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数日ぶりに篝のもとへやって来た苅安は、桐花の一件を聞くなり表情を曇らせた。
「そうか……。禁足地の辺りが騒がしいとは思っていたが、村祭りの準備でそうなった訳じゃなかったんだな」
御神体付近──いわゆる禁足地へは、日の出ているうちに大巫の配下にあたる神官たちが捜索に出た。
普通ならば村祭りの際にしか足を踏み入れてはならないことになっているが、村長の孫娘を捜すとなれば異例も許されるのだろう。主に御神体の付近の捜索ではあったが、神官たちはたしかに駆り出されたようだ。
しかし、大巫とは対照的に、村長の方は全く動きを見せることはなかった。
「大巫様の配下たちによれば、奴等が桐花を捜索している間も介入してくる村人は一人もいなかったらしい。あの村長でさえ──だ」
そう告げて、篝はわかりやすく溜め息を吐いた。
普段は桐花を屋敷から出しもせず、閉鎖的な生活を強いているというのに、こういった時には何もしない。そもそも、桐花に対して禁足地への立ち入りを許可したのは村長だというのに、いざ桐花がいなくなれば禁足地に立ち入ることは許されぬだの何だのと言って、桐花を捜す気配もない。そんな状況であるから、いてもたってもいられなくなった小百合が個人的に大巫のもとを訪ねるに至ったのだろう。
村長が何を考えているのか、篝には到底わからなかった。
孫娘を大事にしているからこそ、間ノ瀬の屋敷に閉じ込めていたのではなかったのか。姿が見えなくなれば、最早桐花という存在が消えてしまったかのように手付かずになるものなのか。
「今まで桐花を鎖でがんじがらめにしてきた癖に、このような状況になれば捨て置くというのか。ほとほと信じられん」
「まあまあ、篝。気持ちはわかるけれど、あまり村長を悪く言ってはいけないよ」
「それは、そうだが……」
苅安に宥められても、篝の心は晴れない。むしろ曇り、翳っていくばかりだ。
苅安は苦笑しつつ、時期が悪かったんだろうなあ、と何処か遠くを見て言った。
「村祭りの直前でもなければ、村長も桐花を捜すことに此処まで無関心じゃあなかったかもしれない。しかし、今は村祭りを二日後に控えているだろう? そんな時期だから、村長だって後ろ向きな態度を──それもホフリの君の前では見せたくなかったんじゃないか」
「己が孫娘の安否よりも、ホフリの君に対しての体裁を優先するというのか。
「こら、篝。そんな口を利くものじゃないぞ」
──君、怒っているだろう。
困ったように眉尻を下げつつ、苅安は篝を窘めた。 しぃ、と自らの口元に人差し指を当てて声を潜めるようにと促しているが、篝はそれをすげなく無視する。
「それは、あの老爺が金峰村の長であるが故にか? ──ハ、馬鹿馬鹿しい。そもそも、俺は金峰村の住民ですらないんだぞ。本人が目の前にいる訳でもなし、どのように評価しようが俺の勝手だろう」
「君の気持ちもよくわかるけれど……あの方がいなければ今の金峰村はないんだぞ? 一概に悪く言うのもどうかと思うよ、俺は」
「ふん、どうだかな。お前たちにとっては良き村長なのやもしれんが、俺からしてみれば諸悪の元凶に過ぎん。その上に孫娘を見捨てたとなれば、何処をどうやって弁護しろというんだ? 悪いが、俺には其処までの慈悲などないぞ」
「篝ってば、それだけ桐花のことが心配なんだなあ」
わかったわかった、と苅安は観念したように肩を竦める。これ以上言い合っていても不毛だと判断したのだろう。
「それで──だ。その……神官たちの捜索に進展はあったのか? 何か手掛かりを見付けられていたのなら良いんだが」
「見付かっていたら、此処まで憂えてはいないさ。全く──それこそ、何の手掛かりも見付からなかった。まあ、彼奴らも禁足地の奥には行っていないようだから、何か見付けられる方が可笑しいのかもしれないが……」
大巫の指示によって桐花の捜索を行った神官たちではあるが、収穫は皆無であった。桐花の足取りは全く掴めず、日没前には禁足地を引き上げたという話だ。
その後、昨日桐花と共に御神体のもとへと向かった間ノ瀬の若い衆に聞き込みを行うことも考えられたが、間ノ瀬は大巫の使いに取り合うことはなかったらしい。追い返されたらしい神官たちは、やはり無理だったのだとでも言わんばかりの、諦念に満ちた表情で戻ってきた。
