第51話
勇者ジークの名を呼ぶ観衆は、一様に口を閉ざしていた。
耳が痛いほどの静寂が周囲を包み込む。
誰しもが目の前の起こったことを正確に理解できていないのだろう。
じっと見つめているのは、地面に出来た赤い汚れ。
地面に広がる肉片となった勇者の上半身と、小さく痙攣する下半身だった。
そして誰かの嗚咽と嘔吐の音で、現実に帰ってきたのか。
全く無意味だというのに、ロロは地面に広がる肉片の名を呼んだ。
「じ、ジーク君?」
「無駄だ」
ジークは地面の染みとなり、俺を殺すには至らなかった。
それが純然たる事実であり、現実だ。
その事実が受け入れられないのか。
ロロは錯乱状態で、俺から必死に距離を取ろうとした。
恐怖で足が動かないのか。
逃げる事さえ、ままならないが。
「な、なんで!? 勇者のスキルは破壊者より強力だったはずなのに! なんでジークが負けるの!?」
「その勇者とかいうスキルが厄介だったんでな。スキルそのものを破壊させてもらった」
なんとなく言うが、自分自身でさえその能力には笑ってしまう程の理不尽さを感じていた。
しかしそれが破壊者と言う能力の究極にして、恐らく最も身を削るであろう力だ。
以前、深淵の底で気を失ってから、徐々に破壊者の能力について理解が深まってきていた。
なぜかと言う疑念はあった。あの神殿で俺の名を呼んだのは誰なのかという疑問も。
しかしこの破壊者という正体不明の能力を少しでも理解できる手がかりになるのなら、何でもよかった。
そして破壊者の中でも最も高位に属する能力が、スキルの破壊である。
スキルとは、かつて存在した神々の王――太陽神アポロスによって人々へ授けられたとされている。
脅威となる魔物が跋扈する大陸で、脆弱だった人がここまで繁栄を遂げたのはひとえにスキルがあったからだ。
いや、その恩恵を受けたのは人間だけではないだろう。
大陸にするありとあらゆる種族がスキルによって発展を遂げたと言っても過言ではない。
そんな神の王が人間に与えたとされるスキルへの干渉を可能にするこの能力はどれだけ異常か。
そもそもスキルが変化すること自体が異常であるとされる中で、それ自体を抹消するこの能力がどれだけ異質かは、語るまでもない。
神に祈ったことが無いと豪語していたロロでさえ、俺を見る目は恐怖に染まりきっていた。
「そんな事、出来るわけない!」
「試してみろよ。お前のスキルも、もう使えなくなってる」
そう言われて、すぐさまロロは魔法を起動させようとする。
だが結果は目に見えていた。
今のロロからは魔力さえ感じられないのだから。
ロロは怯えた様子で何度も魔法を起動させようとするが、すぐに俺の言葉は事実だと理解した様子だった。
「う、嘘よ。こんなこと、絶対にありえない……。」
「なら指を一本ずつ切り落として確認していくか。両手両足でも俺は構わない。その後、自分の魔法で治せるかを試せばいい」
なんとなくの思い付きだったが、予想外に楽しそうだ。
ただ俺達に残された時間はそう多くないようだった。
「アクト、イベルタの反応が動き出したわ。すごい速度で移動してる」
「想定通り逃げたか。イベルタの行動を考えるに、そこのジークが俺に対抗する切り札だったのかもしれないな」
「勇者、だったっけ。確かにアクトの破壊者と同じぐらい変わったスキルだったね。あんな強力なスキルがあるのに、誰も知らなかったなんておかしな話だよね」
「能力の使用を制限されていたのか、それとも能力の使用に代償が必要だったのか。ジークが死んだ今となっては、知る由もないが。残った問題を解決して、さっさとイベルタの追跡に向かうか」
視線を向ければ、ロロは壁際でうずくまっていた。
怯えた様子のロロは俺の視線を受けただけで肩を震わせ、頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! もう二度と貴方に関わらない! 顔も見せない! だから、命だけは……。」
「さて、どうするか。俺はそんな命乞いをする時間さえ与えられなかった。後ろから刺され、そのまま魔物の前に転がされたんだ。同じことをされても、文句は言えないよな」
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!」
狂ったように、ロロはひたすら謝罪を繰り返す。
そこに、ダンジョンの底で見せたロロの姿はない。
俺の前にいるのは、自分の命惜しさに恥も外聞もなく頭を地面にこすり付ける哀れな女だ。
