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 陽向の術者たちは、素早く陣形を組んだ。陽向赫からの指示はなかったが、皆場馴れしているのだろう。篝は少し遅れて彼らへと続いた。


「拘束の術式を。かの者が間に合うまでの時間稼ぎで構わぬ。可能な限りあの異形の動きを止めよ」


 陽向赫は平坦だがよく通る声でそう指示すると、ばさりと長く重い袖をひるがえす。

 しゃん、と術者たちが鈴を鳴らす。神楽の際に用いるものにも似ているが、これらは採物とりものではなくあくまでも呪具。鳴り響く音は、ホフリの君の全てを阻害する。

 陽向赫は、基本的に詠唱を行わない。より多くの言霊を用いなければ強力な術の使えない篝とは対照的である。

 術者たちによって彼に送り込まれた霊力は、縄の形を取ってホフリの君へと向かっていった。その巨体を絡め取らんと、霊力の縄は四肢に飛んでいく。

 ──が、ホフリの君も黙って捕まってはくれない。


「……やはり回避するか」


 陽向赫はそう呟いたが、それは回避と呼べるものではなかった。

 素早く動けないことが、どれだけ幸いか。術者たちがそう思う程一瞬にして、ホフリの君は霊力の縄を

 たった一度の平手で、何人もの術者による拘束を破壊する。それは、並大抵の異形では到底出来るはずもない芸当である。


「術者、まずは脚から狙った方が良い。あれは動きこそ緩慢だが、その破壊力は凄まじい。一歩進むごとに、金峰村の寿命が縮むと思え」


 何度も拘束の術式を展開する陽向の術者たちに、じっとホフリの君を観察していた冬が指示する。

 篝を除く陽向の術者たちは、何と無礼な──とでも言いたげな顔をして彼女を見たが、陽向赫本人は特に咎めることなく顔を動かした。そして、小さくうなずいてから再び霊力を編む。


「──カガリ殿、カガリ殿」


 他の術者たちと同じように霊力を送り込んでいた篝の肩を、ちょいちょいとラミネウスがつつく。

 邪魔をするつもりか──と篝は睨もうとしたが、いつになく彼の表情は真剣である。何か考えでもあるのだろうか、と思いつつ、視線で先を促す。


「作業中に失礼致しますが、貴殿はかの異形を構成する元素を見極められますか?」

「元素──五行か?」

「そう、それです。我々の周りでは、四つであることが多いのですがね。日ノ本では、その……ゴギョーの方が浸透しているのでしょう? ならば、ゴギョーに対応する属性を見出だせば事を有利に進められるのではないかと思いまして」

「なるほど、相生そうせいもしくは相剋そうこくを用いれば」


 ──ホフリの君を倒せるかもしれない。

 それは僅かな希望だったが、だからといってはいそうですかと受け流すべきものとは思えなかった。

 ホフリの君──福寿を、これ以上苦しませたくはない。彼に安寧を与えるためには、一刻も早くホフリの君を殺さなくてはならないのだ。出来ることがあるのならば、まずは試してみるのが適当だろう。

 篝は一旦術式の手を止め、ホフリの君を注視する。


(ホフリの君は、金峰村を取り巻く山々──その一角とも言える大樹が根元にあるはずだ。であれば、奴がつかさどるは木か土か──)


 高名かつ経験豊富な術者ならば一目でわかることもあったのかもしれないが、生憎篝は三流術者。確実な情報が手に入る訳ではなく、あくまでも憶測に頼らざるをえない。

 だが、今はなりふり構ってはいられなかった。金峰村がかかっているのだ。村民たちがどのように思っていようと、ホフリの君──福寿は金峰村が好きだった。彼の想いを無駄にしたくはないし、それをホフリの君に破壊させてはならない。

 ──賭けに出よう。


「──冬!」


 篝は冬に呼び掛ける。おもむろに彼女は振り返った。


「どうした。私はまだ動いてはならんのだろう?」

「……お前に、試して欲しいことがある。ひとつ聞きたいんだが、お前が取り込んだのは水神だったな?」

「そのはずだ。祀られている場所も、水に近しい滝の裏だった」


 なるほど、と篝は須臾しゅゆの間思案する。

 失敗すれば、切り札とも言える冬を失うかもしれない。そうなれば、ホフリの君は陽向の術者たちによって、有害な異形として処理されるだろう。それは、福寿の望むところではあるまい。

 だからこそ、早いところ決着を付けなければならない。


「冬。今後の状況にもよるが──ホフリの君への攻撃を、開始してはくれないか」

「──ほう」


 冬は目をすがめた。それとほぼ同時に、陽向赫がじろりと篝の方を向く。顔は見えないが、睨まれていることはわかった。


「波分篝。我々はあの異形を未だ捕らえてはいない。放っておけば、あれは村落を破壊するであろう。拘束は要らぬというか」

「……申し訳ございません。しかし、長丁場になれば負担も増えましょう。村人たちのこともあります。俺は、ホフリの君との戦闘を長引かせたくはない。そのために、攻撃を通してホフリの君が持つ特性を掴みたく考えましてございます」

