第77話 少女の祈りと、勇者へ捧ぐ歌

 フロント防衛隊が奮戦をしている間、港ではフロント住民の避難が進んでいた。

 最悪の事態を見越して、アシュリスが指示を出していたものである。

 朝から作業は開始されていたが、何しろ人数が多い。すっかり宵闇が迫る時刻になっているが、全員の避難にはまだ時がかかりそうだ。


 現在港にはフロンティア号、並びに軍港側へは二隻の軍艦が停泊している。

 フロンティア号は輸送船だが、最低限の食糧を乗せ、貨物スペースを空ければ3000人は収容できる計算だ。

 加えて軍艦はそれぞれ定員5000人であるが、武装を下ろし場所を広げれば、多少手狭とは言え、2万のフロントの民全てを分散して乗せることは可能だろう。

 収容が完了した後は、入江の入り口まで移動し待機する。もしもの場合は、そのまま本土へ帰還する手はずとなっていた。



 避難民や船員達がごった返すフロンティア号の甲板の一角に、強い海風に吹かれながら、フロントの町を見詰めている少女がいた。

 サンデーが町中を人力車で移動している際に、手を振っていた幼い少女だ。


「ねぇ、お母さん。町、どうなっちゃうのかなぁ?」


 戦場は遥か坂の上、更に高い城壁に囲まれた野外に展開している。直接その様子が伺える訳ではないが、時折凄まじい閃光が夜空を染め上げ、轟音が響き、住民達の心を不安で煽っている。


 先の街道封鎖に始まり、騎士団の追加派遣、物々しく警備が強化されていく日々。

 その矢先の避難指示である。少女の言葉は、住民達の思いを代弁するものでもあった。


「大丈夫、きっと大丈夫よ。騎士団の皆さんが何とかしてくれるから」


 横で手を繋いでいる母親は、自分にも言い聞かせるように、努めて優しい声をかけた。


「本当に? この町がなくなっちゃったら、やだな……」


 両親は開拓のために本土から渡ってきた者達だったが、彼女はフロントで産まれ、育ってきた生粋の開拓島の子供だ。愛着は並々ならぬものがあり、本土へ渡る事にも抵抗を感じていた。


「あの綺麗なお姉ちゃん達も、一緒に避難してるのかな?」

「どうかしらね……。偉そうな方だったから、真っ先に避難したのかしら」

「……大丈夫さ。お前の見た綺麗な人ってのは、真っ黒なドレスを着た人だったんだろう?」


 その時、避難民の登録を終えて戻ってきていた父親が娘の横に屈み、その肩に手を置いた。


「あなた、お帰りなさい。避難登録は無事に?」

「ああ、少し待ったくらいだ。流石にここの役人さん達は手際が良いね」


 母親に頷き返しながら、再び父親は少女に向き直った。

 少女の肯定を受けて、父親が続きを話し始めた。


「その人はね、不殺の英雄っていうとっても凄い、つよ~い人なんだ」

「本当に!?」


 少女の目が輝きを放った。「不殺の英雄漫遊記」は彼女も大好きな読み物だったのである。


「ああ、さっき船員さんに聞いたんだ。お前もこの前読んだだろう? この船が襲われた時に、英雄様が助けてくれたっていう話をさ」

「うん! デコピンで倒しちゃったんだよね! 本当にいたんだ! あんなに綺麗な人だったのに、すごいんだね!」

「そうそう。それだけ強い人が、まだ島に残っていてくれているんだ。領主様や騎士団長様、冒険者の人達だって、それに負けないくらい凄い人は一杯いるんだって兵士さんがみんな言っていたよ」

