキル持ちに与えられる聖具――〝聖杖〟は私を選んでくれました。である以上、たとえあなたが《無杖》のスキルを持っていたとしても、私を上回ることは断じてあり得ません」



 そう言い切るマグメルを、しかしヘスペリオスは愛しげに見つめながら言った。



「ふふ、あなたは可愛らしい人ですね」



「なっ!?」



 たぶん馬鹿にされたと思ったのだろう。


 悔しそうに顔を紅潮させるマグメルに、ヘスペリオスは微笑みを崩さず続ける。



「しかし愚かでもあります。聖具は所詮人が人のために作り出したもの。人より優れた我ら亜人種の聖者には、当然それに勝るこの〝神器〟が与えられているのですから」



「「「「「「――っ!?」」」」」」



 そう言ってへスペリオスが取り出したのは、どこか禍々しい感じのする一本の杖だった。


〝神器〟だと彼は言っていたが、まさか本当に聖杖を凌駕する力を持っているとでも言うのだろうか。



「そしてあなたたちは私と出会った時点ですでに詰んでいたのです。私がなんの種族か覚えていますか?」



「なんの種族かですって? そんなの〝淫魔〟に決まって……って、まさかっ!?」



 そこで何かに気づいたのだろう。



「皆あいつと目を合わせちゃダメよ!?」



 ザナがそう声を張り上げて言った。


 が。



「もう遅いです。――〝グランドテンプテーション〟」



 ――ぐわんっ。



「「「「「――あぐっ!?」」」」」



「――っ!?」



 その瞬間、女子たちが揃ってその場に崩れ落ちる。


 ある者は身体を抱き、またある者は地面に這い蹲りながら、荒い呼吸で必死に何かを堪えているようだった。


 彼女たちの顔は耳まで真っ赤で、不謹慎だが妙に色っぽいとすら思ってしまったほどだ。



「み、皆大丈夫か!? 一体どうしたんだ!?」



 突然のことに困惑する俺だが、今の彼女たちにはそれに答える余裕すら残されてはいないらしい。


 一体何が……、と佇むことしか出来ない俺に、ヘスペリオスは言った。



「無駄ですよ。彼女たちはもう私の虜になりかけているのですから」



「なんだと!?」



「言ったでしょう? 私は淫魔――〝インキュバス〟だと。たとえ聖女であろうとも、全ての女性は我らインキュバスの魅了から逃れることは出来ません。そう、彼女のようにね」



 そう言ってヘスペリオスが顎を持ち上げたのは、先ほど大槌を手に暴れ回っていたドワーフの女性だった。


 女性は頬を朱に染め、虚ろな目でへスペリオスを見つめている。


 やつの言ったとおり、すでに魅了済みなのだろう。


 だからやつの命令通り暴れていたのだ。


 まさか皆も彼女のようになると言うのだろうか。


 いや、そんなことはあるはずがない。


 彼女たちの強さは俺が一番よく知っている。


 たとえ聖女でなかったとしても、こんなやつの虜になんてなるはずがないと。


 だから俺はへスペリオスに向けて吼える。



「ふざけんな!? お前如きに俺の嫁たちが魅了なんてされるはずないだろ!?」



「ふふ、その虚勢がいつまで続くか見物ですね。すでに見えていますよ。私に抱かれる聖女たちの様子を、ただ呆然と眺め続けることしか出来ないあなたの無様な姿がね」



「そんなことは絶対にあり得ない! 何故なら彼女たちは――」



 と。



「「「「「――イグザ(さま)の嫁だから(だ・です)!!」」」」」



「「――っ!?」」



 揃って立ち上がった女子たちの姿に、当然俺とヘスペリオスは目を丸くする。


 女子たちの身体は淡く輝いており、その輝きはやがてそれぞれの下腹部へと集まり、そして紋章のようなものを彼女たちの身体に刻みつけた。


 見えているのは一番薄着なオフィールのみだったが、それでもその紋章が雄々しく羽ばたく不死鳥を表していることだけは一目で分かった。


 ……そうか、そういうことだったのか。



「ば、馬鹿な!? 何故私の魅了が通じない!? いや、何故打ち破ることが出来たのです!?」



 愕然と後退るへスペリオスに、今度は俺が自信満々に告げた。



「当然だろ? 彼女たちには俺がいつも満遍なく愛を注いでいるんだ。逆に言ってやるよ、へスペリオス。俺たちの前に立った時点であんたは詰んでいたんだ。何故なら彼女たちには俺の力が宿っている。そう――最初から〝俺だけの嫁〟だったんだからな」



「なん、ですって……っ!?」



「そしてあの紋章はその証。言わば俺だけのものという鳳凰紋章――〝フェニックスシール〟ってやつだ!」



「フェニックス、シール……っ!?」



「覚悟しろよ、インキュバス。人の嫁に手を出した報い――その細い身体にたっぷりと叩き込んでやるからな!」



 そうして、俺たちの反撃が始まったのだった。

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