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「其処! 足の捌きが遅い!」
大広間に、大巫の叱責が響く。老齢であるにも関わらず、彼女の声はよく通る。
部屋への案内や諸々の説明を終えた後、篝は残り二人の舞い手と共に大広間へ集められた。
(まさか、昨日の今日で神楽舞の練習をさせられることになるとは……)
何が起こるかと思えば、あれよあれよという間に村祭りで用いられる衣装を着せられて、気付けば神楽舞の練習が開始していた。
重苦しい衣装にまだ慣れていないというのに、さらに舞まで習うとなると負担が大きいことこの上ない。篝は何度も蹴
神楽舞とは、神に捧げる舞である。神官たちが演奏する雅楽に合わせて、
しかし、篝よりも苦労しているであろう人物もまた存在するため、泣き言ばかり言ってはいられない。
「夜霧! 何処を見ている!」
どたん、と床に何かが叩き付けられる音。それは、紛れもなく夜霧が転倒した音であった。
大巫から叱責されたことで、意識が逸れてしまったのだろう。夜霧はぺたぺたと床に触れながら、何とか起き上がろうともがいていた。
「夜霧、大丈夫か?」
すぐ近くにいたこともあって、篝は夜霧のもとへ駆け寄って手を貸す。この様子だと、一人では起き上がることもままならないだろう。
夜霧はすまないね、と苦笑する。やはり目は伏せられたままで、その瞳を拝むことは叶わない。
そんな二人を見て、大巫は一層険しい顔付きになる。たまたま彼女の側で舞っていたらしいかよが、今にも泣き出しそうな顔をしているのが見えた。
「夜霧。お前に神楽を舞う気はあるのか? 初日とは言えど、あらぬ方向を向き、移動することさえもままならぬ。上手い下手以前の問題じゃぞ」
「……申し訳ございません」
「お、大巫様。夜霧姉ちゃんには、その、事情があって」
「かよ、お前は黙っておれ」
うつむきながら謝罪する夜霧は、普段よりも幾分か縮んで見える。お世辞にも、見ていて快い様とは言えない。
かよもまた、夜霧の様子を見ていられなかったのだろう。怯えながらも大巫に発言しようと試みたようだが、すぐにぴしゃりとはね除けられた。
大巫の視線が、夜霧を貫く。彼女の側にいるというだけなのに、篝の全身は石にでもなったかのように硬直した。
「神事に失敗は許されぬ。今の様子では、滞りなく舞を済ませるどころの話ではない」
「…………」
「夜霧。お前は、誠に舞を舞えるのか?」
大巫の眼光が、夜霧の細い体に突き刺さる。
何とかしてやらねば。そう思うや否や、篝の唇は動いていた。
「──恐れながら、大巫様」
大巫の視線は、篝の方へと移る。それだけで身が縮んでしまいそうだったが、どうにかして我が身を奮い立たせる。
「この者は、打ち身にて体を痛めてしまったようです。たしかに舞を習得することも肝要ではございますが、まずは打ち身の処置をするべきではないでしょうか。放っておけば症状は重くなり、今後の進行にも影響を及ぼすかもしれません」
「……何が言いたい?」
「此処は、一旦休憩と致しませんか。昼からずっと動き詰めだったのです、皆疲労も溜まっていることでしょう。動きが鈍るのは当然のことかと思われますが」
──無論、夜霧とかよのみの休憩でも構いません。
大巫の威容に負けじと睨み付けながら、篝は毅然とした口振りでそう告げた。
この状態のまま、神楽舞の練習を続けさせるのは酷というものだ。村祭りまで時間がないことは承知の上だが、こまめに休憩をとらなければ舞い手が倒れてしまいかねない。特に、夜霧やかよのことが篝としては心配だった。
大巫はしばらく篝を凝視していたが、やがておもむろに視線を外した。そして、幾らか柔らかくなった声音で言う。
「……四半時程、休憩の時間とする。だが、無闇にこの部屋を出てはならぬ。外に出るならば、夜霧と、その付き添いのみにすること」
「……ありがとうございます」
夜霧が一礼する。それが大巫へのものか、はたまた篝へのものかはわからなかった。
大巫の許可が出るや否や、かよが夜霧のもとに駆け寄ってくる。気を抜けば、その大きな瞳なら涙が溢れ落ちそうな程に目を潤ませる様は非常にいじらしい。
「よ、夜霧姉ちゃん、大丈夫だか……?」
「うん、大丈夫だよ、かよ。すまないね、心配をかけさせてしまって」
「おらのこどは気にすねで。それよりも、お外さ行ぐの? 付ぎ添いがいっこんだら、おらが……」
苦笑する夜霧に寄り添いながら、かよは付き添いの任を受けようとしているようだった。夜霧との付き合いも短くないようだし、彼女を案じる気持ちも人一倍なのだろう。
しかし、夜霧はふるふると首を横に振った。
「気持ちはありがたいけれど、付き添いは篝にしてもらうことにするよ」
「え……? なすて……?」
「どうやら先程転んだ時に、足を捻ってしまったようでね。歩いて移動するのは難しそうなんだ。だから誰かに運んでもらわなければならないのだけれど、かよが私を運ぶのはさすがに無理があるだろう? そういった訳で、篝に頼もうかと思ってね」
ああ、冷やせばすぐ治るかもしれないけれど──と夜霧は付け加える。あくまでも軽傷だと伝えることで、かよに余計な心配をかけさせまいとしているようだ。
(この様子だと、何か俺に伝えたいことがあるな)
夜霧とかよの会話を小耳に挟みつつ、篝はそう推測する。
夜霧は抜け目のない女だ。間ノ瀬家でのやり取りもそうだが、聡く機転がきき隙がない。このように言うのも何だが、人身売買されるにしては頭の良すぎる人種のようにも思える。
彼女には、何か考えがあるのだろう。自分が村祭りを成功させんと、桐花や苅安と手を結んでいるように。その上で、篝に何らかの接触を図ろうとしている。
(ならば、乗らぬ手はない)
夜霧が何を考えているかはわからない。だが、関わりを持たないよりは多少冒険をする方が得策と言えよう。
篝は夜霧に背を向けてしゃがみこむ。背負ってやるからおぶされ、ということだ。夜霧であれば言わずともわかるだろう。
──しかし、篝の背中に重みが乗ることはない。
「……? どうした? 早くおぶされ」
まさか、此方の言わんとするところが通じていなかったのだろうか。篝は怪訝に思いながら後ろを振り返る。
「ううん、お気遣いは嬉しいのだがね。せっかくの機会なのだし、私としては姫抱きをしてもらいたいな。実は長年の憧れだったんだ」
「……お前なあ……」
其処には、今にも悪戯を仕掛けようとしているかのような夜霧の顔があった。
憧れだ何だと言ってはいるものの、実際のところはただこの状況を楽しんでいるだけなのだろう。ご丁寧に此方へ両腕を伸ばしている辺りが小憎たらしい。
「……今回だけだからな」
はあ、と溜め息を吐きつつ、篝は夜霧を抱き上げる。
女性にしては背の高い部類に入る夜霧ではあるが、その体は思ったよりも軽かった。篝とて非力な訳ではないが、その軽さには少なからず驚かされる。
「ふふ、それじゃあ行こうか。案内なら私に任せてくれ」
してやったり、と言わんばかりの、悪童のそれを思わせる笑みを浮かべながら、夜霧が先を促す。
──金峰村に連れてこられてから、周りの人間に振り回されてばかりだ。篝は肩を竦めつつ、夜霧の案内に従って移動を開始した。
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