3

 冬の足取りは淀みなく、一度も迷うことなく神域──ちょうど篝が抜け出した湧水まで戻ることが出来た。


「お前、この辺りの地理には明るくないのではなかったのか?」


 じろり、と篝が横目で見遣っても、冬の顔色は変わらない。そのふてぶてしい様には、いっそ感心してしまう。

 冬は勘だ、とだけ短く答えてから、周囲を見回してちょいちょいと手招きをした。


「……いつまで隠れているつもりだ。私たち以外に人はいない、出てきて構わないぞ」

「…………」


 建物の影から、ひょっこりと小さな人影が現れる。それはきょろきょろと頻りに辺りを見回しながら、二人のもとまでやって来た。


「か──篝兄ちゃん」

「かよ、何故此処に……っ、むぐ」

「しっ、声が大きい。抑えろ」


 人影──かよの登場に篝は面食らうが、声を上げようとした直後に冬から口を押さえつけられた。自分を横抱きにしているというのに、器用なものである。

 冬ははあ、と嘆息する。そして、声を潜めながら説明した。


「貴様が夜な夜な何者かと脱出した──と知らせてきたのは、何を隠そう其処にいるわらべだ。……正確には、こいつと同室の女が先に異変を察知したようだが」

「そ、その……。夜霧姉ちゃんがな、何が物音がすて気になっから、様子ば見でぎでぐれねがっておらに頼んだんだあ。見に行っだら、篝兄ちゃんが山の中さ入っていぐのが見えで、不安さ思って……。どうすんべが迷って、すばらぐうろうろすてだら、血相変えだ用心棒さんが飛び込んでぎだがら、色々喋ったっけ」


 告げ口ばしてすまねえなあ、とかよは眉尻を下げたが、篝としては感謝する他にない。冬が来なければ、自分は今此処に立っていることさえ怪しかったのだから。

 何か気の利いたことでも言ってやれれば良かったのだが、生憎篝はそういった話は不得手である。軽くぽんぽんとかよの頭を撫でてやってから、冬へと向き直った。


「……しかし、血相を変えて此処まで駆けつけるとは、一体どうしたんだ? お前は間ノ瀬の屋敷で寝泊まりしているんだろう?」

「……このような不確かなことを口にするのは性に合わないが……何となく、胸騒ぎがしてな。先日の獣のこともあるから、まず神域に向かった訳だが──予想が的中して、私も驚いた。まさか貴様が襲われているとは」

「まあ、篝兄ちゃんはきれいだがらにゃあ。無理もねよ」

「言い方に語弊があり過ぎるんだが」


 冬の言葉に嘘偽りはないが、これではあらぬ誤解を生みかねない。実際に、かよは大変不名誉な勘違いをしている。

 篝が冬を白眼視すると、無愛想な用心棒は不服そうな顔をした。僅かに頬を膨らませる様は、やけに幼げである。


「童。こいつは不埒者にみさおを狙われたのではない。鬼に襲われていたのだ」

「お、鬼……!?」

「おい冬、いくら何でもそれは──」


 事情を知らないかよに突然鬼の話をするのはどうかと思ったが、冬は特に気にしていないようだった。


「何故止める? 情報共有は肝要だろう」

「いや、それはそうだが……。何事も順序だてて説明するべきだろう」

「よ、用心棒さん……。その鬼ってもしかして、昔に神様どして崇められでだっていうやつだか……?」


 唐突に核心のみを伝えるのは混乱を招くのではないか、と篝は危惧したが、かよはすぐに話を飲み込めたようだ。恐る恐る、といった様子で問いかけてくる。

 篝の任務周辺の話題に関して、かよは部外者である。術者の仕事に一般人を巻き込む訳にはいかない。──のだが、彼女には村祭りの舞い手という立場もある。全くの無関係とは言い切れない。

 篝は腹を括った。どうせ篝が止めたところで、冬が話してしまうに違いない。上司から咎められた際には、それなりの責任を負おう。


「……ああ。かつて金峰村で信仰されていた鬼女が、再び蘇ったらしい」

「蘇った、って……。ほんじゃ、神楽の舞い手さんたちが皆死んですまうのって……」

「いや、さすがに其処まではわからん。確証を得た訳ではないからな。……だが、奴は村祭りの日に何かしら干渉してくる可能性が高い。俺たちが狙われても可笑しくはないだろう」


 怖がらせるつもりはないが、かよはすっかり怯えた様子でうつむいてしまった。無理もない、鬼女が自分を喰らいに来るかもしれないというのだから。

 可哀想なことをしてしまっただろうか。少し後悔した篝は、大丈夫だ、とかよに声をかけようとした。

 ──が、それよりも早く、かよは顔を上げて、篝を見上げている。


「篝兄ちゃんは、その鬼ば殺すんだが? ホフリの君と、同じように」

「……? かよ、お前は何を言っている……?」


 此方を見上げるかよの大きな瞳は、ゆらゆらと不安定に揺らいでいる。其処にあるのは、篝への疑念と不安。


「だっておら、聞いだんだ。篝兄ちゃんは、この村の神様ば殺すんだって。ほだなこどが出来るのがはわがんねけれど……んだがら、この前大巫様どこそこそお話すすてだんだべ? 篝兄ちゃんは、陽向ってとこさいる術者だから」

「待ってくれかよ、お前は誤解している。俺はたしかに陽向に仕えている身だが、神殺しまでするつもりはない。そもそも、俺はそのような大掛かりな術を使える程の実力なんてないんだぞ」