夏場であるから、いくら山中と言えど冷えることはないだろう。だが、だからといって危険分子が減ったとは言い難い。
(桐花は、間ノ瀬の屋敷からまともに出たことのない箱入り娘だ。彼奴が山中をさ迷うとなれば──思わぬ事故に遭遇する可能性も高い)
何故だか禁足地の付近に獣は出ないというが、それを鵜呑みにして安心出来る程篝も能天気ではない。たとえ獣と遭遇する危険性が低くとも、夜間の山中を慣れぬ者が独り歩きするということ事態が自殺行為のようなものだ。
村祭りを成功させて、金峰村から出たい。そう話す桐花の目は真剣だった。初めこそ自らの保身のために彼女の計画に協力することを選んだ篝だったが、今では出来ることならば桐花の望みを叶えてやりたいとさえ思っている。
情に突き動かされては、いずれ自らの首を絞めることとなる。それは篝も重々承知している。
(それでも──桐花を見捨てることなど、出来はしない)
自分の甘さを、篝はよくよく理解しているつもりだ。その上で、桐花を捜し出し、そして村祭りも犠牲者なく終わらせたい。
我儘だ、と断ぜられそうな思考だが、何もせずにいるよりかはずっと良い。己の良心を抑制することなど、篝には到底不可能なのだ。
「──苅安」
此処で、篝は苅安へと声をかける。
どうしたんだ、と首をかしげる苅安に、篝は尋ねる。
「お前、今日も此処まで忍び込む際に、灯りになるようなものは持ってきているか? 足下を照らすことが出来るのならば、何でも良いんだが……」
「灯りかあ……。俺としてはこの辺りの道には慣れているし、手ぶらで来たよ。それがどうかしたのか?」
「いや、何。お前が持っていれば、すぐにでも禁足地へ行けたと思ってな。ないのなら別に灯りを手に入れなければならないが」
さらりと口にした篝だったが、苅安はつぶらな瞳を真ん丸に見開いておいおい、と焦ったように言った。
「じょ、冗談だよな、篝? 禁足地に行くって……まさか今からか?」
「ああ、勿論。昼間は舞い手としての稽古をしなければならないし、明日になれば村祭り前日ということもあって無闇に動けないだろうからな。やるとしたら、今日しかない」
「け、けどな……! 何も夜に行くことはないだろう? どれだけ危険だか、わかっているのか?」
「わかっている。わかっているから言っているんだ。たとえ危険を冒してでも、俺は桐花を捜したい」
ずい、と苅安に近付いて、篝はその瞳を真っ直ぐに見つめる。
自分の行動がどれだけの危険を孕んでいるか、篝とて理解した上で発言している。桐花までには及ばないが、篝も山歩きに関しては素人だ。しかも夜歩きとなれば、何が起こっても可笑しくはない。
しかし、自分の身の安全よりも、篝にとっては桐花の安否の方が気がかりだった。
ただでさえ世間知らずで、世の中の危険から遠ざけられて育てられてきた少女なのだ。真っ暗な山中で独りぼっちになって、落ち着いていられるはずがない。もしかしたら、孤独に耐え兼ねて突拍子もない行動に及ぶかもしれない。
もうこれ以上、桐花に心細い思いをさせたくはなかった。彼女本人を捜し出すことは出来なくとも、何か手掛かりになるような状態だけでも手に入れられないだろうか。そう考えたが故の発言であった。
篝と苅安のにらめっこは数十秒続いたが──先に折れたのは、苅安の方だった。
「……わかったよ。君がそれほど本気なら、止めるのも野暮だ。あまり深入りするのはおすすめしないが、少し調べるくらいなら付き合ってやるよ」
「ふん、そうこなくてはな。礼を言うぞ、苅安」
「本当に、拐われてきた人間とは思えない程のふてぶてしさだな」
其処が君の魅力なのだろうが、と苅安は苦笑いする。
一先ず、苅安という同行者を得られたことは幸いだ。篝は立ち上がり、草履を突っ掛ける。善は急げ、だ。
「行くぞ、苅安。まずは灯りを拝借するところからだ」
「はいはい、篝はせっかちだな。逸り過ぎてへまをしないように気を付けるんだぞ」
「誰に対して言っているんだ。俺は十分に用心深いが」
何処と無く子供扱いされている風が否めない苅安の口ぶりに、篝はむっと眉尻をつり上げる。篝自身は気付いていないのかもしれないが、僅かに頬も膨らんでいる。
それをわざわざ指摘する苅安ではなかったが、彼はやはり困ったように笑ってから、そうかそうか、と相槌を打って篝の後を追いかけた。
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