3
この村では、三年に一度テクラを
テクラはそのことを佐知に伝えなかったため、村祭りの存在を彼女が知ったのは福寿に教えられてのことだった。しかも、村祭りの当日に──だ。
「嘘だろう、佐知ってば知らなかったのか」
驚きから目を真ん丸にさせる福寿に、佐知はうるさい、とだけ返す。
もともと、佐知は祭りなどといった催し物に興味をそそられない性分だ。彼女の出身である村でも土着の神──確か水神か何かであったか──を祀る催しがあったが、佐知としてはだらだらと時間を費やすだけの無駄な一日である、という印象だった。その内容もよく覚えていない。
今だって、心酔するテクラに関する祭りだというから聞かずにはいられなかったが、参加したいか──と聞かれると悩みどころでもある。
もとより騒がしい場というものは好きではないし、村の知り合いは福寿くらいのものだ。自分が行ったところで何になるのだろうか──と考えると、これといった答えが思い付かない。
きっと、自分には向いていないのだ──と佐知は思う。賑やかしい祭事も、村人たちの中に混じることも。嫌いとまではいかないが、性に合わないのだ。
「お、おいおい、佐知ってば。そんな暗い顔するなよ」
気付けば、福寿がやけに焦った顔をしていた。何があったというのだろう。
佐知が訳もわからず首をかしげていると、福寿はほっと小さく息を吐いた。
「いや、何というか……君が村祭りについて知らされていないことを悲しんだのかと思って……。気にしてるのならどうしようかと思った」
「別に、私がどんな顔をしていたってお前には関係ないでしょう」
「良かった、いつもの佐知だ」
佐知としては、何故少し表情を曇らせただけでこうも焦るのか──と疑問が拭えなかったが、福寿はすっかり安心した様子だった。佐知のご機嫌取りをするような人間には見えないが、彼にも彼なりの思いがあるのだろうと佐知は解釈した。
「──で、だ。佐知、せっかくのお祭りなんだし、良ければ俺といっしょに村の方へ行かないか? いつもはあんまり見せるところのない村だけどさ、今日ばかりは盛り上がってるよ。お餅やお酒も配られるし、祭りの日は野良仕事をしなくても良いからな。まあ、無礼講みたいなものだと思ってくれ」
「祭祀は執り行わなくて良いの? テクラ様をお祀りするんでしょう」
「なんだ、君ってば本当に何も知らないんだなあ。主だった儀式なら、今朝方に終わったよ」
主要な祭祀は明朝に行われるものらしく、佐知がぐっすり眠っている時間帯に終わっていたようだ。佐知としては、やや拍子抜けである。
祭りがあるのならば、教えてくださっても良かったのに──と思わなかった訳ではないが、佐知はテクラを恨みはしなかった。手伝えることがあるのなら参加したかったが、テクラが気を利かせてくれたのだろう。聡い彼女のことだ、佐知が喧騒を苦手としていることも把握していたのかもしれない。
「まあ、儀式といっても、長々と祝詞を読んだり神楽を舞ったりするくらいのものだし、テクラ様は表に出てこないからなあ。君が見て面白いものじゃないかもしれないし、また次の村祭りまで待つのが妥当だと思うよ。次は俺が起こしに行くからさ」
ぽんぽん、と佐知の肩を優しく叩きつつ、福寿は苦笑する。
「とにかくさ、まだ祭りは終わってないんだし、今からでも村の方へ遊びに行かないか? 佐知だって、金峰村の一員だ。祭りに参加したって、誰も咎めやしない」
「……尤もらしいことを言ってはいるけれど、それはお前が祭りに行きたい口実なのでしょう?」
「そう言うなよ。たしかに俺も祭りには行きたいが、君といっしょが良いんだ。君にも、金峰村で良い思い出を作って欲しいから」
くしゃりと破顔する福寿から、佐知はそっと目を逸らす。
彼が嫌いな訳ではない。ただ、その笑顔はあまりにも眩しすぎる。
「……わかった。行けば良いのでしょう、お前と」
仕方ない、と言いたげに肩を竦めてみせると、福寿は嬉しそうに目元を弛める。
──これほどまでに人懐っこい彼が、何故自分のような陰気で面白みのない人間を気にかけるのか。
佐知には、福寿の真意がいまいち図りかねないでいる。わかることは、彼が損をするくらいのお人好しである、ということだけだ。
「とりあえず、準備をしてくるから。テクラ様に無断で外出する訳にもいかないでしょう」
はあ、と溜め息を吐いてから、佐知は方向転換する。福寿の顔を見ていると、目が潰れそうな心地さえ覚える。
「おっ、もしかしておめかしするのか? せっかくの村祭りだしな」
後ろから福寿が
佐知が現在身に付けている着物は、テクラから譲ってもらったものだ。
これなら貴様の体にぴったりだろう、と言って、テクラは幾つかの着物をくれた。その中には幾分か華やかな色合いのものもあったのだが、佐知はそういった色合いは自分に似合う気がせず、いつも
