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 ―八月二十一日―


 希ちゃんからのメールに視線を落とす。


【明日香君。実はね、今日はママが事故を起こして失明した日なんだ。毎年、この日になるとママは気持ちが落ち込み、涙を溢すことが多くて……。だから、明日香君に無理を言ってしまいました。ごめんなさい。今日はママのこと宜しくお願いします。】


 希ちゃんのメールで、今日は偶然にも舞さんが事故に遭った日だと知る。


 ――即ち……

 翔吾が亡くなった日……。


 俺は今日が翔吾の命日だとは知らずに、舞さんと約束を交わした……。



 ――午後六時半、バイトを終えた俺は舞さんの家の前に車を停めた。


 室内に明かりは点いている。深呼吸をして、クラクションを二回鳴らした。


 暫くして、室内の明かりが消え、舞さんが玄関から出てきた。左手には白い杖を持ち、手探りで玄関の鍵を掛けている。


 俺は車から降り、舞さんの手を取った。

 舞さんは驚いたのか、ビクンと体を振るわせた。


「明日香君ね? ありがとう……」


 舞さんが優しく微笑む。


「迎えに来ました。どうぞ……」


 舞さんの手を取り、助手席のドアを開けた。


「大丈夫ですか? ゆっくり腰を落として下さい」


 舞さんは助手席にゆっくり座り、手探りでシートベルトを締めた。


 運転席のドアを開け、ルームミラーを覗き込んだ。


 ルームミラーに俺の顔が映る。

 次の瞬間、その顔が翔吾の顔に変わる。

 思わず、ハッと息をのむ。


 ――『頼んだよ……涼』


 頭の中で翔吾の声がした。


 わかってるよ。

 そのつもりで、舞さんをドライブに誘ったんだ。


「出発しますね」


「……はい。宜しくお願いします」


 翔吾が車でよく聴いていたCDを流し、目的地まで車を走らせる。


 舞さんはずっと黙っていた。


 一時間近く車を走らせ、俺は舞さんと翔吾がよく一緒に行っていた高台の小さな公園に車を停めた。公園と言っても自然溢れる樹木と広い芝生、花壇には季節の花と野草が入り交じり、丸太を半分にカットしただけの木製のベンチが所々に設置されているだけ。


「着いたよ……」


 周囲はすでに薄暗くなっていた。

 俺は車から降りて、助手席のドアを開けた。


 いつも翔吾がしていたように、舞さんの手を取り二人がいつも座っていたベンチまでの距離を歩く。


「……ここは?」


 大きな木の下に設置された丸太のベンチに腰を下ろした。舞さんは掌でベンチの感触を確かめ、ハッとしたように見えない目で周囲を見渡した。


「明日香君……もしかしてここは……」


「ここが何処なのかわかりますか?」


 俺は舞さんの隣に腰を落とした。


 ――その時……、夜空に煌めく流れ星が現れ、一筋の光の線を描いた。


 その瞬間、俺の意識は朦朧となり冷静な思考回路は途切れ、隣に座っていた舞さんが霞んで見えた。


 舞さん……。


 ――『……舞』


 遠退く意識の中で、俺は悟った……。


 ――俺の心も体も……翔吾に支配されてしまったのだ……と。

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