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 ――学校から真っ直ぐ明日香君の自宅を尋ねた。


 卒業証書と紙飛行機を持ったまま、私は玄関のチャイムを鳴らした。


「希ちゃん、高校卒業おめでとう」


「おばさん、ありがとうございます」


「メールもありがとうね。でも……もう無理はしなくていいからね。希ちゃんには希ちゃんの人生がある。涼のために、大切な時間を無駄にして欲しくないのよ」


「おばさん、私にとって、明日香君と心で会話することは大切な時間なんです」


「……ありがとう。チビ達がそろそろ帰宅する時間だけど上がって」


「はい」


 明日香君の家には小さな仏壇がある。

 花立てには季節の花が生けてあり、お菓子や果物が供えてあり、その傍らの写真立てには微笑んでいる明日香君がいた。


 写真の隣には携帯電話が置かれていて、今でも友達からメールやLINEが入る。明日香君は自分で読むことも返信することも出来ないけど、両親や弟が読んでくれる。


 私もメールを送っているんだよ。

 あなたに……届きますようにって……。


 私は仏壇の前に座り、学生鞄からA4サイズのノートを取り出す。


 明日香君の家を訪れると、明日香君と会話する代わりに、一日の出来事をノートに綴ることが日課になっていた。


 いつものように明日香君の写真に話し掛けながら、ボールペンを動かす。


「えっと、今日は二千十八年三月一日。光鈴女子高等学校卒業式。明日香君、私も遥も無事に高校を卒業しました。今日はね、びっくりするような出来事があったんだよ。春の嵐みたいな突風が吹いて、まるで台風みたいに凄くて、光鈴大学の大木が左右に揺れたんだ。そしたら、空から紙飛行機が飛んできたの。何だと思う? 明日香君が出てきたら、教えてあげるよ」


 途中まで文字を綴り、写真立ての明日香君に視線を向けた。


「……ごめん。出てこれないよね」


 ――二千十七年八月二十一日、明日香君は母と一緒に車に乗っていて事故に遭った。


 明日香君のご両親も私達も、脳死の恐怖に怯えながら一ヶ月を過ごした。何故なら、明日香君が運転免許証の裏面に臓器提供に関する同意を記入していたからだ。それだけじゃない、明日香君の強い意思を表す手紙も見つかった……。


 明日香君のご両親は、明日香君の意思を尊重すると泣きながら仰有った。私も臓器提供の知識もあったし……、誰かの死と引きかえに、その臓器が誰かの命を救うことはわかっていたけれど、それが明日香君だとは、考えられなかった。


 最後まで……

 ドナー(臓器提供者)になることを拒んでいたのは、私だったのかもしれないね。


 でも……

 明日香君は……病床に伏せたままその意思を貫いた。


 生きていることは、こんなにも過酷で辛いことなんだって、泣いて泣いて……涙が涸れるまで泣いた。


 明日香君の尊い命と引きかえに、たくさんの人の命が救われ、私の母もその行動に勇気づけられ、角膜移植の手術を受け……光が戻った。

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