2 モノクロ
「あー!腹減った!」
がらっと勢いよく扉が開き、小型扇風機を首からぶら下げた孝介先輩が入ってくる。
孝介先輩の美術室の扉の扱いはかなり雑。
立て付けの悪いそれが今度こそ逝ったのではないかと毎回肝を冷やすのだが、今回も何とか持ち堪えてくれたらしい。
"basketball"と派手なフォントで記されたユニフォームに身を包み、孝介先輩は爽やかに笑う。
「やっほーななみちゃん。」
ひらひらと大きな手を私に振る先輩は眩しい。
そこに特別な意味など決してないと分かっていても、思わず錯覚しそうになる優しい笑顔だ。
どちらかと言えば内向的な私でも、孝介先輩となら緊張せずに話すことができるのは先輩の纏う温かいオーラのおかげか。
「こんにちは、孝介先輩。」
男バスキャプテンを務める孝介先輩はどうやら部活終わりらしい。
暑い暑いと言って、理玖先輩が節約のために切っていたエアコンのスイッチを躊躇いもなく押した。
何処までも自由な人である。
ピッという電子音の後に、人工的な冷風が部屋に流れ出す。
「この部屋のドアは慎重に扱えって何度言えば分かる。壊れたら修理代は美術部の部費から落ちるんだぞ。」
教室の奥でペットボトルをモチーフにデッサンの練習をしていた理玖先輩が、非難の目を孝介先輩に向ける。
気の弱い人なら思わず怯んでしまいそうなほどにはキツい口調と視線だが、孝介先輩は慣れたことだと言わんばかりに右耳から左耳へと聞き流す。
のみならず、理玖先輩の方へ近づいていき、先輩がモチーフにしていたペットボトルを手に取って、中の飲料水をごくごくと飲んでしまった。
「ぷはぁー!最高!」
「オッサンかよ。」
すぐさま理玖先輩からの鋭い肘打ちをくらった孝介先輩だが、これもあまり効いているようには見えない。一方の理玖先輩だって、呆れ顔を浮かべながらも本気で怒っている風ではない。
私から見れば、二人の先輩は対照的な性格に見えるけれど、何だかんだ相性が良いらしい。
いつも二人の間に流れる空気は軽かった。
「軽い冗談なのに。ひどいよ理玖センパイ。」
「やかましい。汗臭い体で神聖な美術室に入ってくんじゃねぇ。」
「うわ、それが部活頑張ってきた友人にかける言葉!?
ななみちゃんさ、理玖みたいな意地悪な先輩と2人っきりで美術部辛くない?バスケ部のマネージャーはいつでも大歓迎だよ〜!」
お決まりの孝介先輩の勧誘文句に、遠慮しておきますと笑顔で首を振る。
本人が知っているのかは分からないが、実際孝介先輩が目当てでバスケ部のマネージャーになった同級生もいる。
スポーツ全般に疎い私でも、長身の孝介先輩が華麗にシュートを決める姿を想像するのは容易い。
「よく言う。もう引退だろ。」
「理玖さ、ななみちゃん取られたくないなら素直に言いなよ。」
「俺ももう引退だっつーの。」
目の前で言い争う二人はまるで小学生のようだけど、実に高校三年生。
小さい頃は1歳差なんて大した違いなど無かったが、中学高校と進むにつれてたった一年の差が広く感じられる。
私が高校生活の折り返しをのんびりと迎える時期に、先輩方は受験という一大イベントに追われているのだ。
「そういえば、孝介先輩は志望校とか決まっていらっしゃるんですか?」
夏休み前、理玖先輩はこのまま美大に進学したいと言っていたのを一度聞いたが、孝介先輩の進路の話は聞いたことが無かった。
厚かましくも聞いてみれば、分かりやすく落ち込む孝介先輩。
その隣で理玖先輩が悪戯っ子のように笑っている。
どうやら地雷を踏んでしまったみたいだ。
「すみません、マズい質問でしたか。」
「いやいや、もっと言ってやれ豊永。」
聞けばバスケ部を謳歌し過ぎて勉強が全く手に負えていないらしい。
「マジで助けてななみちゃん。」
そう泣きついてくる孝介先輩に「頑張ってください」とエールを送る私には、来年は自分も受験生になるという自覚など当然ない。
孝介先輩が騒ぐ。
理玖先輩が呆れる。
私が励ます。
先輩たちと過ごす最後の夏は、"なんてことのないただの日常"である。
そう言って私を騙したのは、何処の誰だっただろうか。
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