「……勝機はあるのか? 策は? この私に進言することの意味、理解していような」


 言葉のひとつひとつが、重い。

 背中にずしりと重石おもしが落ちるような感覚を覚えつつも、篝はうなずく。此処で退く訳にはいかなかった。


「……無礼を承知で、申し上げております。必ずや、ホフリの君は倒す。もしも俺の取った方法にてよろしくない結果に終わった場合、この身は如何様いかように処理してくださっても構いません」


 後退りしたい気持ちを抑えながら、篝は陽向赫を見据えた。視線を外した時が自分の負けだと、彼は本能的に理解していた。

 ──と、此処で大袈裟なくらい高らかな拍手が響き渡る。


「何と素晴らしい覚悟でしょうか、カガリ殿。俺は感動しました」

「……魔法使い」


 ラミネウスはわざとらしく目元を拭いながら、陽向赫に向き直る。


「カガリ殿もこうおっしゃっていることですし──ね? 時間ももったいないじゃあありませんか。カガリ殿がやれると言うのなら、一先ずは彼に任せてみませんか? 何、彼も術者です。いくら情があろうとも、大切なところはわきまえておりましょう」

「貴様は黙っていろ」

「おお、お厳しいこと」


 よよよ、と泣き真似をするラミネウスのことは流れるように無視してから、陽向赫はホフリの君に視線を戻した。

 ──そして、異形に何度も投げ掛けられていた拘束の術式が止まる。


(長から、許しが出た──!)


 篝は目を見開いた。それとほぼ同時に、冬が駆け出している。

 冬の速度は凄まじかった。一瞬にしてホフリの君の足下までたどり着く。幸いなことに、ホフリの君は未だ陽向の術者たちに注意を向けているらしく、足下に迫った冬の存在には気付いていないようだった。

 冬は駆けながら、器用に刀を構え直した。そして。


 ホフリの君の股を潜る形で──彼女は、その右脚を斬り付ける。


 初めて、ホフリの君が自らの真下を見た。それは、異形が冬の存在を認識したことを意味する。

 しかし、ホフリの君に目らしき部位はない。あるのはただ、自然のままの木目。


「──カガリ殿、足場を」


 ふ、とラミネウスが呟いた、直後。

 ホフリの君の脚が、ずん、と踏み下ろされる。冬を踏み潰さんとする動きだった。

 冬が何処に避けるかはわからなかったが、彼女を援護しない訳にはいかない。篝は咄嗟に「『壁』」と唱え、壁を平行に配置することで冬が退避するための足場を生成する。

 冬は済んでのところで飛び退いたらしく、ややあってから篝の生成した足場に乗り移った。


「──駄目だな、相性が悪い。水神の権能は、奴をはぐくんでしまうようだ。切り口から芽が出た」


 平然とした表情で、冬は告げる。声を張っている訳ではなかったが、その声はよく通った。

 水神──すなわち水の性質を吸い込み、そして自らを成長させる。となれば、ホフリの君が司るのは、万物を育み、そして守護する性質を持つ概念──土であろう。


(くそ、土剋水どこくすいか……! よりによって相性の悪い相剋で来るとは)


 土は水をにごらせ、き止め、そして吸い取る。ホフリの君が土を司るとなれば、冬の攻撃が効かないのも当然だ。

 ほぞを噛む思いで、篝は冬を見上げる。彼女は臆した様子など皆無で、再び刀を構え直している。


「冬! ホフリの君は、土を司っている。水神の権能を得たお前では、倒すことは難しい!」


 きっと冬なら混乱することはないだろう、と確信した上で、篝は声を張り上げた。

 冬はそうか、と短く返答する。其処に迷いはない。


「なればこそ、私はホフリの君を殺さねば。たとえ相性が悪くとも、打開策が皆無という訳ではあるまい。むしろ、属性がわかったのなら好都合だ。その隙を突く」

「隙ってお前、策はあるのか!?」

「あるさ」


 きっぱりと、冬は言った。


「だが、私一人では難しいこともあろう。貴様らに助力を頼みたい」

「何だ、言ってみろ!」

「──霊力を、村民の保護に回せ」


 ひゅ、と篝は息を飲んだ。

 まさか。まさか、冬は。


「冬! おい、お前!」

「──止しておいた方が良い、カガリ殿」


 冬の後を追いかけようとした篝を、ラミネウスが引き留める。

 冬は、ホフリの君を殺すのだと言った。福寿を、神の座から引きずり下ろすために。そのためだけに、彼女はホフリの君と同等の存在にまで成り下がった。

 それだけの覚悟があったのだ。

 陽向赫は何も言わない。しかし、何処かに絶えず霊力を送り込んでいるようではあった。それは恐らく──金峰村を、守るために。


「冬! お前は──」


 篝の叫びは、果たして届いていただろうか。

 足場を力強く蹴り飛ばし、冬は跳躍ちょうやくする。その身体は、ホフリの君に向かって落ちていく。

 ホフリの君の四肢は健在だ。異形の神はすぐさま冬に手を伸ばした。

 ──駄目だ。此処で終わらせてはならない。何故ならば。


「お前はまだ、歩めていないだろうに──!」


 冬──いや、佐知という女の人生は、金峰村からついぞ解放されることはなかった。

 開かれたてのひら。其処に、冬は叩き付けられる。そして。


 ぐしゃり。


 木の実を握り潰すかのように。

 冬の体は、ホフリの君の掌の中で、その形を失った。

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