4 陰火 (3)

 シノブはサンドイッチを食べながら、雑誌に目を落としつつ、周りの様子をうかがう。

 さっき人がいないと見えたのは、ほんのつかのまのことだったらしく、シノブがサンドイッチを数口食べるうちに、何人もの人が、玄関ホールから入って来、研究棟へと入っていき、反対に、研究棟から玄関へと出ていく人もいる。スーツ姿の社員もいれば、白衣を着た研究員らしき人もいて、活発に人が行きかっていた。食事をしているシノブを気にとめるものなど、誰もいない。

 しばらくすると、ひとりの研究員が、研究棟から出てきた。

 シノブは、とっさにうつむいて雑誌を読んでいるふうにして顔をふせる。

 ――バカな……。

 ウンノだ。ウンノがそこにいる。

 そんなはずはない、とシノブは自分に言い聞かせた。あの男は死んだ、シノブの目の前で。生きているはずがない。単なるそっくりさんとは考えにくい。とすれば、双子の兄弟だろうか。ならば納得がいくのだが。

 ウンノにそっくりな男は棟入口から出て左手、つまりシノブの方に向ってくる。歩き方もウンノそのもので、キザったらしくかるく肩をゆらしながら歩いてくる。髪型も同じで、いやらしい感じで毛先を右目にかぶせている。

 気づかれたか、万事休すか、とシノブは鼓動を高鳴らせる。

 だが、その男はシノブの前を素通りし、左奥にあるエレベーターホールへと向かっていく。

 シノブは男が壁の向こうへ消えたのを横目でみてから、おもむろに立ち上がり、エレベーターホールへと向かう。

 待合室からへこんだ位置にあるそこは、左手にエレベーターが二機ならんでおり、正面にひとつ設置されたエレベーターに男が乗り込んでいくところだった。

 シノブは、エレベーターが動き出すのを確認して、その扉の前に近づいた。たんなるエレベーターホールだが、シノブの部屋が三個入るほどの広さがある。A棟、C棟も同じような構造になっているのだが、正面のエレベーターだけは、ここにしかないものだった。

 しかも、扉の上にある階数表示は、一階と二十五階しかない。

 ――これは……?

 シノブはエレベーターの扉の前で思索する。やがてエレベーターは二十五階に到着し、動きを止める。

 と――。

「それは社長室直行ですよ」

 後ろから女の声がする。

 シノブは振り返る。

 そこには高校生の男女が立っていた。

 女子生徒が凛としたたたずまいでシノブをみつめ、男子生徒がそのちょっとななめ後ろに、彼女に寄りそうようにして立っている。

 黄色いブレザーの制服は、隣のナツキ市にある名門高校、セントエグバード高校のもの。

 女子生徒は、長いストレートの黒髪にすきとおるような白い肌。切れながの目に笑みを浮かべ、とがった顎をこくりと動かした。

 おそらく双子なのだろう、男子生徒もまったくといっていいほど同じ顔をしていて、ただ、ぼっちゃん刈りの髪型と、女生徒よりひたい分くらい背が高いところだけが違っていた。

 ふたりとも周囲に安心感をあたえるようなやさしい笑みを浮かべている。

 ふたりはこちらへと歩いてくる。シノブは脇によけ、その目の前でエレベーターが下りてくるのを待つ。

 女子生徒から、いままで嗅いだことのない、とろけるような香水の香りがただよい、鼻をくすぐった。彼女はシノブよりちょっと身長が高いので百六十センチくらいだろうか。

「新人のかた?派遣のかたですか?一般社員のかたはそちらのエレベーターをお使いくださいね」

 女生徒は目に笑みを浮かべ、ふっくらとして、つややかな唇を動かして言う。

 シノブは言葉を返すことも忘れ、ただふたりを見つめていた。

 すぐに社長室用エレベーターは到着し、ふたりはそれに乗り込む。

 扉がしまると、シノブは自分が呆然としているのに気がついた。

 ――なんだったんだ、今のふたりは。

 霊妙なまでの美しさ、一種異様な雰囲気。

 しかもなぜ高校生がここにいるのだろう。

 ふたりの学生は社長のもとで働いているキヨミとイサミなのだが、もちろんシノブにはそこまで推理することなど不可能だった。ただ、おそらく社長の令息令嬢ではなかろうかと考えた。

 ウンノにそっくりな男。奇妙な双子の姉弟。

 シノブはこの会社に隠された暗い深淵にふれているのに、まだ気づかないでいた。

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