第6話『進化する生命、退廃する文明』
「ひぃ、ひぃ……! こ、こんなに足速かったか? 貴様……?」
「良いから走れ!」
ゼヒゼヒと呼吸を切らすバンダイの手を掴んで、俺は暗い路地を全力疾走する。
邪魔な障害物を回避し、時には蹴り壊す。身体能力の向上を実感すると同時に、ここまで無茶しても少ししか息切れしない自分を若干怖く思った。
一分ほど走って、寂れた廃墟を見つけた。あそこなら隠れられそうだ。
素早く入り込み、壁の陰に隠れて座り込む。
「ぜぇ、ぜぇっ……な、なんなんだ、あのバケモノたちはっ!? お、女の人の頭が、頭が……うぷっ」
再び嘔吐するバンダイを横目で見ながら、俺は無意識に自分の歯がガチガチと震えている事に気が付いた。それを抑えるため、力強く歯を噛み締める。
……死体を直接見るのは人生で二回目、祖母の通夜以来だ。
祖母の『死』は、死に化粧がしっかり成されていて綺麗な印象を覚えたが、先程の『死』は惨たらしく残酷なものだった。
数秒前まで普通に生きていた人間が、単なる肉の塊へ変わる光景。
腹の底から涌き出るような恐怖が、俺の心を支配していた。
……その時ふと、スティルシアの言葉を思い出す。
『私の世界では、厄介なモノを別世界へ捨てるというのが流行っていてね。前までは人や物品だけだったんだが……モンスターも送り始めたらしい。まずは弱いのを送って実験しているんだろう』
確かに、こう言っていた。
最初に現れたヤツが"スライム"だとしたら……さっきの緑小人は、"ゴブリン"ってとこか?
まずは弱いのを送って実験しているーーという言葉からして、段階的に送るモンスターを強くしているのは想像できる。
「黒い、オーロラ……異世界から、モンスターが送られてきたのか……?」
「な、なにを言ってるのだ友よっ! そういう話は嫌いじゃないし大好きだが、今は貴様と中二談義に興じていられる状況じゃないのだ!」
ギシッ
「ひぃぃぃぃ!」
「汗くせぇから寄るんじゃねぇよ……ほら、お前が急に立ち上がるから足場の木材が軋んだだけだよ」
バンダイは半泣きで足元を確認し、安心したように大きな溜め息を吐きながらへたり込んだ。
「わ……吾も、ビビり過ぎかもしれんな。貴様を見習うべきだ……よぅし、やられっぱなしってのも癪だ! こんなんじゃレイヤーの彼女もできん! 奴らに打って出るぞ友よ!」
「なんでお前はそうゼロか百かしか無いんだ……」
『へへっ』と洋画で序盤に死ぬ陽気な友人キャラみたいな笑い方をしながら、バンダイはポケットをまさぐる。
しかし、なぜか少しずつ顔が青くなっていった。
「どした」
「な、無い……」
「え?」
「ビー玉、落とした……」
丸い顔をムンクの叫びみたいに歪めながら、バンダイは地面にうなだれる。
確かこいつポケットに入れてたな。さっき走った時に落としたのか。
いやまあ大した問題じゃないけど。あと40個以上あるし。
「大丈夫だって。実は俺ーー」
「■■、■■■■!」
ーーその時、薄汚い叫び声が俺の鼓膜を揺らした。
咄嗟に声の方向を見ると、そこには出入り口からこちらを覗くように顔を出した"ゴブリン"が立っていた。
しわくちゃの顔を加虐心に歪め、黄色いガチャ歯を見せつけながら。
なんで、見つかった。
そう思いながらゴブリンを見ていると、奴の右手に三つの赤いビー玉が握られているのが見えた。
恐らくバンダイが落としたものだろう。これを辿られたのか。
ヘンゼルとグレーテルかよ。馬鹿みてぇだ。
「ぁ、あ……! 来るなぁ!」
「……さ、下がってろ。バンダイ」
ゴブリンの姿を見て錯乱状態になったバンダイを後ろに下がらせ、俺は奴を睨んだ。
『一人でも狩れる相手だ』と思ったのか、あるいは獲物を独り占めするためか。ゴブリンは二対一にも関わらず仲間を呼ぼうとはしないようだった。
……一匹なら、やれるか?