「でも……陽向は、自分たちに不利な勢力や信仰は、容赦なぐ叩ぎ潰すって聞いだよ? ホフリの君のことだって、きっとそうするって……」

「──童、貴様にそれを教えたのは誰だ?」


 自分の立場を見抜かれただけではなく、あらぬ疑いまでかけられている。この状況下に、篝は焦るしかなかった。

 一方で、静かにかよへと問いかけたのは聞き役に徹していた冬だった。

 きょとんとして口ごもるかよに、冬は一歩近付く。


「貴様は初めからこの男の立場を知っていた訳ではなかろう。その情報を流した人物がいるはずだ。それを私に、そしてこの男に教えろ」

「あ……それ、は……」

「……答えられないのか? 貴様はこの男が隠し事をしていたと咎めたいようだが、此処で口を割らなければ貴様も同罪だ。根も葉もない情報に踊らされ、状況を撹乱するだけの道化になりたいのか?」

「おい冬、あまり怖がらせるのは……」

「貴様は黙っていろ。今この童と話を付けているのは私だ。邪魔をするなら斬る」


 冬は幼子に対しても容赦がない。今にも射殺さんばかりの眼光で、かよを睨み付ける。篝が仲裁に入ろうとしても、その意志が揺らぐことはない。

 かよは怯えながらも、きょろきょろと辺りを見回した。誰かに聞かれてはまずい話のようだ。


「あ、あのな……。この前の夜、御不浄さ行った帰りにな、此処で金色の髪の毛の兄ちゃんさ会ったんだ。その人がら、篝兄ちゃんのいる陽向はこの村の神様ば殺すべどすてる──って教えでもらったんだっけ」

「金色の髪の毛の……?」

「う、嘘じゃねえず! ほんてんいだんだよ。ほら、篝兄ちゃん、前に真っ白い猫ば見だべ? あいづの飼い主らすくて、猫連れで行ったっけの」


 かよの必死な素振りから、彼女が嘘を吐いているようには見えない。一生懸命身振り手振りを添えて説明する様は、同情すら覚える。


「……冬。もしかしたらかよが出会ったのは、外つ国の術者かもしれない」


 かよの言っていることが未だ噛み砕けていないのか、首を捻っている冬に篝はそう推測する。

 冬は顔を上げて、外つ国──と篝の言葉を反芻はんすうする。


「そうだ。俺は先程上司と連絡を取ったんだが、少し前に俺の職場に英吉利エゲレスとかいう国からやって来たという術者が訪問していたらしい。上司たちは外つ国に良い顔をしないから、すぐに追い払ったというが……。その術者が金峰村を訪れた可能性はあり得ると思う」

「なるほど……。たしかに、先程遭遇したあれは外つ国から逃げ延びてきたと聞く。ならばそれを追いかけてこの国へ来航した者がいても可笑しくはないか」


 ふむ、と冬は頤に手を添える。


「何にせよ、奴等が金峰村をどう思っているかは知らんが、陽向を敵視していることは確かだ。……冬、巻き込んでおいてすまんが、俺の仕事のことはどうか黙っておいてくれないか。情報が漏れれば、外つ国の術者からの妨害を受けかねん」

「わかっている。如何な術者であろうと、物理でならば私の方が上だ。貴様のような生っ白い者に負ける訳がなかろう」


 お前も他人のことは言えないだろう──と突っ込みたいところではあったが、一先ず冬には感謝せねばなるまい。危機に駆け付けてくれただけではなく、篝の秘密も黙っていてくれるというのだから。

 篝はそっとかよに向き直る。かよは、不安げな瞳で篝の顔を見上げた。


「……かよ。外つ国の術者はお前に色々なことを吹き込んだのやもしれんが、俺は神を殺すつもりはない。無論、上司がそのつもりならば俺はそれに従うしかないが──だが、それでも村の者たちに危害は加えないし、村祭りは絶対に成功させてみせる。約束しよう」

「……篝兄ちゃん……」

「尤も、今の俺に神をどうこう出来る力はない。俺に出来るのは、ホフリの君に神楽舞を捧げるくらいのものだ。ならば、村祭りに向けて神楽の稽古をした方が有意義だろう?」


 肩を竦めてみせると、かよはほっとしたようにそうかあ、と呟く。其処にはたしかな安堵の色があった。


「……わかった。おら、篝兄ちゃんのことば信じるだ。疑うような真似すて、悪かったなあ」

「このような状況なんだ、疑心暗鬼になっても無理はない。お前はよくやっているよ」

「えへへ、篝兄ちゃん、何だか優すくなったにゃあ。これは神様ば殺しぇる人には見えねえなあ」


 ふにゃりと笑みを溢すかよに、篝の口元も自然と弛む。誤解が解けたことで、どっと安心感が押し寄せてきた。

 二人して表情を弛めていると、傍らから盛大な溜め息が聞こえてくる。十中八九、冬のものであろう。


「……もう夜も遅い。私も、いつまでも長居している訳にはいかないからな。そろそろお暇するとしよう」

「ああ、今晩は世話になった。村祭りが終わったら、何か礼をしてやろうか」

「……いや、良い。其処までの関わりではないだろう。気持ちだけで十分だ」


 素っ気なくそう告げてから、冬は身を翻して去っていく。まともな別れの言葉もない。

 篝とかよは顔を見合わせて苦笑してから、すぐに見えなくなってしまった冬の背中を思いつつ本殿へと戻った。

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