3

 御不浄に行きたいので提灯ちょうちんを貸して欲しい、と頼むと、不寝番ねずばんを務めていた神官は特に疑う様子もなく篝に提灯を手渡した。

 今までは番を置くこともなかったが、このような状況であるからと臨時で置いているようだ。これでは苅安にとって不利になるのではないか──と篝は一時危惧したものだが、杞憂どころか役立って万々歳である。

 無事に灯りを手に入れたところで、篝は御不浄の近くで待機していた苅安と合流し、湧き水の出ているいつもの休憩場所から山中へと入る。少し遠回りになるが、方向を間違えさえしなければ御神体のもとへ行くことが出来るので文句は言えない。


「足下に気を付けろよ。気を抜いていたら、根に引っ掛かって転んでしまうからな」


 提灯を手にして歩く苅安が、苦笑しながら言う。何となく舐められているような気がしてならず、篝は唇を尖らせた。


「言われずとも気を付けている。俺は其処まで鈍臭くはないぞ、苅安」

「そういう風に言っている者程、よく転ぶからなあ。いや、気を付けてくれているならそれに越したことはないんだが」


 転んだだの何だのという話を聞くと、篝は冬のことを思い出す。

 冬も、以前木の根に足を取られて盛大に転倒していた。本人からしてみれば蒸し返されたくないであろう話題なので篝はあの日以来突っ込まないようにしているが、それでも印象的だったのは確かだ。冬のような、鋭く切れ味の優れた諸刃の剣がそのまま人になったかのような人間であっても、蹴躓いて転ぶことがあるものなのか──と。


「……篝、何だかしみじみしてるな。何か関係のないことを考えてるだろう」


 顔に出ていたのだろうか。苅安が、やはり困ったように笑っていた。

 図星なのが気に食わないが、言い繕うのは苦手だ。篝はそうだ、と短く肯定する。


「初めて神域を訪れた日のことを思い出していた。あの時は、お前ではなく冬──間ノ瀬に仕える用心棒がいっしょだったがな」

「ああ、あの、口と態度が相当だとかいう」

「……その覚え方はどうなんだ?」


 苅安の口ぶりに刺はないが、歯に衣着せぬ──といった点においては、冬と良い勝負をしていると思う。特に他人の印象や評価となると、苅安はそのきらいが強い。

 苅安は悪い悪い、と軽く謝罪する。この場に冬本人がいないので、深刻な風は全く見受けられない。


「いやあ、俺の知り合いにも、愛想のない奴がいたからなあ。いつも此方を睨み付けて、悪意はないが突き刺すような物言いをする奴だったよ。そんな知り合いがいたから、冬殿の話を聞いたら思い出してしまった」

「ほう。冬と鉢合わせたら、ぎすぎすしそうなものだな」

「実際に、人付き合いが得意な方じゃなかったしな。冬殿でなくとも、雰囲気が良くなることは滅多にないだろうよ」

「随分な物言いだな」

「冬殿には黙っておいてくれよ。引き合いに出しただけで、冬殿にあれこれ文句を言い付けてる訳じゃないからな」


 冬殿には秘密だ、と苅安は冗談めかして言う。言われずとも、篝に口外するつもりはない。

 しかし、苅安が知り合いの──己の周りにいる人の話をするとは、珍しいこともあるものだ。彼はこれまで、身の回りのことを篝に話すことなんて一度もなかったというのに。


(……それだけ、打ち解けたということなのか?)


 篝としては、いまいち実感を持てない。たしかに苅安とは利害関係の一致から度々顔を合わせているが、打ち解ける打ち解けないといった関係性とまではゆかないだろうし、何よりも友人のように親しくしている訳でもない。以前よりも気安い間柄になったというだけだ。

 そもそも、苅安が気さく過ぎるのだ──と篝は思う。

 篝の職場に、苅安のような誰にでも気さくで人当たりの良い人間が一人もいなかった──という訳ではない。篝は良くも悪くも比較的目立つ顔立ちをしていたから、そういった輩に絡まれたことも多々ある。至極迷惑だった。