向こうの武器は七十センチ程のこん棒と、腰に刺した石のナイフ。
大した武器じゃないがこちらは丸腰だ。リュックから魔核を取り出している時間も無い。
「■■■■■!」
「っ……」
地面を蹴って飛び上がり、ゴブリンは恐ろしい速さで俺に突撃してきた。
空中で振りかぶられたこん棒がやけにゆっくりと見える。食らったら死ぬと本能で理解した。
無理だ。かわせなーー
「ぁ……ぐ、ぅ!?」
「■■■■!!!」
こん棒が頭を打ち砕く寸前で、咄嗟に腕を挟み込みガードした。
メキャメキャ骨が砕け散る音。それでも力を殺しきれず、俺の体が吹き飛んで建物の内壁に勢い良く叩きつけられた。
「か、はっ」
背中を打ち付け肺から空気が押し出される。
左腕が焼けるように痛い。状態を確認すると、前腕の骨が砕けてあらぬ方向へ折れていた。真っ赤な傷口の奥に骨らしき白い物が見える。
ダクダクと噴水のように涌き出る赤い血潮に顔をしかめた。
「■■」
こん棒を肩に乗せ、ゴブリンは機嫌が良さそうに歩み寄ってくる。とどめを刺すつもりだろうか。
……近づいたところで、顎に一発かましてやる。バケモノとはいえ人型だ。脳を揺らせば昏倒するだろう。
「こっ……! こなくそ! わ、吾の友達になにすんだ貴様ぁぁぁ!」
べしっ、という音と共にバンダイが叫んだ。
泣きながら折り畳み傘でゴブリンをぶっ叩いている。もちろん全く効いていない。
ゴブリンは『なんだこいつ』という顔でバンダイの方を向く。
……チャンスだ。
俺は痛みを堪えながら立ち上がり、背後からゴブリンの首を締め上げた。昔見た格闘技の試合を思い出しながら全力で
無事な方の腕でゴブリンの喉仏を思い切り圧迫した。
「■■■■!!!??」
「っ、暴れんなよ……!」
口端から泡を吹きながら、ゴブリンが手足を滅茶苦茶に動かして抵抗してきた。思わず拘束が緩む。
完全に決まった裸締めからは逃れられないーーなどとどこぞの格闘漫画で言っていたが、それは人間同士の話。
人外の膂力を持ったこいつには該当しない。
まるでデカイ昆虫を抑え込んでるみたいだ。小さな体に恐ろしい密度の筋繊維が詰まっているのだろう。
「が、ぐっ!?」
ゴブリンの振り回した拳が、俺の側頭部を抉った。
一瞬だけ意識が遠退いて、完全に腕から逃れられてしまう。
ゴブリンはそのまま転がるようにして俺から距離を取り、首の辺りをおさえながら過呼吸になっていた。
……幸い、かなりダメージは残っているみたいだな。このまま終わりにしてやる。
ゴブリンが落としたこん棒を手に取り、地面に倒れた奴へと近付いていく。
「■■■■■……! ■■■■■!」
奴は地面に伏せたまま俺を忌々しげに睨んだ。そして、手に握っていた三つの赤いビー玉を口に入れる。
ーーバンダイの魔核だ、まだ持ってやがったのか。まずーー
「■"■"■"■"■"■"■"■"!!!」
ーーそれは、獣のような咆哮だった。
先程までのどこか悪童じみた甲高いものとは異なる、腹の奥が震える轟音。
ゴブリンの筋肉がボコボコと、液体が沸騰したように隆起していく。ピキピキと骨の成長する音も聞こえてくる。
まるで、生き物の成長を早送りしているような馬鹿げた光景。
「は、はは……んだよ、それ……」
数秒後には既に、そこに先程までの
代わりに、体長二メートルを優に越える"鬼"が怒りの形相で俺を見詰めていた。
「ぁ」
ーー丸太の如き太さの豪腕が、目にも止まらぬ速さで俺へ叩き込まれた。
内蔵が破裂したのか喉に鉄の味が込み上げる。
ゴム鞠のように地面を跳ねながら転がり、視界が目まぐるしく変化する。
「お、おい……? し、死ぬな!? おい!?」
バンダイが駆け寄ってきて体を揺するが、俺は指先さえまともに動かせない。
霞む視界の端に、のしのし歩いてくる鬼が見えた。
「ばん、だぃ、俺の、リュック、よこせ、ぇ"!」
「な、なんで……」
「はやぐしろ!」
「わ、わかったから、わかったから喋るな……!」
俺の横に投げ付けられたリュックの中身を掻き回し、冷たい箱の感触を探す。……あった、これだ。
手探りで蓋を外し、中から出来るだけ多くの魔核を掴み取る。
それを自分の口に押し込んだ。噛み砕き、一気に飲み込む。
「あ、ぁ……、"あぁ"あ ぁぁ" あ!?」
ーー体が、燃えるように熱い。全身の血液が全てマグマに変わったみたいだ。
と、同時に負傷した箇所からビキビキと音がする。次の瞬間には痛みが消えた。
「は、ぁ……」
体が異常に軽い。心臓が馬鹿みたいに速く脈打つ。今なら誰にも負ける気がしない。
立ち上がって眼前の鬼を睨んだ。
「■■……■■■■!」
俺の変化に気が付いたのか一瞬躊躇う様子を見せる鬼だが、自らを奮い立たせるように吠えながら走ってくる。
先程と比べ、とても遅く見えた。
俺は崩れかけの壁に手をかけて、その一部を抉り取った。そしてコンクリートの破片で奴の頭をぶん殴る。
卵を割るようなパギャ、という嫌な感覚が手に伝わってきた。
「■■■■……!?」
頭蓋骨を陥没させて、鬼はよろけながら地面に倒れる。
その後なんどか痙攣して、完全に動きを止めた。
肉体が灰になって深紅の球体だけが残る。
……勝った、のか……?
「す、凄いぞ友よ! こんなバケモノに勝つなんて……! 絶対に死んだと思ったもん吾たち!」
「お、おぅ……」
大はしゃぎで叫ぶバンダイを見ながら、俺は地面に座り込んだ。
スマホを取り出しニュースサイトを開く。トップには『世界各国の人口密集地に謎の人型生命体』と記されていた。
……やっぱり、前の"スライム"と同じか。世界中でここと似たような現象が起こっているらしい。
『人口密集地』という言い方からして、俺の家の近くには大して沸いてないだろうが……スティルシアは大丈夫だろうか。
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