しかし、それだからこそ、ここまで来た甲斐がある。
あの絶望の底から、こうして追い詰めた。
見下し、裏切り、俺を殺そうとした相手を。
今やこの女の命は俺の手の内にある。
ダンジョンの奥底で潰えるはずだった怒りが今、この女に元に届こうとしている。
そんな愉悦に浸っていると、ヴィオラの檄が飛んだ。
「これ以上、この街に留まるのは危険よ。早く始末した方がいいわ」
「ゆっくり終わらせることも出来ないのか。あっけないというか味気ないというか」
催促とも取れる言葉を聞いて、ロロが慌てた様に俺へとすり寄ってきた。
「そ、そうだ! アクトは私に気があったんですよね? なら私を仲間に……いえ、アクトの所有物にしてください! どうですか? いつでも、どこでも、私を好きなようにしていいんですよ?」
それがロロに残された最後の抵抗だった。
「そっちの女の子達には手を出してないんでしょ? なら私がいたら便利だと思わない? アクトが望むなら、どんなことだって受け入れるし、どんなことも喜んでします」
媚びるような甘い声音と、誘うような長し目。
これがこの女の武器であると理解してい無ければ、そのまま誘惑に流されていただろう。
この女に殺されかけた経験がなければ、の話だが。
「さっさと片付けて、次へ行こうよ。今の僕達には、こんなふざけた話を聞いている時間も惜しい」
「いいや、ぜひともロロの話に乗るとしよう」
「それって本気で言ってるのかい?」
まさかと声を上げたのは、ファルズだけではない。
ヴィオラまでも俺の判断に対して、不満を持っているのが目に見えていた。
鼻で笑うと、ヴィオラは侮蔑の眼差しを俺に向けて言った。
「見損なったわ。あれだけ復讐だなんだと言っておきながら、今さら昔の女への情に流されるなんて」
ふたりは冗談ではないと思っているに違いなかった。
こんな女を連れての旅路はごめんだと。
しかし俺も考え無しに言っているわけではない。
ファルズとヴィオラの非難の視線を受けながら、ロロに近づく。
「ほ、本当に? 本当に、いいの?」
「あぁ、当然だ。今からお前は俺の所有物だ。俺の好きなようにできる。そうだな?」
「えぇ、もちろん。どんなことだって……。」
一刻も早く命の危機から脱したいのか。
躊躇くなく俺の手に両手を絡ませて、身を寄せてきた。
自分を殺そうとする相手にさえそう言うことができる女だという訳だ。
争いの後であっても鼻をくすぐる香油の匂い。
男の心を揺さぶる容姿と仕草。
戦士が戦いの中で技術を磨いていく様に、この女は男を自在に操るすべを磨いてきたのか。
だが、その技術には弱点が存在する。
過度な怒りや激情を抱く相手には、色香など通用しないという点だ。
「ならさっそく、好きにさせてもらうか」
ロロの柔らかな髪の毛を掴み、俺の体から引きはがす。
そして膝をつかせると、ロロは困惑した表情で俺を見上げた。
しかし、ロロはすぐさま俺が何をするのか理解したのだろう。
思わず声を上げるが、もはや遅い。
「え? ま、まって――」
困惑の声が途切れ、代わりに鈍い水音が響き渡った。
手から伝わるのは、まるで熟れた果実を潰すような感覚だ。
見れば地面には真赤な赤い花が咲いている。
その光景に、自然と笑みが零れていた。
甘い痺れに似た快感が体を震わせる。
抑えつけていた頭の痙攣はすぐに収まり、硬直するように動かなくなった。
ゆっくりと立ち上がれば、呆れたようなヴィオラと微笑を浮かべたファルズと目が合う。
彼女達からすれば俺の殺し方に色々と思う所があるのだろう。
ただどうしても、俺が気に食わない部分があったのだ。
それは――
「こうすれば、ロロの顔を二度と見なくて済むだろ」
この女の、顔だった。
◆
街から抜け出すにあたり、俺達は住人の視線を嫌と言うほどに集めていた。
住人から向けられる、化け物を見る様な視線が突き刺さる。
まさしく俺は、怪物に見えている事だろう。
少年を惨殺し、女の顔を潰して殺す。
また逃げ出す際に邪魔をしてきたアンセムのメンバーも、容赦なく殺した。
それが俺達へ向けられる恐れへ、拍車を掛けたのかもしれなかった。
ただ、それでもかまわなかった。
復讐を成し遂げるまで止まる気などない。
そしてその復讐もすぐに終わる。
イベルタをこの手で殺める時は、すぐそこに迫っているのだから。
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