 しかし、職場の頂点に立つ長がそういった馴れ合いをあまり好まない人であるために、大抵の人間はある程度弁えていた。絡んでくる人間はいても、仕事を疎かにしてまで此方に構ってくる訳ではない。

 要するに、仕事があればいつまでも絡まれることはないため、偶然の巡り合わせが何度も重なって仕事場を同じくしなければ、顔を合わせることは避けられるという訳だ。

 鬱陶しい連中のことを篝は避けていたし、向こうも篝の思惑を知らないままでいることはないために、好奇の視線はやがて忌避や嫌悪に変わっていった。無用な馴れ合いを好む連中は、そのほとんどが篝のことを無愛想だとか、生意気だとか、高慢だとか言って、特に何をした訳でもないのに睨んでくることが増えた。それすらも、篝は下らないと一蹴し、ことごとく無視していた訳だが。


(……その結果、山中に置いていかれたが)


 異形に転じたか、はたまた取り込まれたらしい三人の連れ。彼らもまた、篝のことを良く思っていない者たちだった。

 任務の最中も何かと揉めたし、いつか行動に移した嫌がらせでも受けるかと予測はしていたものの、まさか置いてきぼりを食らうことになろうとは思ってもいなかった。

 結果として、篝だけが生き残り、彼らは冬に討伐されてしまった。異形となった時点で既に息絶えていたのか、それとも冬に討伐された瞬間に死んだのかはわからないが、とにもかくにも篝を残して彼らは亡き者となったのだ。その事実だけは、どう足掻いたところで覆ることはない。


「……り、篝」

「……!」


 知らず知らずのうちに思案に耽っていた篝は、横合いから声をかけられて我に返った。

 見れば、隣を歩いている苅安が、心配そうに此方を覗き込んでいる。


「大丈夫か? 険しい顔をしていたぞ」

「──いや、何でもない。それほど深刻なことを考えていた訳ではないから、気にするな」

「どうだかなあ。篝は強がりなところがあるからなあ」

「何だ、その顔は。言いたいことがあるのならはっきり言え」


 意味深に眉尻を下げる苅安を、篝はじっとりと白眼視する。茶を濁され、本質をはぐらかされるのは好きではない。

 しかし、苅安はいいや、と言ったきりこの話題を続けることはなかった。その代わりに、つい、とある一点を指差す。


「見えたぞ。彼処にあるのが、ホフリの君の御神体だ」


 話をはぐらかされたような気がしないでもないが、目的地に到着したのならばまずはそれが最優先であろう。篝は目を凝らして、御神体を見上げる。

 

 それは、天をも突かんとするような巨木だった。


 月明かりに照らされた御神体は、辺り一帯の木々の中でもずば抜けて太く、そして高い。幹の中に人一人は入れてしまいそうだ。

 そして何よりも──篝の心を掴んで離さないのは、その威圧感。

 それは御神体と言えど、所詮は物言わぬ樹木のはずである。だというのに、篝はただただ圧倒される他にない。人には届かぬ高さから見下ろされ、見定められているような感覚に、二の腕がぞわぞわと疼く。


「この辺りは、特に足下が不安定だからな。念のため、手を握っておこう」


 御神体の迫力に息を飲む篝を余所に、慣れた様子の苅安はそう宣いながらしれっと篝の左手を握ってくる。其処に下心はないのだろうが、篝としては不本意極まりない。


「そのようなことをせずとも、このくらい一人で歩ける」

「まあまあ、そう言うなって。篝、この辺りに来るのは初めてだろう?」

「お前は来たことがあるのか? 禁足地だというのに」

「まあ、村祭りやら何やらで近付く機会も多いからなあ。少なくとも、篝よりはよく来ている方だと思うんだが」


 たしかに、村祭り──舞い手たちによる神楽は、御神体の前で行われるという。

 腑に落ちはしたが、それをわざわざ見せてやる必要はないので、篝はむすりと黙り込む。二人して転んだらどうするのだ──と思いもしたが、苅安はこういう時に転ぶような男ではないのだろう。悔しいが、仲良く手を繋いで探索することにした。