閑話休題。まずは、テクラを探さなければ。
佐知は足早に、普段テクラが住み処としている大樹の洞を覗く。木の中に住むというのはなかなか想像し難いものだが、いざ住んでみると案外居心地の良いものだ。
「テクラ様」
呼び掛けてみるが、返事はなかった。どうやら此処にテクラはいないらしい。
(何処に行かれたのだろう)
テクラを崇めている佐知ではあるが、その行動範囲を詳細に把握している訳ではない。むしろ遠慮して、知りすぎないようにと心掛けている。
佐知はきょろきょろと辺りを見回しつつ、テクラの姿を探す。
裏側の洞も見てみたが、彼女はいない。大樹の側にいる訳ではないようだ。
(もしかして、彼処だろうか)
しかし、佐知には心当たりがあった。
佐知は駆け足で大樹から離れると、時折木の根につんのめりながらある場所を目指す。其処を訪れたことはないが、テクラから存在だけは聞かされていた。
佐知が向かった場所。それは、大樹から少し離れたところにある洞窟だった。
「テクラ様、お伺いしたいことが」
洞窟に向かって一声かけるが、返事が返ってくることはない。洞窟の中は真っ暗で、入り口から突き当たりまで観測することは不可能だ。
返事はなかったが、聞こえていない可能性も考慮して、佐知は洞窟の中に潜ってみることにした。些か窮屈だが、這っていくには十分な広さである。痩せ型の佐知ならば造作もない。
(……? 何か、音が聞こえる……?)
──此処で、佐知の耳に幽かな音が入る。
それは、
(テクラ様がお食事なさっている……? でも私は、テクラ様がお食事されている姿を見たことがないのに……)
テクラは佐知に食べ物を分け与えることはあるものの、彼女の前で物を飲み食いすることは決してなかった。
福寿がいつも運んでくる食事は二人前だが、テクラは手を付けない。保存出来るものは残しておいて、その他は全て佐知にくれてやる。
テクラの心遣いは嬉しい。それでも、佐知としては彼女が飢えてはいないかと心配になる。飢餓の苦しみは、嫌という程に味わっているから。
(テクラ様は、私に隠れてお食事をしているのだろうか。だとしたら、一体何のために……)
思案しながらも這い続けていると、直線上にぼんやりと人影のようなものが見えた。この様子だと、先客は灯りか何かを持ち込んでいるようだ。
テクラだろうか。ほっと一安心した佐知は、速度を上げて人影のもとまで這う。
そして、佐知は捕捉する。見覚えのある、色素の薄い髪の毛──“彼女”の後ろ姿を。
「テクラ様──!」
佐知の呼び掛けに、人影ははっと振り返った。
その人影は、たしかにテクラだった。見間違えるはずもない。
だが、佐知は言葉を失う。目の前にいるのはテクラかもしれないという期待から鈍くなっていた五感が、遅れてその働きを取り戻す。
「──小鬼、此処で、何を」
驚愕をありありと浮かび上がらせるテクラ。その美貌は、損なわれることはない。
たとえ、赤黒い血潮の紅を唇にさしていようとも。
むっと鼻を突く、鉄錆の臭い。座するテクラの手に握られているのは、生白い棒状の──人の腕か脚であろうか。半分以上は骨と化し、断面からは血液が
──テクラは、人を喰っていた。
「──テクラ様、それは」
呆然としたまま、佐知は呟きにも近い声量で問いかける。
テクラに問いかけてはいるものの、佐知の眼差しは彼女に向けられていない。テクラの側に転がる、既に動かなくなった三つの人の体を見つめている。
「……見ての通りだ。人を喰っているんだよ、小鬼。これらは、今日の村祭りで捧げられた生贄だ」
人里から無理矢理捕まえてきた訳ではないから安心おし、とテクラは肩を竦めた。
「言っただろう、私は鬼──人喰い鬼なのだ。人の血を啜らなければ、生きていくことは出来ない。寿命がないところは違うが──飲み食いしなければ死んでしまう人と、同じようなものさ」
「人の、血肉を……」
「貴様とて、かつて人を喰らったことがあるのだろう、小鬼?何をそのように驚く必要がある? 人も、人を喰らうのだろう?」
にい、と血に濡れた唇が弧を描く。しかしその笑みに喜びはない。
佐知はすう、はあと何度か呼吸してから、やっとのことでテクラへと視線を戻した。
「その……生贄は、村祭りでしか与えられないのですか」
「ん? ああ、左様。普段から生贄を貰い受けている訳ではないが……それがどうかしたのか?」
「それでは──それでは、足りないのではありませんか……?」
佐知がぶるぶると震えるのは、恐怖からではないと──今この時、テクラは確信した。
静かに瞠目するテクラを余所に、佐知は這いつくばったまま唇を動かす。
