ACT06「私の名前は風祭奏」

 はっとして、僕は即座に床へ伏せる。

 ガラスの砕ける音。続けて重たい破裂音が二回。銃声だった。

 その後は、静かだった。

 どよめきがあるわけでもなく、足音のひとつすら無かった。

 いつもより早く脈を打つ心臓の鼓動や僕の荒い息が周囲の音を掻き消しているのかとも思ったけれど、それがうるさいく感じるくらい周りには音のひとつも無かった。

 反射的に閉じていた目をおもむろに開く。

 視線の先、床に赤いスティック糊のような円筒形の物体が転がっていた。花火の後のような鼻を刺す火薬の臭いを立ち上る細い煙に纏わせている。その非現実的な臭いが、僕の意識を余計に現実から乖離させ、夢とすら考え始めてしまう。

 顔をあげ、恐る恐る片瀬の立っていた方へと目を向けてみる。

 力が抜けてぺたりと床に座り込んでいる片瀬の姿が見えた。同時にその前に立ち塞がる見知らぬ少女。だが服装は片瀬や他のクラスメイトと同じ、この学校の制服だ。

 まるで人形か何かのように恐ろしく整った顔立ち、肩まで伸びた栗色の髪の毛は微かな風でも靡くようなストレート。大型ネコ科動物を髣髴とさせる凛々しくも美しい焦げ茶の瞳。今、その目は捕食対象として見るように鋭く、眼下の片瀬を突き刺している。

 次第に動転していた思考が回復し、僕はその少女が握っているものが何なのかようやく気付く。転がっていたのはスティック糊などではなく、散弾銃の空薬莢。画面の向こう側でしか見たことのなかったそれが目の前にある。そして、少女が片瀬の頭蓋に押し当てているそれは、黒光りした散弾銃。

「何を……しているんだ!」

 声に反応するように、片瀬が僕を見た。

 先程とは違う、生気のある普段の片瀬の表情で。

 涙を流しながら、片瀬は笑っていた。

「大好きだよ……大野くん」

 そう片瀬が言い終わるのとタイミングを同じくして少女は躊躇うことなく撃った。

 衝撃で片瀬の頭が床に叩きつけられた。

 殺した。あの女。片瀬を殺しやがった。

 少女は満足そうに大きく溜め息をついた。

「危ないところでしたね」

 まるで助けてやったとでも言うような表情で、少女は僕へと振り向く。

 いや、事実助けられたのだ。片瀬は僕に銃を向けてきたのだから。

 けれど、この少女はいったい何者なんだ?

 尋ねようとするより先に、少女が答えた。

「初めまして、大野歩さん。私の名前は風祭かざまつりかな。貴方を迫り来る脅威から護るためにやってきた〝第一級クロックランナー〟です」

 言いながら少女――風祭は腰が抜けた僕に手を伸ばす。

 しかし、僕は差し伸べられた手を思わず振り払った。

 その手は、片瀬を、優莉花を殺した手だ。

 僕の感情を察してか、風祭はそっと手を収める。

「そうですよね、怖いですよね、私」

「…………」

「貴方から愛する人を奪ってしまったんですから」

「…………」

「しかし、これが最善策だったこともご理解ください。貴方の好きだった片瀬優莉花はもういません。見えますか、彼女の姿が」

 風祭は死んだ片瀬の襟首を掴み上げ、さも無機物でも扱うかのような乱暴さで僕の目の前に放り投げた。ぐしゃ、という音と共に床に投げ出される片瀬。僕は恐る恐る手を伸ばし、彼女の亡骸に指を置く。

 違和感があった。これは確かに死体だ。だが、あるべきものがない。散弾銃であれだけ撃たれたはずなのに、何処にも傷が見当たらないのだ。僕の目の前で撃ち抜かれたはずの頭部は、頭髪が少々焼け焦げている程度で皮膚は青々としている。そして何より、流れ落ちてしかるべきの血が何処にも無い。

「言っておきますが、私の使ったこの散弾銃は実銃です。装填されていたのも十二番と呼ばれるこの時代に於いてもごくごくありふれた散弾。仮に人間に対して直で撃とうものなら簡単に砕くことができます。……しかし、彼女は違う」

「ど、どういうことだ……?」

「よく見ていてください」

 風祭は、散弾銃の銃口で片瀬の口腔を小突いた。金属製の銃口が片瀬の前歯に当たってゴリゴリと嫌な音を立てる。その様子を見て、酸味を帯びた何かが喉から逆流してくる感覚に苛まれる。それの放出を阻止すべく、反射的に口元を抑えた。

 そんな僕の状況を知ってか知らずか、素っ気ない表情で風祭は躊躇せず引き金を引いた。音と共に片瀬の歯が砕け散り、顎から上が天井まで跳ねた。だが血飛沫は無かった。代わりに放たれたのは青い電光。剥き出しになったがスパークを起こしていた。

「ロボット……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る