52 水の女神は海の底
その夜。
「では失礼します」
「あ、うん」
俺はアイリスとともにベッドへと入っていた。
もちろんいやらしい意味ではない。
ただ彼女が今日は一緒のベッドで寝てはダメかと、もじもじしながら部屋を訪れてきたのである。
いつか妾にして欲しいとは言っていたが、たぶん兄的な意味合いで甘えたいのだろう。
そう思い、俺も添い寝を許可してあげたのだが、
――ぎゅっ。
思ったよりもがっつり抱きついてきてるな。
まあ子どもらしくていいんだけど。
「……とても温かいです」
「そっか。じゃあゆっくりお休み」
「はい……」
その小さな頭を優しく撫でつつ、俺はアイリスを寝かしつけようとする。
年の離れた妹みたいで可愛いなと、俺は純粋にそう思っていたのだが、
「……あの子、さすがに積極的すぎません?」
「ふふ、さすがは私の妹と言ったところかしらね」
「ふむ、完全にお前の上位互換だな」
「じょっ!?」
「いや、だからてめえらはガキに厳しすぎだっつってんだろ……」
どうやらあそこで覗き見ている女子たちには伝わりそうにないらしい。
てか、何してんのあの子たち……。
隠れる気あるのだろうか……。
はあ……、と俺が嘆息している間も、女子たちの論争は続いていたのだが、アイリスはまったく気にする素振りを見せず、嬉しそうな顔で俺の胸元に寄り添い続けていたのだった。
◇
そうして俺たちは再び旅立ちの朝を迎え、名残惜しくもベルクアをあとにしたのだが、
「思わぬ強敵が近くに潜んでいましたね……」
「ふ、だが所詮はまだまだ幼子。恐るるに足りん」
「そういうのは目の下のくまがない人が言う言葉ですよ……」
「それはそうと、姉である私の方がどう考えても上位互換だと思うのだけれど? プロポーションも上だし。ねえ?」
「いや、知らねえよ……」
今日も女子たちは元気そうで何よりである。
何もそんなに張り合わなくてもいいとは思うのだが、よほどアイリスの存在に危機感を覚えたらしい。
まあ確かに素直でいい子だからな。
たとえば10年後とかになったら、それはもう素敵なレディへと成長することは間違いないだろう。
「ところで、シヌスさまは海の中にいるんだっけ?」
ともあれ、それよりも今はシヌスさまのもとへと向かうことが先決だ。
アルカは少々寝不足のようだが、しっかり休養もとれたことだし、気合いを入れて頑張らないと。
「ああ、ババアからはそう聞いてるぜ?」
ちなみに、彼女の言う〝ババア〟とは、風の女神――トゥルボーさまのことである。
「確かここから南方の港町――〝イトル〟の近海でしたね。大渦が目印だとは聞いていますけど、問題はどうやって海の中まで行くかですね……」
「はっ、んなもん泳いで行きゃいいだろ」
「いや、普通に死にますから……」
「あなた、もしかして脳細胞腐ってるんじゃないの?」
「んだとコラァッ!? 喧嘩売ってんのか!?」
いきり立つオフィールを、「まあ落ち着け、グレートオーガ」とアルカが宥める。
「誰がグレートオーガだ!? 張っ倒すぞ!?」
いや、ごめん。
全然宥めてなかったわ。
「とにかく落ち着け。不死であるイグザならばなんとかなるかもしれんが、さすがに私たちは無理だ。とはいえ、それに関してはベルクアの書庫で少々気になる文献を見つけてな。なんでもイトルには〝人魚〟とやらの伝説があるらしい」
「人魚? それはマーマンとは違うのですか?」
「ああ。マーマンはただの魔物だが、人魚は人の言葉を解することの出来る種族だという。要はエルフなどの亜人種と一緒だな」
アルカの話を聞き、オフィールが思い出したように言った。
「あー、そういやババアから聞いたことがあったな。この世界には自然とともに暮らす亜人種どもがいるとかいねえとか」
「なるほど。トゥルボーさまも言ってるのなら実在している可能性が高いな。海のことは海で生きる種族に聞くのが一番だろうし、まずはその人魚たちを捜してみよう」
「そうですね。たぶんイトルの方々が何かしらの情報を知っているのではないでしょうか」
「うむ。人々の伝承や伝説というのは意外と馬鹿に出来ぬものだからな。私もそれには同意見だ」
「よーし、なら適当に美味いもんでも食いながら聞いてみようぜ!」
「というか、あなたの場合、食べる方がメインになっているような気がするのだけれど……」
半眼のザナに、オフィールは歯を見せて笑う。
「細けえことはいいんだよ! とにかくそうと決まりゃさっさと行こうぜ!」
「……はあ」
そう嘆息しつつも微笑を浮かべるザナの様子に、俺も顔を綻ばせながら言ったのだった。
「よし、ならちょっとスピードを上げるぞ! しっかり掴まっていてくれ!」
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