 御神体付近は、苅安の言った通り足場が悪く、篝は慎重に歩を進める。ああ言った手前、転んでは赤っ恥だ。


「……此処で、かの鬼女が打ち倒されたのか」


 周囲に気になる点がないものかと探索しつつ、篝はぽつりと呟いた。

 苅安は篝の方へ向くことなく、そうだな、と相槌を打つ。


「伝承では、そういうことになっているな。尤も──実際のところは、違うのかもしれないが」

「月日を経て事実と虚構が混じり合うのはよくあることだ。それくらい、俺も承知している」


 提灯の灯りに照らされた苅安の顔付きは、何処か物寂しげに見える。ホフリの君を信仰していない篝にはわからぬことだが、自分が伝え聞いてきた伝承との差異に心を乱されることもあるのだろうか。

 ──と、そんなことを思いながら御神体の周辺を歩いていた矢先に、かさり、と爪先に何かが当たる。


「……?」


 篝はそっとしゃがみこんで、足下に落ちていたそれを拾う。苅安は物珍しそうに篝の様子を眺めていた。


「篝? どうしたんだ?」

「……いや、少し気になるものが落ちていた」

「気になるもの……? その紙切れか?」


 篝が拾い上げたのは、ちょうど掌に収まる程度の大きさをした紙片だった。独特な形状をしたそれは、人を象っているようにも見える。

 苅安は怪訝そうな顔をしていたが、篝はごくり、と唾を飲み込んだ。見覚えがあったのだ。


(これは──陽向ひむかの呪符ではないか)


 ぐ、と紙片を握り締めて、篝は立ち上がる。

 何故此処にこのようなものが落ちていたのかはわからないが、放置して良いものではない。陽向の関係者として、預かっておくのが得策だろう。


「──篝、篝。あれを」


 ごそごそと紙片を懐にしまっていると、唐突に苅安が手を引いてきた。くん、と引っ張られる感覚に一瞬顔をしかめるも、すぐに篝は苅安の方へと顔を向ける。


「どうした。何か気になるものでもあったか」

「ああ。彼処に、洞窟が見える。ちょうど、人が入れそうな大きさだ」


 苅安が提灯を向けた先。其処には、ひっそりと夜闇に隠れるようにして存在する洞窟が存在していた。よくよく周囲を観察していなければ、見落とすような場所にある。

 どうだ、と言わんばかりに瞳を輝かせている苅安に、篝も思わず苦笑する。良い意味で、犬のようだ。


「やるじゃないか。お手柄だな、苅安」

「おっ、珍しい。篝に褒められた」

「珍しいとは何だ、俺だって人を褒める。──あれくらいの大きさであれば、桐花も入れそうだな。調べてみるか」


 もしも桐花が山中で迷ったのだとして、雨風を凌げる場所を見付けたのだとすれば其処に滞在している可能性が高い。

 桐花は聡明な娘だ。動転していなければ、その程度の判断力は持ち合わせているだろう。日が昇るまで、洞窟の中で待機しているのかもしれない。


「──苅安。お前は入り口で人が来ないか見ていてくれないか。洞窟の中は、俺が調べる」


 洞窟の側までたどり着いたところで、篝はそう声をかける。

 苅安はぱちぱち、と何度か瞬きをした。そして、心配そうに眉をハの字にする。


「一人で大丈夫か? 何があるかわからないのに……」

「むしろ一人の方が動きやすいだろう。この洞窟がどれくらいの広さなのか、まだ詳細にはわからないからな。念のため、灯りは持っていきたい。外で待っている分にも、ぼんやり灯りが点っていたら目立つだろう」


 いざとなったら俺を置いて逃げろ、と付け足すと、苅安は悲しげに唇を噛んだ。まあ、お人好しな苅安のことだから、妥当な反応ではある。


「……わかった。くれぐれも無茶はするなよ。俺は入り口のところで待っているから」

「ああ。──何、すぐに戻る。だからそう情けない顔をするな」


 軽く苅安の肩を叩いてから、篝は提灯を預かって洞窟へと潜る。

 背後から気を付けろよ、と念を押す苅安の声が聞こえた。返事は出来なかったが、無視するのもどうかと思ったので、篝は小さくうなずいておいた。

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