「先程、福寿から村祭りは三年に一度だけ執り行われるものだと聞きました。祭りの日にしか生贄が与えられないのであれば、テクラ様は三年もの月日を、たった三人の血肉で凌がなければならないのですよね? それは──あまりにも少なすぎます!」
「小鬼……? 貴様、何を」
「私は、飢餓を──飢える苦しみを、よく知っています。それは容易く耐えられるものではありません! 私は──テクラ様に、苦しんで欲しくはない!」
佐知は泣いていた。本気で、涙を溢していた。
テクラはぽかんと口を開けたまま、しばらく佐知を見つめているしか出来なかった。まさか人を喰っている現場に遭遇して、それでは少なすぎる、飢えていはしないかと案じられるとは、思ってもみなかったのだ。
歯を食いしばって嗚咽を殺している佐知に、テクラは喰っていた人の一部を横に置いてから向き直る。そして、血で汚れた手で彼女の頭を撫でようとし──すぐに引っ込めた。
「小鬼、私を案じてくれるのは嬉しいが、そう泣く程のことではない。私は飢えていないし、今のままで十分満たされているよ」
「ですが、テクラ様」
「私とて、何も三年もの期間を飲まず食わずで過ごしている訳ではない。人を喰らうのは村祭りの日のみと決まっているが、私はこの村の守り神。生贄を喰らう以外にも、腹を満たす方法は熟知している」
未だ涙を流し続ける佐知に、テクラは微笑みかける。
「私は鬼だけれど、これでもかつて母なる神を信仰していたのだ。この金峰村の大地と己を繋ぎ合わせることで、直接的な食事とまではゆかないが腹を満たせてはいる」
「……? それは、一体どういった……?」
「金峰村で育つ作物。それらには、私の加護──というには少々お粗末だが、守り神としての効果が秘められている。それを食らった人が死に、この地に埋められ埋葬されることで、地中で眠る遺体の血肉を間接的に摂取することが出来る。私はこの村一帯の大地と繋がっているから、其処に埋められた遺体が地に還るというのは、結果的に私の腹に入ることにもなるのだよ」
「この大地が、テクラ様のお体のようなものなのですか?」
「そういうことになる。村の者たちもそれは理解しているから、遺体を燃やすなどという馬鹿げた愚かしい真似はしない。亡くなった村人は、村から少し離れた山中に土葬されている。特に最近は病でも流行ったのか、埋葬される遺体が以前よりも多くてね。だから、私が飢えを覚えて苦しむことはない」
詰まるところ、直接人を喰らわずとも、金峰村で人が死んで埋葬されることで、テクラの糧になっているということだった。
佐知は泣いて興奮していることもあってかテクラの説明を一から十まで噛み砕くことは出来なかったが、彼女が飢えていないのならばそれで良いと思った。自分と同じような苦しみをテクラが覚えていないのなら、それだけで十分だ。
ほっとした表情の佐知を見て、テクラもまた安堵したように微笑んだ。そして、そっと佐知を目線で促す。
「小鬼、貴様はあの間ノ瀬の使用人と共に、村祭りへ行く予定だったのだろう? せっかくの機会だ、楽しんできなさい」
「よ──良いのですか?」
「良いに決まっているだろう。貴様は私の下僕なのだぞ? 私を讃える祭りに参加しないというのは、むしろ無礼というもの。少し帰りが遅くなっても構わないから、気兼ねせず行ってくると良い」
はい、と佐知はうなずいて、一礼してから洞窟を這って戻った。
もともとの目的が達成されたということもあるが、彼女が自分に僅かなりとも心を開いてくれたような気がして、佐知は胸の辺りがこそばゆかった。烏滸がましいこととは理解しているものの、テクラが苦しんでいるのでは──と思うと、やはり不安になるものだ。正直に真実を打ち明けてくれたテクラには感謝すると共に、より一層尊ぶ心が芽生えるばかりである。
洞窟を出ると、その側で待っていたらしい福寿と鉢合わせた。思えば、それなりの時間をかけてしまった──と、佐知は申し訳ない気持ちを覚える。
「ごめんなさい、待たせてしまって」
「ああ、別に良いよ。そんなに待ってないし」
「そう? それなら良いけれど」
福寿の顔は、何故だか薄暗く
やはり待たせてしまったのだろう。佐知はそう判断して、普段よりは柔らかな語気で言う。
「許可もいただけたし、祭りに行こう。お前が案内してくれるのでしょう」
「そ──うだな。よし、村の案内なら任せてくれよ」
福寿は破顔する。しかし、其処に生来の──彼らしい明るさは感じられない。
佐知は一抹を不安を覚えたが、福寿が何も言わないため詮索することは止しておいた。きっとこれは一時的なものなのだろうと、そう自分に言い聞かせながら。
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