「そうなんだ! じゃあ大丈夫かな? 大丈夫かな!」


 少女の顔に希望が満ちていく。


「ああ、信じよう。ここに避難したのは、もしも町に魔物が入ってきたらっていう保険のためだって。明日にはきっと、戦争は終わっているよ」


 父親は娘の頭を優しく撫で上げると、立ち上がって母親と反対側の手を繋いだ。


「さあ、ここにいると冷える。部屋を割り当てて貰ったから中に入ろう」

「は~い!」


 少女は両親にぶら下がるようにして両手を握り、揚々と甲板を歩き去っていく。

 途中、一度だけ振り返って町の向こうを仰ぎ見た。


「……みんな、がんばってください。お願いします」


 両親にも聞こえないような小さな呟きは、潮風に飲み込まれて町の方へと流れ去っていった。



──────



「いやいやジャン殿。長時間のご指揮、お疲れ様でございます」


 白いローブ姿の男が、篝火の陰からぬるりと出てくるのが、物見櫓の上で振り向いたジャンの目に留まった。


「ハルケン殿! 何故ここに? 湖畔の町の指揮を任されているはずでは?」

「ええ、そうです。しかし想定外の事が起こりましてな。すっかり手が空いてしまったので、領主殿に判断を仰いだところ、こちらへ加勢するように言われまして」


 そう言って、手に持った呪符をジャンに見せた。


「それは、転移の呪符ですか」

「はい。領事館のみへ通じる片道切符ですが。本当に使う事になるとは思いませんでしたね。はっはっは」


 アシュリスがもしもの時のために持たせた、使い捨ての転移の術が込められた呪符だった。

 笑いながら、魔力を失い色褪せた呪符を袖の中に仕舞うと、ジャンに向き直るハルケン。


「ジャン殿は湖畔の町での事件の詳細をお聞きになりましたか?」

「ええ、概要だけは」

「それでは、蟲使いの体内に、サンデー様の魔力を吸った寄生虫が潜り込んでいた事はご存じで?」


 ジャンの目が見開かれる。


「なんと! そこまでは確認しておりません」

「蟲使いによれば、研究中の幼虫にサンデー様がご自分の血を飲ませた所、有りえない大きさに急成長したとの事で。蟲使いごと冷凍保存されていたのですが、扱いに困るので、蟲使いだけ仮死状態を解き、蟲についてはそのままにしておいたのですよ」

「はあ、それが……?」


 なかなか本題に入らないハルケンに、やきもきしながら先を促すジャン。


「それがです。我らが防衛していた湖畔にも敵兵が現れ戦闘に入るや否や、冷凍してあった氷を自ら打ち破り、あまつさえ更に巨大化をしながら敵陣に突っ込んで行ったのですよ!」


 ハルケンの声に次第に興奮が混ざる。


「数十匹の大蛇の如き蟲達が、敵陣を思う様に蹂躙する姿と言ったら……思わず年甲斐もなく達してしまいそうでした!」

「ええ、つまり……?」


 一人で盛り上がるハルケンに、若干引き気味のジャン。


「おっとこれは失礼。つまりですな。サンデー様のご意思がかかったと思われる巨大な蟲によって、湖畔の町の防衛は安泰。討ち漏らしの処理は駐屯した兵だけで十分だろうとの事で。めでたく私はお払い箱。フロント防衛に回されたと、こういった訳でございます」

「なんと……サンデー様の使い魔は『あれ』だけではなかったという事ですか!」


 背後で暴れている海魔を振り仰いで驚愕するジャン。


「成程成程。確かに船で我々が遭遇した海魔ですな。サンデー様の懐の深さには感嘆を禁じ得ません」


 まるでそこにサンデーがいるかのように、恭しくお辞儀をしてみせるハルケン。


「それでは不肖このハルケン。只今より治療師として戦線の維持に努めましょう」

「──おう! 誰か治療できる奴はいねぇか!? 至急見て貰いてぇ怪我人がいるんだ!」


 そこへ血相を変えたナインが本陣へ駆け込んで来るなり、周囲に怒鳴り散らした。ここまで彼が取り乱すのも珍しい。

 その言葉にハルケンがいち早く反応し、歩み寄って行った。


「怪我人でしたら私が診ましょうか」

「あんた治療師か! 頼むぜ、どうだ?」


 ハルケンの白いローブを見て、即座に両腕に抱えたアルトを差し出すナイン。


「ふむふむ、なかなか派手にやりましたね。しかしこのくらいなれば……」


 ハルケンがアルトの体に手の平をかざし、症状を確認していく。


「お二人とも、一体どうされたので!?」

「ああ、森で新手に襲われてな」


 アルトの傷を見て驚愕するジャンに、簡素に返すナイン。


「はい。問題ありません。即完治させてみせましょう」


 症状を確認したハルケンは、次いで両手をかざすと、アルトの全身が緑色の光に包まれた。

 見る見る内に、血管が修復され、裂けた皮膚が塞がっていく。


「うおおお!? すげえなあんた! ありがとよ!」

「流石ハルケン殿。相変わらずお見事な腕前」


 二人に褒められても、平然とした様子でハルケンは首を横に振った。


「いえいえ、多少の裂傷と骨にひびが入った程度でしたから。出血が多かったので少し休ませた方が良いとは思いますが。ああ、そうだ。目が覚めたらこれを飲ませると良いでしょう」


 言いながら、袖から一本の茶色い小瓶を取り出した。市販の栄養ドリンクの容器に似ている。


「お、おう。これは?」

「ええ、そのままずばり栄養剤ですとも。これを飲めば三日三晩徹夜しても平気でいられる、私謹製の物です」

「……それって副作用も凄そうじゃねぇか?」


 受け取ったものの、劇薬でも見るようなナインに、ハルケンが意外そうに答える。


「いえいえ、そんな事はありませんよ。三日寝ずに動いた後、丸一日泥のように眠りこけるだけです。差し引き時間で言えばプラスでしょう?」

「そ、そうか。あんたとは価値観がかなり違うって事だけは良くわかった。ともかく助かったぜ」


 一応腰の荷物袋にねじ込んでおくと、改めてハルケンに礼を言うナイン。


「ええ、ええ。人を治療する事こそ我が本懐。私が来たからには、皆さんの傷と疲労を吹き飛ばしてご覧に入れましょう。ジャン殿、拡声魔術にて広域魔術の使用を許可願います」

