第89話 抜け駆け

「サンデー様~、もうこんな時間ですが~」


 しばらく騎士団と邪竜の激闘を眺めて悦に浸っていたサンデーへと、不意にエミリーがその袖を引いて告げた。


 タブレットに表示された時計は、すでに夜明け近くを差していた。


「おや、もうそんなに経ったのか。早いものだね。もう少し見ていたかったのだが」


 名残惜しそうにしながらも、サンデーはもたれていた柱から背を離す。


「まあ、彼等なら無事に切り抜けるだろう。私達はお先に失礼するとしようか」


 未だ続く争いへと一瞥を送ると、ゆったりとした歩調で進み始めた。エミリーもそれに追従する。


 二人が向かう先は、右手にある滝が流れ落ちる暗い奈落だ。


「さてさて、上手い具合にゴールまで繋がっていると良いのだがね。ロープなしのバンジージャンプも楽しそうだが、どうかね?」

「やめてください死んでしまいます~」

「ふふふ、冗談だよ。のんびり空中遊泳と行こうじゃないか」


 サンデーは言いながら、胸元からするりと一本の日傘を取り出した。


「さあ助手君、手を取り給え」

「はい~、お願いします~」


 日傘を差したサンデーの手に、自分の手を重ねるエミリー。

 手を繋いで崖の淵に立った二人は、何の気負いもなしにその先へと足を踏み出した。


「騎士団長君も急ぎ給え。一番良いシーンを見逃してしまうよ」


 サンデーは最後に一度だけ振り向くと、言葉を残しながら、ゆっくりと落下を始める。

 浮遊の魔術のかかった日傘によって、地の底へ続くかのような深淵へ、羽のようにふわふわと舞い降りて行くのだった。





 一方、交戦中の邪竜の首の一本が、不意にあらぬ方向へ伸びていくのをソルドニアが目で追った。

 その先には、崖から身を投じるサンデーとエミリーの姿が辛うじて見えた。


「同行はここまで、という事ですか」


 ソルドニアの口に思わず苦笑が浮かぶ。

 最早邪教徒側には、これ以上の手札が無いと見切りを付けたのだろう。


 それにしても、底の知れない崖に飛び込むなど、とんだ発想である。冒険者ならば思い付いたのだろうか。

 いずれにしても、飛行の魔術が使える者は調査隊に加わっていた。合流ができなかった自分達に選択できる方法ではない。そもそも目前の邪竜が許さなかっただろう。


 うまく出汁に使われてしまった形だが、不思議と怒りは沸いてこない。

 受けた恩の方が大きい上に、自分達ならばこの敵に勝ち得ると判断したのではないか、と思えば嬉しくもある。

 だとすれば、早々にこの怪物を打ち倒して、前へと進んで見せよう。

 彼女が先に解決してしまう可能性もあるが、せめてその瞬間に立ち会いすらしないでは、今度こそ騎士団の面目が立たない。


 そう奮い立った時、邪竜が伸ばした首がぐいっと勢いよく奈落へ引き込まれていった。


 態勢を崩し、踏ん張った邪竜の首が根本からぶちりと千切れて宙に舞う。そして黒い煙と化して消滅していった。


 サンデーを下に行かせまいと伸ばしたは良いが、敢え無く返り討ちに遭ったらしい。


「流石……」

「団長!」


 感心した所を部下の声にはっとし、視線を正面に戻すソルドニア。


 見れば、サンデーに引っ張られたせいで邪竜の身体が門から一歩分ずれていた。奥へ続く道が僅かに覗く。


 そこをすかさず騎士達が押さえ付けに入る。


「ここは我らが! 団長は先に!」

「……武運を祈ります!」


 彼らの力戦を無駄にしないよう、ソルドニアは全速力で邪竜の脇をすり抜けた。


 門に飛び込んだ後、その背中を追うように、邪竜の咆哮と騎士達の雄叫びが響き渡った。

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