「おお、もしやあれを? ならば存分にどうぞ」


 ジャンに頷き返すと、ハルケンは物見櫓の上に立つ。

 二,三度軽く咳払いをすると、拡声魔術を起動させた。


『我らがフロントを防衛する勇猛なる諸君。私は騎士団所属治療師、ハルケン・ベイルスト。これより皆さんの支援に入ります』


 そこで一旦言葉を切ると、集中を高めながら詠唱を開始する。


『──人の営みを守る防人さきもり達よ、我が歌を聴け。そして共に歌え。汝ら愛する者達へ向け、高らかに歌え』


 朗々たる節を刻む詠唱が響き渡る。低く重い、人を惹きつける声だ。


『我らが安寧を侵そうとする輩より、民の命を守らんとする勇者達よ。汝らに我が祝福と賛美を送らん。そして共に歌え! さすれば汝ら、一騎当千の兵となりて、笑いながら敵を打ち倒す事まかり通らん!』


 それを聞く者達の体に、熱が灯るような不思議な感覚が生じていく。

 横で聞いているナインとジャンも、数時間戦場にいた疲労が溶けていくような気分であった。


「こりゃあ一体……!」

「ハルケン殿の活性治癒の奥義だ。私も直に見るのは初だが、聞く者を高揚させ、生命活動を高める効果が有ると伺っている」


 興奮を抑えきれない様子のナインに、ジャンが説明をしてみせた。


『歌え! そして笑え! 我らが歌の上に生が降りてくる! 歌え! 高らかに! 生命の歌を! 息吹の歌を!』


 ハルケンの言葉が重ねられる度に、その場の兵士、騎士、冒険者達全てに勇気と生命力が溢れ出してくる。すでに連戦の疲労など何処にも無い。


 ナインとアルトが抜けた事で、対岸の前線の維持が危ぶまれていたが、息を吹き返したかのように冒険者達の動きが軽やかになった。

 兵の士気が高まると共に、その熱気に押されたように、蛇蜘蛛達が後ずさっていくのが見えた。


 「聖戦の詩」と呼ばれる、治癒系列最上位の魔術である。

 この魔術は元々広範囲に向けた用途のために、必ず詠唱がセットで使用される。詩という形式を取っている為だ。

 範囲内の味方の戦意を向上させ、疲労と傷を癒し、身体能力も底上げするという、破格の効果量が目玉の超高位魔術だ。

 戦争において最も重要なのは士気である。どれだけ練度を上げようと、一度恐慌状態に陥れば戦線は容易く崩壊する。その士気を保ち、かつ身体機能まで向上させるこの魔術は、戦争においての切り札の一つと成り得る。

 ハルケンが治療師の肩書ながら指揮官の権限をも有するのは、単純な指揮能力と加えて、この魔術の使い手である事も含まれる。


「「おおおおおお!!」」


 雄々しい叫びがあちらこちらで沸き起こる。

 対岸の冒険者や海魔が取り逃がし、散り散りに逃げ惑う蛇蜘蛛を、本陣に届かせもせずに一匹残らず仕留めていく兵士達。


「よし、今の内に1軍と2軍は配置を入れ替えよ! 2軍はそのまま前進し、河岸まで戦線を押し戻せ!」


 兵の士気が戻った所で、すかさずジャンが陣形変更を指示する。

 乱れなく前後の隊が入れ替わっていき、大盾を構えた騎士の列が突進し、蛇蜘蛛を轢き潰していく。


 「聖戦の詩」は見ての通り強力な効果を有するが、反面発動させる為には制約がある。

 まずは、詠唱中の本人は完全に無防備になる事。今のように周囲の安全を確保した、落ち着いた状態でなければ使用ができない。

 そしてもう一つは、専守防衛の側である事。

 即ち、他者の為に勇気を振り絞り、命を捧げられる者にこそ効果が表れる。

 断じて侵略の為や、血に飢えた戦鬼を生み出す為の術では無いのだ。 


 その点フロント防衛線に立つ兵は、未知の怪物が相手と知っていても、尚戦線に加わった勇者と断言できる者達だ。そういった真の勇気を持った者にこそ、この魔術の効果は最大限発揮される。


 今やフロント防衛軍は、戦いが始まった時点よりも更に精強な軍としてその地に立っていた。


『歌え!! 歌え!! さすれば心に抱いたその平和! 誠の物と相成らん!!』


「「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」」


 ハルケンの詠唱に合わせ、合唱するように1万の勇者達の鬨の声が轟いた。

 それは、少女の祈りに応えるかのような雄叫びであった。

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